第2話 死霊術の使い手

暗闇の中を駆けるひとりの少女がいた。

艶やかな黒髪と透き通るような白い肌を持つ娘だ。

歳は十を過ぎたくらいの子供だが、その美しく整った顔立ちのためか、ときに大人の色香すら感じさせる。

髪と同じ色をした瞳からは彼女の意志の強さを窺い知ることできた。

だが、今の彼女はその美しい容姿とは対象的にひどい身なりをしていた。

薄汚れた白のワンピースに、泥にまみれた靴、腰には綻びだらけの革のベルトを巻き付けている。

更に今にも折れてしまいそうな細い肩にはボロボロの大きな荷袋を担いでいた。

なぜか見事な装飾の施された立派な短剣を腰に差しているが、他がみすぼらしいせいか返って滑稽に映った。


少女の名はリア。

世間からは『赤目の魔女』と呼ばれている。

世界を滅ぼした魔女の末裔とされ、国中で恐れられていた。

そして先日、ある村で騎士百人を虐殺した事により、彼女の存在はより恐ろしいものとして語られることとなった。

噂では四百余名の無力な村人の命をも奪ったともされている。

そんな彼女は迫りくる死の闇から逃れようと必死にあがき続けていた。

闇はその努力をあざ笑うかのように、彼女の前に立ちふさがり取り囲む。

まだまだ夜明けは遠いようだ。

しかし、彼女は諦めない。

なぜなら彼女の近くにはどんな闇でも照らしてくれる小さな光があったから。

そして、その光が必ず夜明けまで導いてくれると信じているから。



港街アンカーギャザリング。

ミスタリア王国の交易の拠点であるこの街は、魔物や無法者たちの侵入を防ぐためその外周を巨大な防壁で囲んでいる。

陸側からの入り口は二箇所だけで、そこでは街に入るための厳しい審査が行われていた。

街を守るための守備兵や傭兵の質も高く、不死王の侵攻の際には強力なリッチが率いる軍勢を返り討ちにしている。

また、魔物退治や遺跡探索などを生業にする冒険者と呼ばれる輩が数多く滞在しており、街に危険が迫れば積極的に手を貸していた。

そのような理由から、この街は戦力だけで言えば王都級のものを備えているのだった。



リアはそんな巨大都市の外で、追手から逃げ回っていた。

追手はリアを捕らえようと四方八方から執拗に襲いかかる。

村を出て一週間ほど、ずっとこんな感じだ。

しかし、その手がリアに届くことはなかった。


「はい、どーん」


場違いなほど呑気な声がしたかと思うと、リアに最も近い戦士風の男が後方に吹き飛ぶ。

その身体は大きく宙を舞い、彼の背後で弓を構えていた女に命中した。

弓使いは仲間を受け止めきれず、ふたりは地面を転がる。

次いでリアの正面から三人の衛兵が走り寄ってきた。

しかし、そのうち二人は先程同様、激しい衝撃を受けて吹き飛んだ。

衛兵は急に仲間が視界から消えたことに動揺しながらも、剣を振りかぶりリアに向かってくる。


「いけるか?」


リアはどこからともなく聞こえてくる声に頷き返すと、敵の動きに集中する。

今は深夜を回っており周りに光源もないため通常であれば何も見えないが、予め掛けておいた魔法の力によりリアの目には昼間のように明るく見えている。

一方、衛兵は左手に掲げた松明の灯りだけを頼りに攻撃を仕掛ける。

リアは腰の短剣を抜き、頭上から振り下ろされる剣を正面から受けた。

そして、そのまま身体を横にずらしながら衛兵の剣を短剣の刃で滑らせる。

リアのすぐ横を受け流された刀身が通り過ぎた。

剣の軌道を変えられたことで、衛兵は体勢を崩して前のめりになる。

その隙にリアは衛兵の脇をすり抜けた。


「ちっ!」


衛兵は舌打ちして、振り返りざまに剣を振るうがすでにリアの姿はない。

彼が追いかけようと一歩踏み出した瞬間、横っ飛びに吹き飛び壁に叩きつけられた。


「キリないなー」


呑気な声が再び響き、小さな影が素早く動く。

次の瞬間、リアを狙って飛んできた矢が次々と地面に落ちた。

その影は大きく跳躍すると、音もなくリアの頭に着地する。

小さな影は一匹のネズミだった。

身体の割に大きな耳に、つぶらな瞳。

口は常に開いており、どこか間の抜けたような表情をしている。

薄い茶色の毛がさわさわと風に揺れていた。

この喋るネズミの名はネンコ。

とある出来事がきっかけでリアとともに旅を続けている。

リアと出会うまでの記憶がなく、自分が何者かも分かっていないらしい。

謎の多い生き物だが、これまでの旅ではゆく先々でリアを危険から守ってきた。

彼がいなければ、今頃リアは生きてはいなかっただろう。

リアはそのようなこともあって、まだひと月ほどの付き合いにも関わらず彼に全幅の信頼を寄せていた。


「ネンコさん! 前に魔術師が!」


「あいつか」


『探索者』の魔法を使ったリア以上に夜目の効くネンコは真っ直ぐに敵に飛びかかる。

その時、魔術師の持つ松明から炎が矢のように放たれた。

炎は放物線を描きながらリア目掛けて飛んで来る。

ネンコは炎を迎撃しようと身構える。


「あたしは大丈夫だから、ネンコさんは魔術師を!」


リアはそう叫ぶと、水袋を傾けて左手を濡らし、短い言葉を口にする。

水に濡れた手が冷気を帯びる。

そのまま炎を払いのけるように真横に振るった。

炎と氷が衝突した瞬間、眩い火花が散り、炎は消え失せた。

リアは手に小さな痛みを感じたが、火傷を負ったわけではないようだ。

攻撃してきた魔術師はすでにネンコに倒されていた。


「ネンコさんは魔法に弱いんだから無理しちゃだめだよ」


「忘れてた」


この世界に存在するものは多かれ少なかれ魔力を持つ。

人間、動物に限らず植物やその辺に転がっている石ころさえも。

しかし、このネズミは全く魔力を持ち合わせていなかった。

これは魔法を使えないだけでなく、どのような魔法でも完全に影響を受けてしまうということを意味する。

例え低級な魔法でも下手に受けると致命傷になりかねないのだ。


走りながらもそんな話をしていると、背後から複数の怒声が聞こえてきた。

リアが顔だけ後ろに向けると、傭兵のような出で立ちをした男たちが思い思いの獲物を手に追いかけてくるのが見えた。


「前にもいるぞ。魔法を使いそうなやつが」


ネンコの言う方を見ると、百メートルほど離れた場所にフードを目深に被った女が立っていた。


(まずい!)


