第2章

第1話 惨劇の跡

「これは……」


旅人風の男は馬上から目の前の光景を見て言葉を失う。

この国―――ミスタリアには四季があり、今は真夏。

現に日差しは強く、じっとしていても汗が吹き出してくる程だ。

しかし、男の目の前には雪に覆われた白銀の世界が広がっていた。

ひんやりとした冷気が彼の身体を撫でて、その光景が幻ではないことを伝える。


男の名はアルフォートという。

八年前、この国は不死王ザムートと呼ばれるリッチの侵攻を受けた。

アルフォートはその脅威から国を救った英雄のひとりだ。

彼はその功績により『不死王斃し』の称号を与えられ、ミスタリアの将軍として国に仕えていた。

しかし、とある出来事をきっかけに彼の立場は一変する。


―――レナス粛清


世間がそう名付けた事件は、辺境にあったレナス村の人々を王国軍が虐殺したというものだ。

赤目と言われる忌まわしき魔女の末裔が存在するという噂だけを理由に。

当時、将軍という身でありながら何も知らされていなかったアルフォートは、このことに憤慨して王であるライアスと決別した。

以降、事の真偽を確かめるべくレナス粛清で唯一の生き残りと言われる少女を追っている。

その少女は、四百年前、世界を滅ぼし歴史から姿を消したという赤目の魔女の末裔とされ、国からも追われている。


「リア」


アルフォートは魔女と呼ばれる少女の名を呟く。


「お前が……これを?」


夏の暑さの中、未だ溶けぬ雪と霜を見つめる。

彼は認めたくなかった。

赤目という存在を、そして、あの心優しい少女が世界を滅ぼすほどの力を秘めているという事実を。

アルフォートは身震いする。

それは、寒さのせいなのか、不安のせいなのか、彼自身でさえ分からなかった。



そんなアルフォートに馬を操り駆け寄ってくる一組の男女があった。

両者とも傭兵のような出で立ちをしており、戦い慣れた空気を身に纏っている。

彼らはアルフォートの前で馬を停めると、男の方が馬上から声を掛けてきた。


「真の騎士、アルフォート様とお見受けしますが、間違いないでしょうか?」


「いかにも、私はアルフォートですが……。貴方がたは?」


記憶を辿りながらアルフォートは答える。


「やはり!」


男は馬から降りて、地面に膝をついた。

女も遅れてそれに習う。


「申し遅れました。私は、クレイ、そして、こちらはアニマ。フォレスト・レギンスが領主バルザック様に仕える者です」


「お会い出来て光栄です」


二人はアルフォートに深々と頭を下げた。


「おお! バルザック公の」


アルフォートは馬を降りて、二人に立ち上がるよう声を掛ける。

バルザックとは八年前の不死王との戦いの折、共に戦った仲間だ。

自己保身に走る貴族が多い中、国のためにと先頭に立って戦いに臨んだ人物である。

仁義に厚く、アルフォートに一度、命を救われてからは、様々な局面で彼を支援してくれた。

前王ウォルフ・ダム・ミスタリアは彼の人柄と能力に信頼を置いており、最も広大で王都に近いノーブル・メイルの統治を一任していた。

彼はその政治的手腕を遺憾なく発揮し、自領をこれまでにないほど発展させ、ミスタリアの発展に貢献してきた。

終戦後は、王国南端のフォレスト・レギンスに異動になったため、顔を見る機会は減ったが、バルザックが王都に来訪した際は、自宅に招き酒を酌み交わしていた。

言われてみると二人の顔にも見覚えがある。

確かにバルザックの背後に控えていた。

おそらく、フォレスト・レギンス異動後にバルザックが雇用した者たちだろう。


「バルザック公はお元気ですか? もう二、三年お会い出来てませんが。ご令嬢のモニカ様は?」


「はい、おふたりとも変わりなく、バルザック様は相変わらずモニカ様に振り回されていますが」


アルフォートは小さなモニカに手を引かれて右往左往するバルザックを思い出して微笑む。

ひとしきり近況を伝え合った後、クレイは急に真剣な表情を作る。


「アルフォート様は、リアという少女をご存知ですか?」


アルフォートは自らの探す少女の名がクレイの口から出たことに驚いたが、彼女の手配書が国中に出回っていることを思い出す。


「まさかバルザック公も魔女狩りを行おうとしているのですか?」


アルフォートの口調が少し強くなる。

別にバルザックを責めているわけではない。

事情を知らぬバルザックには仕方ないことであり、王命に従うのは当然のことだ。

ただ、もし彼が動くのであれば、一度会ってこれまでの事の経緯を話し、魔女殺しを思いとどまらせたいと考えたのだ。

クレイはアルフォートの表情を見て、考えを汲んだのかはっきりと否定する。


「いえ、確かに我々はリアを探していますが、決して捕らえるためではありません」


「では、なぜ?」


怪訝な顔をする騎士にクレイは笑顔を返す。


「我々は、リアを……我々の恩人を救いたいのです」


そう言うと彼はアルフォートに事のいきさつを語り始めた。



「そんなことが」


ひとしきり話を聞いた後、アルフォートは唸る。

まさかバルザックたちがリアと関わっているとは夢にも思っていなかった。


(だが、運がいい)


