第15話 ネズミと魔法

リアは剣の訓練をしていない時は、もっぱら例の魔法書を読みふけっていた。

読み進めていくうちに、この書の著者であるヴァン・ランカースという人物がかなりの力を持った魔法使いだったことが分かった。

魔法はその難易度によって、第一位から第八位まで分けられている。

過去の書物には第九位の魔法と思われる記述も見られるらしいが、現在誰も扱える者がいないため、作り話の類ではないかという説が有力だ。

更に魔法は火術、水術、風術、土術、防護術、死霊術、占術、変成術、幻術、心術といった系統も持っている。

魔法の体系はそれだけで一つの学問となり得るほどに複雑なものなのだ。

更に、魔法には神から授かるものがある。

その魔法は神聖術と呼ばれ、過酷な試練に耐えた敬虔な信者のみが扱うことができる。

リアの扱う魔法とは全く別種のものだ。


今リアが目にしている魔法書には、第五位までのほぼ全ての系統の魔法が記載されているようだった。

そして、驚くべきことに第六位の魔法についても二、三の記述がある。

第六位の魔法ともなれば、一瞬で大勢の人間の運命を変えるだけの力を持つ。

リアは手に入れた魔法の恐ろしさに身震いした。

しかし、それと同時に強い力を手にしたことに感動と興奮を覚える。


(まだ使うことはできなけどね)


触媒も魔力も不足しているためすぐに扱うことはできないが、それでも魔法使いである以上いつかは試してみたいと思う。


そんなリアは魔法書の中でも今の状況で使うことができる魔法を片っ端から唱えていた。

第一位から第三位程度の魔法であれば、触媒は周りにある物で事足りる場合が多い。

地面に落ちている石や木の枝、洞窟内を吹き抜ける風、焚き火などを使えばいいのだ。

一つ一つの所作と呪文を確認しながら、順調に扱えることを確認していたリアだったが、ある魔法でつまずくことになる。


「炎の矢」


第一位の火術である。

触媒とした火元から、狙った目標に向かって炎を矢のように飛ばすというものだ。

以前、リアはこの魔法を使った経験があったため、軽い気持ちで唱えてみたのだが……。


(おかしいな……)


何度唱えても、触媒が反応しない。

魔法は失敗することがある。

術者の魔力、所作、触媒、言葉のいづれかが充分でなかった場合だ。

このうち所作は魔力、集中力を高め、魔法の効果を上げるためのものなので、行わなくても魔法は使用できる。

他の三つについては、揃っている必要があるがリアのそれは完璧なものだった。

また、失敗するにしても元となる触媒は何らかの反応を見せるはずだった。


そういえばとリアは思う。

「発火」の魔法を唱えた時に毎回かすかだが違和感を感じていた。

小さな火種を創りだすだけの単純な魔法だが、何故か気持ちが落ち着かなくなり失敗しそうになるのだ。


(そうか、あたしは)


リアは一つの結論に至った。


―――火が怖いんだ。


おそらく村を焼かれた時のことがトラウマとなったのだろう。

炎はリアにとって恐怖の対象となっていた。

心の奥底に潜む感情を制御するのは難しい。

リアは火術の魔法を使うことを無意識に拒否していたのだ。


リアは気持ちを落ち着けるように静かに目を閉じる。

扱えない魔法ができたことはショックだが、「火術」以外にも魔法はたくさんある。

そもそもリアがあまり得意ではなかった系統だ。


「別にいいや」


自分自信に言い聞かせるように、そう呟く。


(そんなことよりも)


彼女はネンコに視線を移す。

リアの澄んだ瞳に必死に金貨を磨く、ネンコの姿が映った。

欲の塊のような姿にリアは苦笑いを浮かべるが、すぐに表情を引き締める。

リアはネンコがゴブリンの魔法に掛かってしまったことがずっと気になっていた。

ネンコは疲労のせいと言ったが果たしてそうだろうか。

リアはそのことを確認する必要があると考えていた。


(嫌な予感がする)


リアはゴブリンの魔法使いが残した蝶の鱗粉をひとつまみして、蝋燭の火を消すように息を吹きかけた。

吐息により鱗粉は宙を舞い、焚き火の灯りに照らされて輝く。

ネンコは大きなくしゃみをしたが、気づいていないようだ。

リアは小声で魔法の言葉を紡ぐ。

魔法が完成した瞬間、ネンコが金貨を抱えたまま横に倒れた。

これによってリアは確信する。


(ネンコさんには魔力がない!)


この世界に存在するものは全て魔力を持つ。

生き物は勿論だが、その辺に転がっている石ころにさえ魔力は存在するのだ。

それが、ネンコには全く感じられなかった。

当初、リアはネンコの強さを魔力によるものと考えていた。

膨大な魔力で身体を強化し、戦っているのだと。

普段は抑えているが、要所要所で魔力を放出しているものと思っていたのだ。

そうでなければ、あの小さな手足であれだけの破壊力を出すことは物理的に不可能だ。

実際に実体の無い精霊や恐るべき力を持つ魔神は、常にその身に魔力を纏い見た目以上の力を出せるという。

人間も変成術を使えば、一時的に肉体を強化することは可能だが、その効果は長くは持たない。

そのため、ネンコの力の源泉は分からないが、そんなことはどうでもいいことだった。

問題は……。


(魔法に対する抵抗力がないから、どんな魔法でもかかっちゃう……)


