第35話 安息のために

リアとネンコの二人は呪われた村を出て、更に南へと歩を進めていた。

リアは村人たちの魂が無事に解放されたと聞いて上機嫌だった。

事の顛末を見届けたネンコの話ではリアが呪文を唱えた後、特に問題は起こらなかったらしい。

そのことは一層リアを喜ばせた。

村人たちを助けられたことはもちろんだが、自分の知識に間違いがなかったことが嬉しかったのだ。

今回の件で若く小さな魔術師は多少の自信を付けたようだ。

しかし、ネンコは計画の成功にはしゃぐ少女を眺めながら、眉間に小さなシワを作るのだった。


それからのんびりと二日ほど歩いたところで、二人は再び村を見つけた。

今度は呪われていたり、大量の骸骨が徘徊しているということはなさそうだ。

ある民家では昼の準備をしているのか開いた窓から煙が立ち上っている。

家の軒先では数人の大人たちが立ち話をしており、その周りを子供たちが元気に走り回っている。

建物は木製の質素なもので、村人たちの身なりも上等なものではないため、決して裕福な村ではないように見えた。

だが、規模としてはそこそこ大きく、少なくとも見える範囲にはかなりの数の建物が確認できる。

そんな村をリアは大木の陰に隠れながら遠巻きに見ていた。

その姿は警戒心むき出しの野良猫だ。

彼女は生きた人間を見るのはバルザックたちと別れて以来だったため、いささか興奮していた。


「どうしよう。ネンコさん」


先程からリアはこの台詞を繰り返している。

村に立ち寄るか決めようとしているのだが、なかなか決まらないのだ。

リアはどうしても村に立ち寄りたかった。

街道沿いの、しかもこれだけ大きな村ならば行き交う旅人を休ませるための宿があるはずだ。

久しぶりに硬い石の上以外の寝床で眠ることができる。

湯浴みもできるかもしれない。

石鹸を使って体を洗えるかもしれない。

食事も……普段ネンコが準備してくれるもので満足はしているが……きちんと味付けされた料理を食べれるかもしれない。

考えるほどに期待は膨らむ。

しかし、反面、不安も大きかった。

リアは自分の姿を確かめて頭を垂れる。

こんな姿で人前に出たらどう思われるだろうか。

誰からも相手にされないかもしれない。

助けてもらえないかもしれない。

場合によっては不審者として捕らえられてしまうかもしれない。


「どうしよう。ネンコさん」


結果、村に行くとも行かないとも言えず、リアは泣きそうな声で同じ言葉を繰り返した。

そして、その声をじっと腕組みして聞いていたネンコが遂に口を開く。


「よし。村、行ってみるか」


リアの心臓が跳ね上がる。


「い、行くの? ほんとに?」


「止めとくか?」


「うー……」


「行くか?」


「むー……」


涙目で頬を膨らませて唸るリアにネンコは呆れたような視線を送る。


「じゃあ、やっぱり止めておこう」


「なんで!?」


「お前のせいだろ! どうしたいんだ!?」


「分かったよ! 行けばいいんでしょ! 行けば!」


リアは理不尽な怒りをネンコ向けると、隠れていた木の陰から飛び出そうとする。


「おい、待て待て!」


突然のことに面食らったネンコだったが、慌ててリアの動きを止めた。


「なに!?」


顔を真っ赤にしてリアは振り返る。

おそらく、彼女なりにいろいろと考えたが、答えが出せないことがもどかしいのだろう。

ネンコに怒っているというよりは自分の優柔不断ぶりに苛立っている様子だった。

彼女はまだ十歳かそこらの子供だ。

理性より感情が先立っても仕方がない年頃と言える。

拳を握りしめて震えながら立ち尽くす少女を見ながら、ネンコは深い溜め息をつく。


「まあ、落ち着けよ。このまま出ていったらまずいだろ」


「じゃ、じゃあ、どうすればいいの……?」


怒った後は悲しくなったようで、涙に濡れる目を擦りながらぐずぐずと鼻を鳴らす。

忙しいやつだなと呟いて、ネンコはリアの頭に飛び乗った。

リアはネンコがそばに来てくれたことで安心したのか、少し落ち着きを取り戻す。


「落ち着いたか?」


「うん、ごめんなさい」


リアは照れたようにはにかみながら、素直に謝った。


「いいぞ、気にするな。それより、今から計画を説明するぞ」


「計画?」


リアが訊ねると、ネンコはゲヘヘと気味の悪い笑い声をあげる。


「ああ、良い考えがあるぞ」


リアはその自信たっぷりな様子に一抹の不安を覚えながらも彼の話に耳を傾けるのだった。



それから三十分ほど後、ふらつく足取りで村へと向かう少女の姿があった。

その目は虚ろで生気をまるで感じられない。

真っ黒な髪は狂気に侵されたように乱れ、青白い顔の半分を覆い隠している。

所々ほつれたワンピースは、泥と血に染まり本来の色を失っていた。

少女に気付いた村人の一人が短い悲鳴を上げる。

遊んでいた子供たちも固まったように動かなくなった。

そんな村の異変を察して、続々と村人たちが集まってきた。

しかし、誰も少女に近づこうとはせず、声すらかけることができない。

ことの成り行きをただ固唾を飲んで見守ることしかできなかった。


かなり長い時間そうしていたが、遂に少女が口を開いた。


「た……助けて……、魔物が……みんな、殺され……」


少女は息も絶え絶えにそう告げると、膝から崩れ落ちる。

そして、地面に突っ伏して、そのまま動かなくなった。