突然のことにリアは焦るが、魔術師との距離から自分はもちろん彼女の魔法も届かないと判断する。

そして、今の距離を保ったまま背後の追ってからも逃れるため、走る進路を変えようと速度を落とた。

しかし、リアの予想に反して、女は魔法を唱えた。

その動きは先程の魔術師とは比べものにならないほど、精錬されていた。

瞬きする間もなく魔法を完成させる。

女魔術師の手から複数の青白い光が飛び出した。

光の一つ一つには人の顔のようなものが浮かんでいる。


「ネンコさん! 逃げて!」


相変わらず頭の上にいるネンコに向かって叫ぶが、彼は動く気配がない。


「ネンコさん!」


リアは苛立ったように声を荒げるが、当の本人からは思いもよらない答えが返ってきた。


「たぶん、大丈夫だぞ」


「何言って……」


そうこうしているうちに、魔法の光が二人の方に向かってくる。

リアは体内の魔力を活性化させ、抵抗しようと試みる。

だが、死霊を連想させるその光は二人の横を素通りして、背後の追手に襲いかかった。

リアは足を止めて振り返る。

光は彼らの身体に入り込むと、一瞬だけ強く輝いて消える。

追手たちはその場で立ち止まり、武器を落とす。

目の焦点が定まっていない。

そのうち、寒くもないのに身体を震わせて、ガチガチと歯を鳴らし出した。


「ひぃいぃいい!!」


ひとりの追手が悲鳴を上げながら、背中を見せて逃げ出した。

それを見た他の連中も蜘蛛の子を散らすように退散していく。

彼らの姿は狂気じみており、何か恐ろしいものにでも出くわしたかのようだ。


「死霊術……」


リアが怯えた表情をする。

死霊術は、魔術師たちの間でさえ忌み嫌われる魔法である。

死者の使役、魂魄の束縛、病の伝染など、悪しき効果を持つものが多く、不死者や悪霊などが好んで使う。

まれにこの邪悪な術に魅せられる者もいるが、大抵が悲惨な末路を辿ることになる。


そして、リアはそんな邪法を行使する魔術師に助けられたことに混乱していた。

逃げようとも思ったが、足がすくんで動かない。

女はフードを脱ぐと優雅に歩を進めながらこちらに近づいてくる。

長く美しい銀髪が風になびいた。


「いい女だなー」


リアの心中を知ってか知らずか、ネンコは呑気にそのようなことを言う。

リアは少しむっとしたが、ネンコの言葉には同意せざるを得なかった。

すらりとした長身に、ローブの上からでも見て取れるほどの豊満な胸。そして、なまめかしい腰付き。

美女と呼ぶにふさわしい整った顔立ちからはどこか妖艶さを感じさせる。

女はリアから数歩離れたところで立ち止まると、声を掛けてきた。


「リア・ブランド様でよろしいですか?」


「そ、そうですが……あなたは?」


リアは女魔術師が自分の名前を知っていることに動揺しつつもなんとか言葉を返す。

女はリアの返事を聞いて、それまでの雰囲気からは考えられないほど可愛らしい笑顔を見せる。


「お初にお目にかかります。私はエミリーと申します。貴女を探しておりました」


「あたしを?」


「はい。我が主でありますラテリア様の命でお迎えにあがりました」


「ラテリア……あの大賢者の?」


「左様でございます」


リアの目が驚きのため大きく見開かれる。

魔法を学ぶ者でラテリアの名を知らぬ者はいない。

かの大賢者は強大な魔力と優れた頭脳を持ち、数々の災厄からこの国を守り続けてきた英雄である。

悪魔殺し、竜殺しなど多くの功績を持つ有名人だが、その素性はあまり知られていない。

遥か北方の魔法王国の王族だという者もいれば、太古の昔に栄えたという古代王国の末裔だという者もいる。

当の本人が自身の身の上については黙して語らぬため、全ては憶測でしかないのだが。

そんな著名な魔術師が自分のような小娘を探していたというのだから、リアが驚くのも無理なからぬことだろう。

