第13話 騎士と魔獣
馬にまたがった青年が憂鬱そうに目の前に広がる森を眺めていた。
草色に染め上げられたチュニックに、藍色のズボンを身に着け、腰には炎を連想させる装飾の施された長剣を下げている。
また、チュニックの隙間からは真の銀で編まれた鎖帷子が見え隠れしており、これらの装備が彼がただの旅人ではないことを物語っていた。
見るものが見ればその装備に見合うだけの力の持ち主であることも分かるだろう。
青年はアルフォートだった。
そして、その眼前に立ちふさがる森は魔獣の森である。
森の中は日が昇っているにも関わらず薄暗く、踏み入ったが最後、二度と戻ってこれないような不安な気持ちにさせる。
アルフォートが王都を発ってからすでに三日が過ぎていた。
彼は苦笑いを浮かべる。
実のところレナス村には前日に到着していたのだ。
しかし、レナス村唯一の入り口は騎士によって封鎖されていた。
襲撃の後始末と例の赤目の魔女の調査のためだろう。
それでもアルフォートが身分を明かして騎士を説得すれば、村に入ることはできたはずである。
今は将軍職を退いているが、彼は救国の英雄なのだ。
この国で騎士を名乗る者のほとんどが真の騎士であるアルフォートにある種の憧れを抱いていると言っても過言ではない。
しかし、アルフォートは今回のいざこざに他の者を巻き込むことを恐れたため、そうしなかった。
王は村を調べて来いなどど言っていたが、実際はアルフォートを村に入れたくはないはずだ。
襲撃に対して異を唱える者に現場を調べて回られるのは気分のいいものではない。
いらぬ弱みを握られるかもしれないからだ。
それを許可無く入れたとなれば、ここにいる騎士たちは咎められ刑に処されるだろう。
そのため、彼は隠れるように街道から外れ、騎士たちの目の届かないところまで森を迂回するように進む羽目になった。
更には魔境として悪名高いこの森を抜けなければならないという始末である。
アルフォートは自分の人の良さに呆れながらも、乗ってきた馬を手頃な木につなぐ。
草木の生い茂る森では馬より徒歩のほうが安全に行動できると考えたからだ。
幸いこの付近は野草が多く生息しているため、馬が食事に困ることはなさそうだった。
準備を終えたアルフォートは馬のたてがみを一撫ですると、意を決して森へと歩を進めた。
二時間ほど歩いたところで、アルフォートは何者かが争ったような跡を見つけた。
先日の大雨で地面はぬかるみ、陽の光のほとんど届かないこの森では雨水が乾ききっておらず至る所に水たまりができていたが、余程激しい戦いだったのか、人間の足跡やとてつもなく大きな獣の足跡がかろうじて残っていた。
アルフォートは親友であり自分と同じ不死王斃しである吟遊詩人マースの姿を思い出しながら、慎重にその痕跡を調べていく。
マースは歌い手であると同時に優秀なスカウトであった。
その能力にアルフォートたちは何度命を救われたか。
特に彼の罠を察知して解除する技術は芸術の域に達していた。
高名な魔術師であるクエンス・ブランドがマースの仕事ぶりを見て魔法のようだと賞賛したほどだ。
しかし、それほどの力量を持ち、巷では『勝利の導き手』などと大層な二つ名で呼ばれていたマースだったが、本人は至って自由でお気楽な性格だった。
地位や権力に興味がなかった彼はこの国が平穏を取り戻すと、自分は用なしとばかりにさっさと旅立ってしまった。
「いい詩ができたよ」
別れの際に残した言葉はいかにもマースらしかった。
アルフォートはそんなマースから聞きかじった知識をもとに作業を進める。
雨によりほとんどの痕跡は流されて失われていたが、それでも近くの茂みから頭部を砕かれた騎士の死体を見つけ出した。
死体の状態を確認してアルフォートは推理する。
(背後からの不意の一撃といったところか……おそらく即死だろう)
そして、その攻撃は人間の仕業ではないことも分かった。
どちらかというと大型の獣の所業だ。
更に死体を調べ、左の二の腕が青黒く変色していることに気づく。
(これは凍傷だな。魔法か)
アルフォートは直感的にそう判断する。
このようなところで凍傷を起こすなど魔法の力としか考えられないからだ。
この騎士以外の何者かが戦いの際に仕掛けたものだろう。
更に周辺で空の水袋を見つけたことでアルフォートの予想は確信に変わる。
水を触媒にして魔法をかけたのだ。
アルフォートはこの騎士が何者かと争っている間に、背後から大型の獣に不意を打たれて殺されたと結論付けた。
そして、その何者かも獣もまだ生きており、別々の方向に移動しているようだった。
スカウトとしては素人であるアルフォートに分かることはこの程度だったが収穫はあった。
それはアルフォートにとっては決していいものではなかったのだが。
(赤目の末裔……本当にこの村にいるのか?)
