第2話 ウィルクビになる

「七日後にクビだとぉ!?」



  通達された内容に、ウィルは思わず大声を上げた。そんなウィルを、工場長のザックスは鬱陶しそうに顔を顰めて見据える。

「騒いだって無駄だぞ、もう決まったことだ。異論はないな、じゃあ仕事に戻れ」

「待て待て待て! あるに決まってんだろ!」

 ウィルは混乱と驚きを脇によけ、横暴な通達を一方的に寄越してきた工場長に食い下がろうとする。


「いきなりそんなこと言われたって納得できるかよ! 俺のこと何だと思ってやがる!」

「お前のことだと? 勿論、田舎から出てきた生意気なクソガキだ。工場長の俺の決定に文句つけられる立場か? 働く場が無くて困ってると頭を下げたのは、誰だったかもう忘れたのか?」


 形だけの作業着を身に纏う中年の工場長は、じろりとウィルを睨みつける。

「不景気で色々整理してると、無駄な人材は切って〈移民〉を使う方が何かと安上がりだからな。お前は若いんだから、今から別のところに行ったってやっていけるだろ。早いうちに転職させてやろうという俺の優しさだろうが」


「だからって、この町で他に仕事先なんて……!」

「じゃあ町を出て仕事を探せ。お前、ここの出身じゃないんだから、何処にでも行けばいいだろ?」

 ザックスはそう言うと、今度こそその場を立ち去った。残されたのは唖然とするウィルと、高く積まれた木箱の山。それと、相棒の〈精密機ギア械〉のリフターバギー。


「ふ、ふざけんじゃねええええええ!!」

 ウィルの怒号は、紡績工場ザックス・ワークスの倉庫の通路に響き渡った。



***



 ウィル・アルゴーン。地味な黒髪に地味な顔立ちの、どこにでもいる普通の十八歳男子である。


生まれ育った村を出たのは十六になった頃。夢と希望と、僅かな不安を抱えて旅に出た。と言うと聞こえがいいが、要は仕事に就くために今より大きな町へ向かっただけのこと。

 そうしてたどり着いた町で仕事を見つけ、ウィルは真面目に働いた。自分はガキで世間知らずで、人よりたくさん努力しなくてはならない。自分をそう叱咤して、周りからも感心されるほど真剣に仕事に取り組んだ。

 それなのに、だ。


「これで五回目だぞ、クビにされるの……!」

 苦虫を噛みしめたような顔で吐き捨て、ウィルはリフターバギーの操縦桿を手際よく操作する。 〈精密機械〉、ギアと呼ばれる機械道具の操作は、慣れない者には難しいらしく工場内でも操作ができない、あるいは出来ても一つ一つ手順を確かめながら操作するせいで手際が悪い場合が多い。

 人力では持ち上げるのが難しい大きな木箱をいくつも運ぶのに、〈精密機ギア械〉のパワーは欠かせない。しかしながら上手く操縦できなければ事故の元で、そのパワーによって作業員が大怪我をしてしまう恐れもあるのだ。


 その点、ウィルは精密機械の操作が上手かった。往々にして若者の方が飲み込みが早いと言われるものだが、それを差し引いてもウィルのリフターバギーは安定した操縦と確実な仕事をこなし、ウィルの担当する倉庫はいつも一番に仕事が終わっていた。



 そう、ウィルはいつも仕事を頑張っていたし、真面目に取り組んでいた。他の作業員からも頼りにされていたし、自分なりに仕事にプライドを持っていた。それなのに、三日後にはそれら全てを取り上げられ、工場から放り出されてしまうのだ。


「〈移民〉を使った方が安いだぁ? 俺の給料だって大した金額出してねぇだろうが!」

「おいこら、あんまり大声で文句垂れてると聞かれるぞ」


 後ろから声がして、ウィルは振り向く。同じ作業着を着た強面の中年作業員、ウェンズ係長がそこに立っていた。

「係長、俺クビになるんすよ! さっき工場長が」

「ああ、知ってるさ。俺もクビだからな」


 しれっと答えるウェンズに、ウィルは引き攣った声を上げた。バギーから飛び出したいのを何とか堪え、リフターアームを降ろしてバギーのエンジンを切り、それからやっと操縦席から降りてジャンの前へ飛び出す。


