第14話 魔女の決意

リアとネンコがゴブリンを退治してから丸三日が過ぎていた。

雨は以前ほどの激しさはないものの相変わらず降り続いており、大地に生きるものに恵みを与えていた。

リアはこれまでの旅で余程憔悴していたのだろう、初めの一日はなかなか起き上がることができないでいた。

しかし、若いリアの回復は早く、二日目の朝を迎える頃には失った体力と気力を完全に取り戻していた。

一方のネンコはたまに外に出てはウサギなどの小動物を獲っていた。

獲物はネンコが手に入れた短剣を使って捌く。

手際よく獲物を解体していく姿に、リアは感心したものだった。

そして、ネンコは気が向けば下ひた笑い声を上げながら飽きることなく金貨と戯れていた。


洞窟は下等な生物であるゴブリンがねぐらにしていたこともあって、多少の不衛生さは覚悟していたのだが、食べかすや排泄物などなく綺麗に手入れされていた。

おそらくリーダであり魔法使いであったゴブリンの指示であろう。

ゴブリンにしては高い知能を有した彼は人間のように清潔で快適な生活を望んだのだ。

そのおかげで洞窟内の生活は快適で、二人は充分な休息が取れていた。

もういっその事ここに住み続けようかとリアが本気で考えた程だ。

だがそれは現実的ではなく、落ち着いたらいずれは出ていかなければならないことくらいは子供のリアでも理解はしていた。

このような場所は陽の光を嫌う魔物にとっては絶好の棲家である。

今回はゴブリンだったが、次はどんな魔物が寄り付くか分かったものではない。

ネンコがいれば余程強力な魔物でない限り撃退できると思うが、リアは今回の件でネンコとて万能ではないことを知った。

次にネンコが何かしらの方法で無力化された時、今のリア一人の力でなんとかできるとは思えない。


今回、ネンコがゴブリンの『誘眠』の魔法にかかってしまった原因は、ここ最近の睡眠不足、つまりは疲労と考えられた。

よくよくリアが話を聞くと、この洞窟を見つける前まで、ほとんど眠っていないようなのだ。

徒歩での移動、食料や薪の調達、夜間の見張り、そしてリアの話し相手……言われてみればリアはネンコが眠っているところを見たことがない。

そして、ネンコがやっていることは全てリアのためなのだ。

そのことに気づいた時、リアはネンコに対する感謝と申し訳無さで胸がいっぱいになった。

しかし、それと同時にひとつの疑問が湧き上がった。


(なんで見ず知らずの私にここまでしてくれるんだろう?)


ネンコに直接聞いてもみた。

しかし、納得できるような回答は返ってこなかった。


「大人が子供の面倒を見るのは当然だろ?」


ネンコはそう言うのだ。

はぐらかされているとしか思えないが、余程言いたくないことなのだろうと思いリアはそれ以上追求しなかった。

そして、理由は判らないが疲れていることを隠してまで、自分のために尽くしてくれるネンコにいつまでも甘えるわけにはいかないと考えた。

リアはネンコが安心して眠れるようになるくらいには強くならなければならないのだ。

それに……とあまり考えたくない言葉も脳裏をよぎる。


(……魔法を使えるだけじゃダメだ)