騎士と戦ったのはレナスの村人である可能性が高い。
更に十分に訓練された騎士の背後に忍び寄り一撃で葬るほどの怪物に遭遇し、生き延びている。
アルフォートがそう考えるのも無理のない話であった。
アルフォートは一抹の不安を覚えながらも村の方に向かって再び歩き出した。
魔獣は苛立っていた。
先日折られた足が歩く度に悲鳴を上げる。
砕かれた顎が食事の邪魔をする。
全てはあの女のせいだった。
この森の支配者である自分を凌駕する圧倒的な力を持った少女。
打ちのめされた当初は恐怖に怯え、自分のねぐらである洞窟でただただ震えて過ごした彼だったが、痛みが引くに連れ怒りと憎しみがこみ上げてきた。
その矛先は今や人間全体に向けられていた。
(治まらぬ……)
顎の痛みをこらえながら魔獣は唸る。
敗北の屈辱を晴らす手段を考えながら、魔獣は森を彷徨っていた。
そして、目に止まった生けるものを片っ端から殺して喰らった。
しかし、魔獣の気は一向に晴れない。
(やはり人間でなければ……)
敢えてこの森に入ろうという愚かな人間はほとんどいない。
実際に彼がこれまでに人間に出会った回数はそう多くなかった。
人間は非常に旨く、彼にとってはご馳走なのだが、たまにしか食べられないから価値があると彼は考えていた。
そのため自分から森を出て積極的に人間を襲うことをしなかったのだ。
だが、今は違った。
(ここを出て人間どもの棲家を襲うか)
魔獣はこれまでの自分の考えを曲げねばならぬほど人間の味に飢えていた。
そう考えて彷徨う魔獣の目に一人の人間の姿が飛び込んできた。
魔獣は狂喜する。
遂に見つけたのだ。
念願の人間を。
残念ながら探し求める少女ではなかったが、今の彼にはそれは些細なことだった。
目の前の人間を引き裂いて、噛み砕いて、血を啜る。
それしか頭にない。
魔獣は邪悪な笑みを浮かべると、標的に向かって猛然と飛びかかった。
足は三本しか使えないが、魔獣には蝙蝠の翼がある。
この翼は長時間の飛行には向いていないが、跳躍距離を伸ばし、素早く移動することができる。
魔獣は翼を二、三度羽ばたかせ、勢いを付けて加速した。
普通の人間であれば、反応できないであろう速度だ。
(負けるわけがないのだ)
あの少女は例外中の例外であり、所詮人間などという弱者は餌でしかないのだ。
自分が人間に敗れるなど何かの間違いなのだ。
魔獣はそのようなことを考えながら、自分の欲求を満たすべく餌めがけて飛びついた。
アルフォートはすぐに自分めがけて突進してくる魔獣に気づいた。
腰の長剣に手を掛け、その様子を冷静に観察する。
魔獣は痛々しいほどに負傷していたが、闘争心は衰えていないようだった。
それどころか何処か狂気じみており、凄まじい殺意を感じさせた。
(だが、それだけだ)
アルフォートは魔獣の猛進を、軽く右にステップを踏んで躱すと、すれ違いざまに剣で翼に斬りつけた。
狙いは違わずアルフォートの剣は魔獣の翼を切り飛ばす。
更に振り返りざまに凄まじい速さで剣を振るい、左の後ろ足も斬って捨てる。
魔獣は翼と足を同時に失ったことで着地に失敗し、顔面から地面に落ちた。
そして、声にならない声を上げて、地面に這いつくばる。
(馬鹿な!!)
魔獣の顔が一瞬にして歓喜から絶望へと変わる。
もはや飛ぶことはもちろん、立ち上がることすらできなかった。
顎が砕けているため呪いの言葉すら吐くことができない。
見れば先ほど切断された翼と足は炎に包まれ灰と化そうとしている。
アルフォートの持つ魔剣『炎の遺志』の力である。
燃えさかる炎の背後には赤く輝く長剣を携えて、悠然と立つアルフォートの姿があった。
その姿を見て魔獣はようやく理解する。
弱者は自分だったのだと。
魔獣はアルフォートの間に圧倒的な力の差を感じ取った。
そんな泥にまみれて震えている魔獣にアルフォートはゆっくりと近くづく。
毒を持っているであろう蠍の尻尾による攻撃を警戒していたが、完全に戦意を失っているようで何もしてこない。
アルフォートは恐怖に慄く魔獣の顔を一瞥すると、剣を両手に持ち替え、その首に向けて振り下ろした。
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