「ど、どういうことっすか!? 何でウェンズさんまで!」

「知らんよ。とにかく不景気だからの一点張りさ。こんな年寄りよりも若い〈移民〉の方が使いやすいんだろうと思うが……」

「不景気とか〈移民〉とか、全然理由になってねえよ! 今までこの工場を回してきたのは俺達だぞ! 今更放り出すなんてあんまりだ!」


 ついに不満が噴出し、ウィルは大声で叫んだ。聞かれたって構うものか。誰かが聞き咎めたって、同じことを何度だって言ってやる。

「……俺はまだしも、ウェンズさんまでクビなんて」


 不意に無力感に襲われ、ウィルはがくりと項垂れた。ウェンズは、ウィルがこの工場で働き出してからずっと世話を焼いてくれた恩人だった。年は親子ほども離れていたが、ウェンズはぶっきらぼうながら面倒見がよく、どれだけ叱り飛ばしてもへこたれないウィルを部下として可愛がってくれた。ウィルもまた、ガキのくせにと見下したりせず、同じ工場で働く一人の男として厳しく接してくれるウェンズを慕い尊敬していた。


「工場長、どうかしてるぜ。ウェンズさんみたいないい人をクビにして、〈精密機ギア械〉の操作も出来るかどうかもわからねぇ〈移民〉を就かせるなんて……」

「俺もしょっちゅう工場長に盾突いてたしなぁ。いい加減鬱陶しくなったんだろ」


 自分がクビを言い渡された時以上に、ウィルはショックを受けている。それに比べて、当のウェンズは平然としたものだった。

「俺よりもお前だろ、ウィル。お前、よそからこの町に働きに来たって言ってたろ。地元に一旦戻った方がいいんじゃねえか?」

 ウィルがリフターバギーを使って積み上げた木箱の数をチェックしながら、ウェンズはそんなことを言ってきた。


「地元、か……」

「俺も、もしかしたらこの町は出るかもしれねぇな。ここを辞めれば、他に就ける仕事なんてたかがしれてる。うちの坊主もでかくなってきているし、先々のことを考えるとな」

 ウェンズの言葉に、ウィルは考え込んだ。長年この町で働いてきた彼の言葉は、一笑に付すことのできない重みがあった。そして、長く働いてきた彼ですら移住を考える程、この町の展望は暗いということだった。


 この工場がある町、タイゼーンは長閑な田舎で、この紡績工場以外は小さな工場がいくつか、それも個人でやっているか多くて数人程度の職人が集まって仕事をしているだけの規模に過ぎない。

 その中でもこのザックス・ワークスは群を抜いて大規模な工場だった。元々工場が集まる町だったお陰で、タイゼーンの近くには大きな幹線道が通っており、商品の流通路は既に整えられていた状態だった。田舎の広大な土地を買収して設立した工場は、一気に売上を伸ばしてその地位を盤石なものとし、タイゼーンの町にがっちりと食い込んだ。


 地味な町工場で働くより、新しく出来た大きな工場で働く方が給料もいいし世間体もいい、と誰もが思うのも仕方がなかった。求人票を出すまでもなく、沢山の働き盛りの者達が押し寄せた。数か月前のウィルも、その働き盛りの一人だった。

 丁度その時、ウィルは前職を辞めたばかりでとにかく仕事に就きたかった。辞めた、と言っても自分から辞めたわけではない。


『分かるだろ、ウィル。分かってくれ。ここもかなり苦しいんだ。お前の頑張りはずっと見ていたから俺も辛いんだよ。でもな、これ以上お前を雇い続けるのは無理なんだ』


 前職の上司は無理やり弁解を捻り出し、自分の本意ではないということを強調しながらもウィルをクビにした。その前の仕事も、その前の仕事も、ウィルは似たような理由で仕事を辞めさせられた。

 要は、不景気ということだ。


「何で不景気が理由で、俺がクビにされなきゃなんねーんだよ……!」

 理不尽な世の中に腹を立てつつ、ウィルは仕事をしっかりとこなして今日の業務を終えた。何だかんだ言っても、根が真面目なのだった。

 リフターバギーを所定の位置に戻し、エンジンを切る。扱いにくいこの〈精密機ギア械〉も、入社してからずっと共に働いてきた相棒である。

 その相棒とも、あと数日でお別れになるのだ。


「……」


 胸に満ちる虚無感に、ウィルは暫し佇んだ。

 どれだけ頑張っても、職場は無情にウィルを切って捨てていく。自分に非があると言われる方がいっそマシだった。それを改善すれば、次の職場ではもっと上手くやれるはずなのだから。

 だけど、どこであっても『お前はよくやっている』『お前はまだ若いんだから』と、そればかり。ウィルを切り捨てる理由は、『不景気』だから。


「……んなもん、俺のせいじゃねえよ……!」


 絞り出した言葉を、リフターバギーは無言で聞いていた。




***




 作業着を着替え、ウィルは工場を後にして帰路につく。工場から然程離れていない古い集合住宅があり、同じ工場に務める者の多くがそこに住んでいる。ウィルの住居は三号棟の一階の角部屋。日当たりが悪く狭くて穴倉のような部屋だった。


