【僕は忘れない。君に付き添ったことを・私は忘れない。君についていったことを】

荒音 ジャック

【僕は忘れない。君に付き添ったことを・私は忘れない。君についていったことを】

 7月上旬、市内のアパートの一室で一人の社会人の若い男が右手に山のように盛った錠剤を見つめていた。


 左手には水の入ったコップが入っており、男は錠剤を睡眠薬のラベルがついた薬の瓶に戻して寝室のベットの上に寝転んで項垂れる。


 男はナイトテーブルに置いてある黒のクマのキーホルダーがついたスマホを取って、プリクラで撮ったひとりの女性とのツーショット写真を見た。


「いつになったら君に会いに行っていいのかな?」


 男はそう言ってそのまま眠りについた。この男がなぜ自殺を考えていたのかというと、去年の今の季節にある女性に出会ったからである。


 職場のオフィスで取引先に頭をペコペコ下げていると相手は「いやいや、翔也(しょうや)君はよくやってくれているよ」と言って、お見送りを終えた翔也は自分の席で大きくため息をつく。


 19時まで残業をやって土砂降りの雨が降る中、傘をさしてアパートまで帰ってくると、自身の住むアパートの自室の扉の前に自身と歳の近い黒髪ロングヘアの赤の四角縁眼鏡をかけたOLの女性が三角座りで震えていた。


 ただ事ではないと翔也は思った翔也は「大丈夫ですか?」と声をかけ、女性を部屋にあげる。


 翔也は女性にシャワーを浴びさせて着替えに自身のパジャマを貸して、ワケを聞くことにした。


「で? どうしてあんなところにひとりで座っていたんだい?」


 翔也はそう言いながらサイズの合わないブカブカのパジャマを着た女性に湯気の立つ紅茶の入ったカップを渡すと、女性はそれを受け取りながら「えっと‥‥‥」と答えようとしたその時、ピンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った。


 嫌な予感を感じたのか? 翔也は「寝室に隠れて」と言って玄関に向かい、女性の靴を下駄箱にしまって隠した。


 翔也は「はーい、どちらですか?」とドアチェーンをかけたままのドアを少し開けると、ドアの隙間に革靴履いた右足を入れて、左手で扉を掴んで閉まらないようにしてこちらを覗くのは、天然パーマの無精ひげを生やした四十路ほどのスーツ姿の男で「夜分遅くに失礼、警察です」と言って右手で扉の隙間から警察手帳を翔也に見えるように見せる。


 翔也は驚く様子もなく「警察? 事件ですか?」と尋ねると、警察を名乗る男は「詳しくは言えないが、20代のOL女性を見なかったかな? 黒髪ロングヘアで赤の四角縁眼鏡をかけている」と、明らかに今部屋に匿っている女性と特徴が一致していた。


「いいえ、見ていないですね‥‥‥」


 翔也は何も知らない様子でそう答えると、警察を名乗る男は「本当に? なら似たような人物に心当たりはないかな? この辺りに住んでいるらしいんだが‥‥‥」と追及してきた。


「見ていないモノは見ていませんからね‥‥‥もういいですか?」


 翔也はそう言うと、男はバツが悪そうな顔で「わかりました‥‥‥」と言って、去っていった。


 リビングに戻ると、先ほどの女性が不安そうな顔で翔也を見て「今の‥‥‥警察ですか?」と尋ねてきたが、翔也は「さあ? 警察手帳は持っていたけど、あんなの簡単に偽造できるし、偽物警官である可能性も十分あり得るからね」と答えた。


女性の警察に対する反応から何かを察した翔也は「ところで警察に追われるようなことでもしたの?」と尋ねる。


 すると、女性は右手で左腕を強く抑え込んで俯き「そうだとしたら‥‥‥どうするんですか?」と翔也に尋ねた。


翔也「別に‥‥‥そのこと知ったから殺されても何も文句は言わないよ。どっちにしても生きてて楽しいと思ったことがないし、何をやってもうまくいかないから親からも「弟より出来が悪い」とかで愛されなくなって、何が幸せなのか解らなくてただ苦しい思いだけを何年もしているからいい加減に楽になりたいんだ」


 女性は翔也の言葉を聞いて「‥‥‥少し、身の上話をしていいですか?」と断って自身の身の上話を始めた。


「交通事故で両親を亡くした私は、親戚の祖父母の家に預かられ、肩身の狭い思いをしながら高校を卒業して、せっかく社会人になって自由になれたと思ったのに、セクハラ上司に絡まれて誰も助けてくれない‥‥‥今日も階段で絡まれて手を払おうとしたら、頭から階段を落ちて死んで、そしたら近くにいた同僚が私を人殺し扱いして‥‥‥」


 女性は急に泣き出して嗚咽を上げながら「いっそのこと‥‥‥誰にも知られずに死んだ方がいいのかな?」と口に出す。


「とりあえず今夜は泊まっていくといいよ。僕はソファで寝るからベットを使って‥‥‥」


 翔也はそう言ってシャワーを浴びに浴室へ向かった。


(彼女の罪を無かったことに出来ないけど、何事もうまくできないダメ人間な僕でも‥‥‥誰かの助けにだけはなりたい)