バルザックと協力できるとは、なんとも心強い。

彼の知恵や人脈は頼りになるはずだ。

アルフォートの方もクレイたちに自らの目的を伝える。

向こうも驚くと同時に安心したような表情を見せる。

王国がリアを捕らえる前に彼女を保護する。

当面の彼らの目的は一致した。


「それにしても」


それまで黙って話を聞いていたアニマが口を開いた。


「これは、本当にあの子がやったんでしょうか?」


アルフォートとクレイは凍りついた村に目を向ける。

噂では吹雪が村を襲ったのは一週間ほど前。

ある旅人がたまたま目撃したということだった。

旅人は魔女が村人とそれを守ろうとする騎士団もろとも魔法で葬ったと話しているらしい。

その話は瞬く間に近隣の街や村に広がり、アルフォートたちの耳にも入ってきた。

彼らは王国が調査に動く前に現場に急ぎ、今に至る。


結局、誰もアニマの問には答えることができずに、ただ村を眺めていた。

しかし、その中でアルフォートだけは他の二人にはない葛藤を抱えていた。


(もし、リアが本当に国を、世界を滅ぼすほどの力を持っていたなら……)


アルフォートは知らず知らずのうちに、剣の鞘を掴む。

強力な炎の力を宿す魔剣は次第に熱を帯びる。

主の複雑な胸中を表すかのように。



ほぼ時を同じくしてフォレスト・レギンス領、領主の館。

その一室で、領主であるバルザック・サハールは長年愛用している椅子に深く腰掛け、命の恩人であるリアのためにこれから成すべきことを考えていた。

彼は王都で魔女狩りの命を受けた後、信頼する部下であるクレイとアニマにリアの捜索を任せ、自身は急ぎ自領へと戻った。

そして、領内の主要な者を集め、事の次第を説明し、魔女に危害を加えず保護するよう指示を出していた。

バルザックのこれまでの功績もあってか、誰もが彼の頼みに快く応じてくれた。

更に彼は手配書の一部を書き換えたものを作り、領民にばらまいた。

魔女に危険はないことを示す一文を付け足し、傷つけることなく捕らえるよう文章を直している。

バルザックはすでに魔女は生きたまま捕えて公開処刑にするよう国王に進言していた。

そのため今回の修正が国王や他の領主に知られたとしても特に問題はないと考えている。

そもそも彼が王に公開処刑を勧めたのは、リアがすぐに殺されることを防ぐためだ。

また、生け捕りであれば他領の領主に捕えられた場合でも、まだ助け出せる可能性が残る。

彼なりにやれることはやったつもりだった。

しかし……。


(この影響は大きいな)


彼はそう判断する。

今回の件は人々に魔女への恐怖を植え付けた。

すでに領内でも魔女討つべしとの声が広がっている。

魔女を保護しようとするバルザックのやり方に不満を抱く者も出ているようだ。

彼の計画は脆くも崩れ去った。


(だが、諦めるわけにはいかんな)


バルザックはすぐに気持ちを切り替える。

彼は国内では名高い政客である。

これまでもこの程度の障害は幾度となく乗り越えてきた。

計画は立て直しだが、まだまだ打つ手はある。

それよりも彼には気になることがあった。


(話が広がるのが早すぎる。事件からまだ三日も経たないうちにここまで届くとは……)


手配書が出回ったことで、国民たちは『赤目の魔女』に関して興味を持っている。

人々がこぞって今回の事件を広めようとするのは当然であり、話が広がるのも比較的早くなるだろう。

バルザックもそれくらいのことは理解しているが、ここから馬で十日はかかる土地で起こった出来事の話が、その二、三日後には領民たちの間で噂として囁かれていることに違和感を覚えたのだ。

聞けば、今回の事件の目撃者は旅人ひとりという話だ。

ひとりの人間から発せられた言葉が広大なこの国の隅々まで行き渡るにはもっと時間がかかるはずだ。

もちろん噂が間違っており、事件が起こったのはもっと前のことだった可能性もある。

しかし、バルザックはその可能性は薄いと考える。

この件に関しては何者かの思惑が潜んでいるような気がしてならなかったのだ。

魔女に対して悪意を持つ者の思惑が。


「その目撃者とやらを調べてみるか」


バルザックはそう呟いて椅子から立ち上がると、窓から外の様子を眺める。

すると、中庭を元気に走り回るモニカが目に入った。

無邪気に遊ぶ愛娘の姿に思わず頬が緩む。

彼女の手には小さなネズミの人形が握られていた。

王都から戻って知り合いの裁縫職人に頼んで作ってもらったものだ。

モニカは『ネンコちゃん』と名付けたその人形を片時も手放さない。

大好きなお姉ちゃんの真似をしたい、そういう年頃なのだろう。


リアが村を滅ぼした話はモニカにも伝わっていた。

いや、伝わってしまったというのが正しいか。

バルザックは隠しておくつもりだったが、使用人の話を聞いてしまったようだ。

しかし、モニカはそのことに対してショックを受けた素振りを見せず、こう言った。


―――何かわけがあったんだよ。リアお姉ちゃんは悪くない。


リアのことを完全に信じている様子だった。

正直なところバルザックは今回の出来事を聞いたとき、リアという人間を多少なりとも疑った。

やはり彼女は世界を脅かす、悪しき存在なのではないかと。

しかし、彼は娘の言葉を聞いて、命の恩人である少女を疑ってしまった自分を恥じた。

危険を犯して自分たちを助けてくれた彼女が理由なく人に手を掛けることなどあり得ないのだ。

どちらかと言えば、疑うべきは今回の被害者として取り上げられている騎士団の方だろう。

国王ライアスの息のかかった騎士など信用できるわけがない。

冷静に考えればすぐに分かることだ。


(リア、恩は必ず返すぞ)


バルザックは飽きることなく人形を振り回して遊び続けるモニカから目を離し、決意を新たに再び机に向かうのだった。

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