リアは青ざめる。

生物は外部から魔法を受けた際、身体の中の魔力を活性化させ、害になる魔力に抵抗しようとする。

それにより魔法が効かなかったり、効いたとしても効果を半減させたりといったことができる。

しかし、魔力がない場合はそうはいかず、全ての魔法の影響を完全な形で受けてしまうことになるのだ。

火術、水術などの直接傷を負わせる魔法は、ネンコの生命力があれば死ぬことはないだろう。

だが、変成術や心術、幻術の魔法には心を壊したり、場合によっては死に至らしめる魔法もある。

ヴァン・ランカースの魔法書に書かれている第六位の変成術「存在消去」は物質を原子分解することで消し去ってしまう。

後には死体さえも残らないのだ。

そういった高位の魔法でなくとも、今回の「誘眠」や対象の動きを封じる「束縛」でも確実に無力化されてしまう。

もっとも普通の生活をしていれば、魔法による攻撃などそうそう受けることはない。

そもそも魔法使い自体が珍しいものであるし、魔法を使う魔物などと戦う機会などないからだ。

しかし、今は旅の途中である。

どんな災難に遭うか分からない。


リアは眠っているネンコに駆け寄り、しゃがみ込む。

ネンコはかなり深く眠っているようで全く起きる気配がない。

魔法の効果を完全に受けてしまっている証拠だ。

リアはネンコを起こそうと名前を呼びながら、指で頬をつついた。

しばらくそうしているとネンコが目を覚ました。


「……んあ? 寝てたのか?」


目をこすりながら起き上がる


「どうした? 泣きそうな顔して」


リアはネンコが魔法にかかった時のことをいろいろと考えてしまい、悲しくなってしまったのだ。

リアは自分の想像力の豊かさに呆れながらも、ネンコに魔力がない事実を告げる。

そして、それによる弊害も。


「そうか……」


ネンコも自分に魔力がないことに衝撃を受けているようだった。

リアもそんなネンコが見ていられず顔を伏せる。


「じゃあ、オレは空から星を降らせることができないのか?」


予想外の言葉にリアは顔を上げる。

ネンコは小さな身体を震わせながら言葉を続けた。


「オレは、お前から魔法を教えてもらって、空から落とした星を受け止めたかったんだよ」


「えっと……ネンコさん?」


「どうなんだ? できないのか?」


その目は真剣そのもので、リアは返答に詰まる。


「……う、うん。でも、問題はそこじゃなくてね。魔法に抵抗できないことなんだよ?」


「まあ、それはなんとかなるだろ」


即答するネンコにリアはぽかんと口を開ける。


「だ、だって魔法使われたら、絶対にかかっちゃうんだよ? あっさり死んじゃうかもしれないんだよ?」


ネンコは大きなため息を吐くと、やれやれと呟きながら首を振る。

リアはその態度に軽い苛立ちを覚えたが、黙ってネンコの次の言葉を待つ。


「魔力がなくても魔法なんか効かないし」


「え……でも実際……」


「あれは本気を出してなかったからだ。見てろ」


そう言うとネンコは軽く手を振ってリアに離れるよう促す。

その指示に従い、リアは後ずさるようにしてネンコとの距離を取る。

ある程度離れたところで突然ネンコの身体から凄まじい圧力が発せられた。

ネンコは微動だにしておらず、身体にも何の変化もない。


(魔力じゃない! この力は……!)


気を抜くと意識を失いそうになる。

大気が震え、地面が揺れているのではないかと錯覚する程の圧力だ。

ネンコを中心に見えない力の奔流が巻き起こっているようだ。

リアは近づくこともできない。


「よし、魔法を掛けてみろ」


尊大にネンコが指示を出す。

リアは頷き、『誘眠』の魔法を唱える。

詠唱の途中で何度も意識が飛びそうになるが、どうにか魔法を完成させることができた。

途端に空気が軽くなり、ネンコが横に倒れる。


「……寝ちゃった」




その後、リアはネンコを叩き起こし、説教を始めた。

ネンコも事の重大さに気づいたらしく、オロオロしながら「やべえ」と連呼している。


「これで分かったよね!? どんなに本気を出してもネンコさんは魔法にかかっちゃうの!」


「やべえ!」


「今回は眠らせる魔法だったけど、即死の魔法だったらどうするの!?」


「やべえ!」


「星を受け止める前に、考えないといけないことあるよね!?」


「やべえ!」


傍から見ると会話になっているのか怪しいものだが、ネンコが危機感を持ったは間違いないようだった。

しばらくやり取りを続けた後、リアは水袋の水を一気に煽った。

水は生ぬるく、決して美味しくはなかったが、リアの気持ちを落ち着けるには充分だった。

水袋はゴブリンの一匹が持っていたものだ。

ゴブリンが口を付けたものを使用するのは抵抗があったが、背に腹は変えられない。

ネンコが雨の中、川まで戻って丁寧に洗い、殺菌と称して飲み口を軽く火で焼いているため、おそらく大丈夫だろう。


「まあ、魔法を使う前に倒せば大丈夫だろ」


ネンコも落ち着いたようで、そんなことを口にする。

軽い物言いだが、間違ってはいない。

ネンコの身体能力ならそれが可能だ。

しかし、万全ではないとリアは考える。


(あたしが魔法からネンコさんを守らないと!)


ネンコには魔力も魔法の知識もない。

そんな彼を守れるのは自分だけだ。

リアは再び金貨と戯れ始めたネンコを横目に見ながら、有効な魔法はないかと魔術書をめくる。


この日からリアはこれまで以上に魔法の修練に励むようになる。

強くて優しい小さな友人の命を守るために。

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