魔界王子只今修行中
葉庭すーこ
第1話 トロワ旅立つ
魔界、アズワーン。今日も空は薄曇りで視界は悪く、見上げる空は重苦しい灰色をしている。
そんな空の下、周囲を岩山に囲まれた大きな城がある。魔界を統べる王の居城、シュトラドーニッツ城である。
魔界の王、つまり魔王。その魔王は今、城内のとある広間にいた。正装に身を包み、堂々と立つその姿には身がすくむような威圧感がある。顔を隠すような鉄仮面を身に着けており、その顔立ちを窺うことを拒んでいる。
そして、その足元には光り輝く魔法陣が展開し、薄暗い広間を自らの光のみで照らしている。複雑な紋様といくつもの魔導式を書き込まれたそれは、この世界では<転
「ついにこの日が来たのだな……」
低く、噛み締めるような声で魔王は呟く。その横には、誰か別の人影が立っている。
小柄な体格に華奢な手足。淡い金色の髪が緩やかに頬にかかり、まるで周囲を照らす星のようだった。外出用と思しきケープを纏い、ハーフパンツから伸びる足を包むブーツも申し分ない。何よりも印象的なのは、自ら輝いているかのような大きな瞳。
「トロワ、我が息子よ」
「はいっ、お父様!」
名を呼ばれた少年、トロワは元気よく返事をする。
「お前ももう十六才。私の後継者となるべく、修行に出る日がやってきたのだ。……お前はこれからこの城を出て、一人で旅をしてくるのだ」
魔王の言葉に、トロワは興奮を抑えきれないとばかりに笑みを浮かべ、勢いよく腕を振り上げた。
「はい! 立派な魔王になるために、僕頑張ってくるね!」
「その意気だ、息子よ。……だが、今まで城の中でぬくぬくと暮らしてきたお前が、いきなり一人で旅をするのは流石に辛かろう。よって、この者を供として連れていくがよい」
魔王はそう言うと、僅かに身を引いて背後を示す。不思議そうな顔でトロワがそちらを見ると、そこに一人の少女が立っていた。青緑色の切りそろえた髪を腰まで伸ばし、黒を基調としたひざ丈のワンピースと白いエプロンを身に着けた彼女は、トロワを無言で見つめていた。
「はじめまして、トロワ様。メイドロイド『クラリス』シリーズ四番、クレシアと申します。トロワ様の護衛と、お世話をさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いします」
クレシアと名乗った少女は、抑揚の薄く硬い口調でそう言うと、ぺこり、と頭を下げ、全く同じ軌道で元の姿勢に戻った。
「僕の護衛? お世話をしてくれるの?」
トロワが訊ねると、クレシアは頷いて肯定する。
「はい。クレシアは、メイドロイドですので、護衛と、お世話をいたします」
「……ちょっと急がせすぎたな。まだ色々と調整が足りないみたいだが、まあいい」
魔王はぼそりと呟いたが、それを咳払いでかき消した。
「本当はもう何人か用意するつもりだったが、それでは修行にならないと思ってな。トロワ、お前ならお付きの者が一人でも大丈夫だな?」
「うん! 僕一人だと思ってたから、お手伝いしてくれる人がいるだけでも嬉しいな! クレシア、これからよろしくね!」
トロワは明るく言ってクレシアへ手を差し出す。それは挨拶としての握手を求めるものだったが、クレシアはそれを無視して再び頭を下げた。
「はい、クレシアは、お世話をいたします。どうぞ、よろしくお願いします、トロワ様」
「あはは、何だかクレシアって面白い子だね! これからの修行が楽しくなりそう!」
無視された手を引っ込め、トロワは楽しそうに笑う。そして、父である魔王へと向き直り、キリっと顔を引き締めた(つもり)。
「それじゃあお父様、僕は行ってきます! 次にここに帰ってくるときは、お父様の跡継ぎに相応しい僕になっているから、待っていてね!」
「頼もしい言葉、父は嬉しいぞ。お前が立派に修行を終えて戻ってくる時を、心待ちにしていよう」
鉄仮面の下で、魔王は満足げに頷いた。不意に、トロワは笑みを消す。そして、意を決したかのように父の胸にしがみついた。
「……甘えん坊のトロワは、ここに置いていくから。最後に抱き締めて、お父様……」
絞り出すようにねだる息子を、魔王はしっかりと抱き締めた。
「トロワ、愛しい息子よ……いつかこの日が来ることを、私は待ち望んでいた。それと同時に、恐ろしくも思っていた……私の腕から離れ、一人で歩いていくお前を、いつか見届けることが怖かった」
僅かな時間の抱擁を、魔王は自ら解いた。そして不安に揺れるトロワの瞳を、鉄仮面越しに優しく見つめる。
「だが、今のお前ならばきっと大丈夫だ。お前は大きくなった……もう私の腕のゆりかごから抜け出し、自らの足で立ち、歩いて行ける子になったのだ。こんなにも嬉しいことはない……」
「お父様……」
トロワは潤む目を瞬きで堪えて、ぴょんっと後ろに飛びのいて父の腕から離れた。
「甘えん坊はこれで終わり! 僕は立派な魔王になるために、今から修行に出るんだからね! じゃあクレシア、出発しよ!」
明るい笑顔に戻ったトロワは、脇に控えていたクレシアに呼び掛ける。
「はい、トロワ様。クレシアはお供いたします」
頷くクレシアと共に、トロワは魔法陣の上へと歩き出した。円心となる位置に立ち、そしてくるりと振り返る。魔法陣の外で見送っている父へ、トロワは精一杯の笑顔を向けた。
「じゃあ……いってきまーす!!」
元気な挨拶が響くと同時に、魔法陣が起動する。光は一層強まり、描かれる紋様に沿って魔力が巡り、物理法則を魔法によって書き換えていく。トロワとクレシアの姿は光に包まれ、音もなく霧散した。
トロワが消えた途端、広間は一気に暗く、重くなったような気がした。一人残った魔王は、暗い広間に佇み、そして項垂れる。
「……どうか、無事で。すまない……こんな父で、本当にすまなかった……」
奥歯を噛みしめるように、魔王は呟く。その言葉を聞く者はここにおらず、ただ突き刺すような静寂が返ってくるだけだった。
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