 いつもなら寄り道せずにさっさと帰るところだが、今日のウィルは何となくそんな気になれず、ぶらぶらと町中を歩いて回っていた。働いてきているのだから疲労もあるし、空腹も感じつつある。だけど今はそれよりも、胸の中の虚無感を何処かに放流してしまいたかった。


 知り合いに会うのも煩わしくて、自然と足取りは町の外れへと向かっていく。

 タイゼーンは山の麓にある町で、少し歩けば町の景色も背後に遠ざかり、広々と続く草原や森、その向こうに鎮座するハクホウ山が視界を埋め尽くす。まだ夕陽と呼ぶには淡い陽光が草原を照らし、爽やかな風が楽しそうに木々を揺らして吹き抜ける。全てを静かに見下ろすハクホウ山を、ウィルはぼんやりと眺めた。この景色を気に入って、ウィルはこの町で働いていくことを決意したのだった。

 ウィルの生まれた村も田舎だが、こことは随分見える景色が違う。それなのにこの景色を無性に懐かしく思ってしまうのは何故なのだろう。


「……はぁ」


 変に感傷的な気持ちになってしまい、ウィルは弱弱しくため息を吐く。

「何でこうなるのかなぁ……」

 弱音を吐くな、と頭では分かっている。だけど、こうも打ちのめされてしまっては吐き出さずにはいられない。

 もう一つため息をつこうとして、ウィルは思い切って息を吸う。大きく大きく、胸が弾けそうになるまで。

 そして、


「クソがーーーーっ!! 不景気なんか知らねーってのーーーー!! もうこんな世界滅んじまえーーーーーっ!!」


空に向かって大声で叫んだ。

 腹の底から吐き出した声は空しく拡散し、誰に聞かれることもなく消えていく。肺が潰れそうな程息を吐いたウィルはぜいぜいと肩を揺らし、そんな彼の姿を笑うように風が吹いた。


「……ふん、これですっきりした。クソみてぇな世界でも、明日もまた続くんだからな……いつまでも落ち込んでいられねえし、切り替えていかねーと」

 一人で強がってみせて、ウィルはそう言った。騒いだところで自分のクビは変わらないし、仕事が舞い込んでくるわけでもない。自分が動かないと、世界は何も変わらないのだ。それはウィルのこれまでの人生で証明されている、この世の真理だった。


「よし、飯食って元気出すぞ。……ん?」

 町の方へ戻ろうとしたウィルだったが、そこでふと目に留まるものがあった。頭上に、何かがある。

「鳥か……?」

 何かの影のようなそれを、ウィルは目を薄めながらじっと凝視する。空を飛ぶ鳥にしては水平方向に殆ど進んでおらず、そして翼らしきものも確認できない。



「ーーーっ、ーーーーーてーーーー」


「あん?」


「助けてーーーーーっ! 誰か助けてーーーーーっ!」



 何処からともなく悲鳴が聞こえ、ウィルはようやく頭上にある影が〈空から落ちてくる人〉だと認識できた。


「お、おいっ、ちょっと待て助けてって……わ、わーーーーっ!!」

 その影が地上に近付くにつれ、解像度が上がりより鮮明に見えてくる。それが自分と同じ人間だと理解すると同時に、ウィルは慌てふためいた。あんな高さから落ちてくる人間を、どうやって助けろと言うのか。


「くそっ、どうにでもなれ……っ!!」


 ウィルは駆け出し、落下物の着地点と思しき位置へ走り出す。このまま見ているだけでは、目覚めが悪すぎる。せめて出来る限りの救助を試みなくては。草原の草花を蹴散らしながら、ウィルは必死に落下物の影を追いかける。


「ま、間に合ええええええっ!!」


 最早落下する場所は予測可能な程近付いている。ウィルは全力で走り、落下物と地面の間に滑り込んだ。


「ここだぁああああっ!!」


 思わず伸ばした両手に、とん、と軽い感触があった。その瞬間、ウィルの体感時間は何倍も遅くなる。



 腕の中に飛び込んできたのは、泣きじゃくった幼い子供。淡い金色の髪が衝撃に揺れて、陽光を反射し輝く光となっている。涙で潤んだ目と視線がかち合い、ウィルは思わず息を飲んだ。



「……っどわぁっ!!」

 見つめ合ったのはほんの一瞬。ウィルの腕に飛び込んできた子供を受け止めた衝撃で、二人は地面へ派手に倒れ込んだ。とは言え、あんな高度から落ちてきたものを受け止めて、打ち身だけで済んでいるのだから奇跡としか言いようがない。


「ってて……何なんだよ一体……!」




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