あまりの出来事にその場に居た全員がしばらく動けないでいたが、状況を理解した一部の村人が我に返って行動を起こす。


「おい! あの子をすぐに宿に運ぶんだ!」


「薬師様を呼んでくるわ!」


「近くにまだ魔物がいるかもしれない! 女子供は家から出るな! 男は武器を取って入り口に集合しろ!」


それまでの静けさが嘘のように村全体が騒がしくなる。


「もう大丈夫だからな」


一人の若者がぐったりしている少女に声を掛け、その華奢な身体を抱え上げた。

彼が触れた瞬間、少女はピクリと反応したが、またすぐに動かなくなった。

少女が生きていることを確信した若者は、ほっとしたような表情を浮かべると、急ぎ足で宿へと向かった。



若者は酒場の二階にある部屋に少女を運び込むと、備え付けのベッドの上に横たえた。

窓から入り込む真夏の日差しから少女を守るため、カーテンを閉めてやる。

そして、少女の容態を確認すべく顔を覗き込んだ。

彼女の寝顔は先程までのバンシーのような姿からは想像もできないほど美しかった。

相変わらず髪は乱れており、顔には血と思われる赤い斑点を付けているが、そんなことはもはや気にならない。


「……ルーク! ルーク!」


外から名前を呼ばれて、我に返る。

同時に村人たちの緊迫した声が耳に飛び込んできた。

ルークはもう一度少女の様子を確認すると、静かに部屋を後にした。



それから間もなくして、若い女性と老婆が勢い良く部屋に入ってきた。

相当急いで来たのか、ふたりの息は荒い。


「薬師様! この子が……」


女性はそこまで言うとぎょっとしたように言葉を切った。

少女が目を覚ましていたからだ。

彼女は薄暗い部屋の中、上半身だけ起こして、じっとこちらを見つめていた。

女性は先程までの少女の姿を思い出して一瞬怯んだが、勇気を出して声をかける。


「お、起きてたのね。具合はどう?」


「……大丈夫です」


村の娘はその答えに、ほっと胸を撫で下ろす。

無事が確認できたことよりも、まともな会話ができたことに対する安心の方が大きかった。

正直なところ、彼女はこの少女を妖精や魔物の類ではないかと少なからず疑っている。

そう思わせる雰囲気が少女にはあった。


「どれ、ちょっと見せてもらおうかの」


老婆はそう言ってゆっくりと少女に近づくと、診察を始める。

少女は老婆の指示に素直に従い、口を大きく開けたり、腕を差し出したりして容態を診てもらう。


「ふむ、特に身体に問題はないようじゃの」


一通り診た後、薬師はそう言った。


「細かい傷は多いが、そのうち消えるじゃろ。呼吸や心音にも問題はなさそうじゃ。ただ、気になるのは……」


老婆は少女の顔にぐいっと自分の顔を近づけた。

その様子に村娘はごくりとつばを呑む。


「この傷はここ二、三日で出来たものではないのう。お前さんが魔物に襲われたというのは、どのくらい前の話じゃ? ワシが診る限り、十日は経っていると思うのじゃが」


薬師である老婆は少女の身体の様子から、そう判断したようだ。

そして、それは外の状況を知る人間にとっては驚くべきことだった。

村や街の外は魔物や獣が跋扈する魔境だという。

不死王斃しの英雄たちの活躍により随分とましになったと人々は言うが、外の世界はまだまだ危険だ。

実際に村の外で魔物に襲われて命を落とした村人もいる。

そのため、余程の志や野望を持つ者でなければ、育った土地から離れようとはしない。

もちろん、冒険者や行商人といった旅を生業にするような人種はいるが、この国全体の人口の一割にも満たない。

そのような外界で幼い少女が十日も生きていられたことは奇跡としか言いようがない。


(やっぱり人間じゃないんじゃ……)


女性は怯えた表情をして、少し後ずさる。

しばらくの沈黙の後、少女が老婆に問いに答えた。


「思い出せません」


「ほう」


薬師が大きく目を見開く。


「あたしはどこから……」


そう言うと少女は頭を抑えて俯いてしまった。

細い体が風に吹かれた枯れ枝のように震えている。

その後も薬師はいくつか質問を投げたが、少女からは同じ答えしか返ってこなかった。

一生懸命記憶を辿ろうとしているようだが随分と苦しそうだ。


「薬師様、もうその辺で……」


女性は少女の辛そうな姿を見るに堪えなくなり、老婆にそう声をかける。


「ふむ。そうじゃの。完全に記憶をなくしておるようじゃ。自分の名前さえ……。よほど恐ろしい目にあったのか」


老婆の方は幾分冷静のようだ。


「何にせよ、このまま放り出すわけにもいくまいて。しばらくは村で面倒を見るしかなかろう。記憶はそのうち戻るかもしれんしな」


老婆はゆっくりと少女から離れて出口へと向かう。


「村長にはワシから話しておこう。マイ、お前はその子を風呂に入れてやりなさい。あと何か服も準備してやりなさい。……ああ、あとその子は間違いなくただの人間じゃから安心するがええ」


そう言って、老婆はにやりと笑った。


「分かりました」


女性は老婆に自分の胸の内を見透かされた気がして苦笑いを浮かべる。

薬師が去り、部屋にはマイと少女の二人きりになった。

少女は少し困ったような表情でマイを見ている。

マイは大きく深呼吸する。

そして、彼女に笑顔を向けた。


「よし! お風呂入ろ!」

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