エミリーは相変わらず優しい微笑みを浮かべている。

と、リアはいつの間にかエミリーの頭の上にネンコが移動していることに気づいた。

リアの顔がみるみる青ざめていく。


「ネ、ネンコさん、だめだよ!」


「もちゅーもちゅー」


リアの制止を無視して、ネンコはとぼけた鳴き声を出す。

何故か彼は完全にこの女魔術師に信頼し切っているようだった。

反対にリアは例え大賢者の名を出されても、死霊術の使い手である彼女を信用する気にはなれなかった。


「あらあら」


リアに言われるまで気が付かなかったのか、エミリーは困ったようなそれでいて嬉しそうな声を上げて、クスクスと上品に笑う。


「ネンコ様も一緒に来ていただけますか? あと」


エミリーはそこまで言うと、頭の上のネンコを両手で優しく掴んで、目線の高さに持ってくる。

彼女はその蠱惑的な瞳で幻術にでも掛けるかのようにネンコを見つめた。


「普通に話していただいても大丈夫ですよ?」


リアの身体に怖気が走った。

ほとんど無意識に短剣を抜き放ち、もう片方の手で触媒袋を探る。

ネンコがリア以外の人間の前で言葉を発することはない。

心通わせたバルザックやモニカですら例外ではなかった。

そう、知りようがないのだ。ずっと近くで監視でもしていない限りは。

そのことに気づいたときリアの心に恐怖と怒りが湧き上がった。


「どうして知ってるの!? 答えて!」


短剣の切っ先をエミリーに向けて語気を荒らげるリアの細腕は小刻みに震えている。

エミリーの目がすっと細められた。

二人の魔術師の間に張り詰めた空気が流れる。


「喧嘩するなよー」


その緊張を解いたのは他ならぬネンコだった。

掴まれたままの身体を捻ってリアの方に向ける。


「安心しろ。悪いやつじゃないから。実際に助けてくれただろ? たぶん信じていいぞ」


「ネンコ様!」


その言葉がよほど嬉しかったのか、エミリーは少し頬を赤らめて掴んだネンコを胸にぎゅっと押し当てる。

エミリーの豊満な胸に身体を埋めながら、はっはっはっとネンコは高笑いする。

表情は変わらないが少しニヤけているように見えなくもない。

そんな二人のやり取りを呆然と眺めていたリアだったが、やがて自分だけ緊張していることが馬鹿らしくなったのか、短剣を鞘に戻し構えを解く。


「ネンコさん! こっち来て!」


そして、怒ったような口調でネンコを呼ぶと、右手を広げて差し出した。

ネンコは何だよと文句を言いながらなかなか離そうとしないエミリーの手から逃れると、リアの手のひらに収まる。

今度はリアがまるで自分のものだと言わんばかりに両腕でネンコを抱え込んだ。

ネンコが迷惑そうな顔をするが見えたが気にしない。


「助けてくださってありがとうございます……それで、どこに行けばいいんですか?」


リアが少しバツが悪そうに礼を述べると、エミリーは笑顔で応えて手招く。


「こちらへ」


それだけ言うと、美しき死霊術師は街の防壁に向かって歩き出した。

リアとネンコはそれに付き従う。


「ほんといい女だなー」


前を歩くエミリーの艶めかしい後ろ姿を見てネンコが呟く。

リアはネンコを抱えた腕に力を込めてひと睨みすると前方に目を向ける。

まだ魔法の効果が残るリアの瞳にも暗がりを進むエミリーの姿がはっきりと写っていた。

魔力のないネズミには見えていないであろう美しい肢体から湧き水の如く溢れる強大な魔力も。


―――気を許しちゃだめだ。


幼い魔術師は自分自身に強く言い聞かせて、再びネンコを抱く腕に力を込める。

そして、いつしか三人の姿は闇に溶け、静寂だけがその場に残された。

闇はより一層深みを増し、天空の月は何も語らずただ静かに輝き続ける。

先程までの喧騒を隠そうとするかのように。

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