魔法は確かに効果は絶大だが、使用するための制約が多すぎる。

今のリアにはどんな時も即座に自分の身を守るための力を身に付ける必要があった。

リアは金貨に頬ずりするネンコを見つめながら、ある決意を固めていた。



「戦い方を教えてほしい?」


リアはコクコクと頷く。

ネンコは表情はないが、明らかに驚いた感じだ。

夕飯時、リアはネンコに思い切って自分の提案を投げかけていた。


「なんで? 別にお前は戦わなくてもいいだろ? オレいるし」


「でもネンコさんだって疲れちゃうこともあるよね? それで魔法にもかかっちゃったし……」


「あー……」


ネンコを責めるつもりはなかったのだが、リアの言葉にネンコが落ち込んだような素振りを見せたので、慌てて言葉を繋ぐ。


「そ、それに、私が少しでも強くなったほうがネンコさんも安心だよね? もうネンコさんに心配かけたくないんだよ」


「いやー、そもそもお前が戦うというのが……」


「だって!」


リアは強い口調でネンコの話を遮る。


「だって……ネンコさん、いつまで一緒にいてくれるか判らないもん……。そしたら、独りで生きていかなくちゃいけないもん……」


最後の言葉はあまり口に出したくなかったのだろう。

強かった口調は消え入るように小さくなり、ついには下を向いてしまった。


そんなリアをしばらく見上げていたネンコは大きなため息をついた。


「分かった」


ネンコの言葉にリアは顔を上げる。


「でもなあ。オレとお前じゃ力も体格も違いすぎて何を教えればいいものかって感じだな」


ネンコは少し頭を横に傾けて、黙りこむ。

リアにもそれは分かっていた。

ネンコの戦い方は人間が真似できるようなものではない。

相手が反応できない程の速度で移動し、死角から殴る。

その攻撃の全てが不意打ちであり、威力はおそらく中位、下手をすると上位の破壊魔法に匹敵する。

魔法の詠唱なしで上位魔法を乱発しているようなものだ。

リアはまだ一度しかネンコの戦いぶりを見たことがなかったが、自分なりにそう分析していた。

しばらくの時間、二人は考え込んでいたが、やがてネンコの方から口を開いた。


「まずは相手を倒すことより、生き延びることだよな」


リアはネンコの方に顔を向け次の言葉を待つ。


「そのためには、攻撃を受けないければいいんだよな」


ネンコはそこまで話すとリアに立ち上がるよう促し、自分は集めた薪の中から手頃な大きさの木の枝を手に取るとリアと一定の距離をとって対峙した。

ネンコはまるで剣を扱うかのように木の枝を軽く振る。


「避けろよ?」


リアはネンコがやろうとしていることを理解してひとつ頷くと身構える。


突然ネンコの姿が視界から消え失せた。

そしてその直後、リアの長い黒髪が凄まじい風圧を受けて舞い上がった。

一瞬、目の前にネンコが振ったであろう木の枝が見えたが、リアは身じろぎひとつできない。

突風はそのままリアの肩口を走り抜けた。

リアの全身から冷たい汗が吹き出す。


「見えたか?」


リアの背後からネンコの声がした。

あまりの衝撃にリアはしばらく返事ができなかったが、やがて首を横に振った。

恐ろしい速さだった。

そして、端から見ただけでは感じることのできなかったその圧力。

次元が違いすぎた。

リアはその場にへたり込む。

ネンコはまあそうだろうななどと呟きながら、地面を木の枝で叩いている。


「でも続ければ効果はあると思うぞ」


放心しているリアを気遣ってかネンコはそう声をかけた。


「そのうち目が慣れる。攻撃に対する集中力も身につく。そうすれば身体が動かせるようになる」


更にネンコは言葉を続ける。


「魔法を使うときってかなり集中するんだろ? それを相手の動きを追うことに応用できたらいいんだろうな」


魔法を使うときのように……。

リアは何かを理解したように立ち上がり、ネンコの方を振り向いた。


「もう一回いい?」


「いいぞ」


リアは再びネンコの攻撃に備え身構える。

そして、ネンコの持つ木の枝に意識を向ける。

深く深く集中する。

そのうち、リアには燃え盛る焚き火の音さえも耳に入らなくなった。

その様子をじっと見ていたネンコが「おや?」と小さく呟いた。

その後しばらくネンコは何かを考えているようだったが、ゆっくりと木の枝を持ち直すと再度視界から消える。


―――左!!


しかし、リアは一度見失った木の枝を視界の端に捕えていた。

ネンコの一撃はまだ完成おらず、木の枝がリアの顔に迫る。

とっさに左腕で攻撃を防ごうとしたが、腕が上がり切る前に風圧がリアの顔面を襲った。

かろうじて動きは追えたが、身体は間に合わなかったのだ。

リアは集中を切って、大きく息を吐き出す。


「やるなー、お前」


感心したようにネンコは言った。


「反応できるとは思わなかったぞ」


リアは照れた笑いを浮かべた。

しかし、その後も同じことを繰り返したが、結局ネンコの攻撃を防ぐには至らなかった。

かろうじて反応するのがやっとである。

十回を過ぎた頃には、リアは心身ともに疲れ果ててしまっていた。

荒く息を吐きながら、膝を抱えるようにして地面に座り込む。


「まあ、そのうちできるようになると思うぞ」


「そうかなあ?」


「ああ、でももう少し遅いので練習したほうが現実的かもな」


そう言うとネンコは左へ右へとステップを踏みながら枝を振ってみせる。

その動きは確かに素早いものであったが、リアの目で充分に追うことができた。


「あと次からはお前も武器を使った方がいいな」


ネンコは焚き火の近くに置いてある短剣に目をやる。


「剣を腕で受けたら、危ないからな」


そうだねとリアは呟き、立ち上がって短剣を拾い上げる。

武器としては少々心もとないがないよりはマシだろう。

リアが短剣を鞘から抜くと美しい刀身があらわになった。

戦闘の訓練を受けていないため持ち方すら分からないが、それとなく構えてみる。


「いいねー、強そうだぞ」


ネンコはそう言うと木の枝を真横に構える。


「やるか」


「うん」



ネンコの言うようにある程度人間に近い速度で訓練した方が効果があるようだった。

連続して繰り出される攻撃を受け流し、時には身をかわす。

リアなりに短剣の扱いを考えて、いろいろと試してみる。

失敗した場合は、どうすれば良かったかをじっくりと話し合った。

二人はその日から毎日のように試行錯誤を繰り返しながら稽古に励んだ。

その姿は師弟というよりは、仲の良い親子のように見えるのだった。

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