 シャワーを浴びながら翔也はそんなことを考えていた。シャワーを浴び浴び終えて、翔也は寝室を覗くと、暗い部屋のベットに女性が枕に抱き着くように寝ていた。


 翔也は部屋の灯りを落としてリビングの2人掛けのソファの上に横になって、何かを考えこむように天井を眺めていた。


 夜が明けて、女性はカーテンの隙間から射す光で女性は「んん」と目を覚ますと、自宅の部屋ではないところで寝ていたことに気づいて「ハッ!」と慌てて起き上がる。


 部屋を出ると、朝食の準備をしていた翔也が「おはよう」と朝の挨拶をしてきた。


「朝ごはん、買い物してなかったからトーストと紅茶しかないけどいいかな? ええと‥‥‥そういえばまだ名前聞いてなかった」


 翔也は昨日のことを忘れているかのように名前を訪ねてきた。


「理香‥‥‥千義‥‥‥理香です」


 朝食が済んだ2人だったが、翔也は何かの薬を服用した。


気になった理香が「それは?」と尋ねると翔也は「内臓の薬と痛み止め」と答えて自身を侵している病について話した。


「腎臓をやられちゃってね‥‥‥治るかどうかは解らないけど、痛いのを和らげてくれるから飲んでる」


 翔也はそう言って空になったコップを片付ける。


「僕はこれから出かけるけど‥‥‥良かったら一緒に来る?」


 翔也にそう尋ねられた理香は翔也と共に外へ出た。


外に出ると、昨日の雨が嘘のような真っ青な青空と、焼き付ける日差し、太陽に向かって伸びる入道雲が空に浮かんでいた。


 流石に理香はスーツ姿のままだと目立つため、変装も兼ねて道中の小さな服屋で理香は白のワンピースに淡い水色のカーディガンを羽織り、赤のリボンがついた大きめの麦わら帽子を被って、赤のサンダルを履いた姿で店を出る。


 2人は手をつないで街を歩き、喫茶店で昼食を食べて、ゲームセンターでシューティングゲームでスコアを競ったり、UFOキャッチャーで色違いのクマのキーホルダーを手に入れたりした。


 2人はそのままバスで郊外へ向かい、展望台で普段見ない景色を見て、ソフトクリームを食べる。


「こんな風に外で楽しく過ごしたの‥‥‥久しぶりです」


 ソフトクリームを食べながら理香はそう言うと、翔也は「僕は初めてかな? 死に場所探しに行っては怖かったり、人の迷惑になりそうだなってなって見つからないの繰り返しだけど」と言って、こう続けた。


「ロープウェイで山頂の方へ行けば人が来なさそうな場所がいくつかある‥‥‥僕はそこに行くよ」


 翔也はそう言ってその場を去ろうとすると、理香は右手で翔也の左手首を掴んで「もう少しだけ! もう少しだけ一緒に歩きませんか?」とせがんだ。


 理香にそう頼まれた翔也は離れたところに制服を着た警察官に気づいた。


「‥‥‥警官が来てるから向こうの方へ行こうか」


 翔也はそう言って理香と手を繋いで、警察官たちがいる方向とは逆方向に向かって歩き出した。


広場へ続く階段を上がりきると、自分たちから見て左から来た男が、翔也を突飛ばした。


男は右手にナイフを持っており、その場には警察官も駆けつけ、男は理香を人質に取った。


「来るな! それ以上近づいたらこの女を殺すぞ!」


 男はナイフを理香の喉元に突きつけて、そう叫ぶと起き上がった翔也は、こちらを見る理香の顔を見て何かを察した。


 その顔は恐怖に怯えているわけでもなく。突然の出来事に驚いているわけでもない‥‥‥まるで何かを悟ったような穏やかな顔で「翔也!」と名前を呼んだ。


「私のお願いに付き合ってくれてありがとう!」


 いきなり礼を言われた翔也は心の中で察していたものが確信へと変わっていた。


翔也(待って! ダメだ!)


 男は理香の訳の分からない発言に「黙りやがれ!」と叫ぶも、理香は続ける。


「今日のことは忘れないから! いつかまた会える日まで覚えていてください!」


 理香の言動に男は戸惑いながら警察官たちから距離を取ろうと、少しずつ後ろに下がっていると、後ろに階段があることに気づかなかったため、男は理香と一緒に背中から階段を転げ落ちた。


 翔也はその場にいた警察官は慌てて駆け寄るも、階段を転げ落ちた男は首の骨が折れて頭が明後日の方向に向いて倒れており、理香は転がり落ちた弾みで男が握っていたナイフが首を掻っ切ってしまい、着ていた白のワンピースを真っ赤に染めて絶命していた。


 その光景に翔也は崩れるように両膝を地面について呆然としていた。少し経ってパトカーと救急車のサイレンが鳴り響く中、気づけば翔也は手錠をかけられて警察署の取調室にいた。


「証言から君はあの子に利用されていたようだな。あの子の勤めていた会社で確かに死人が出ていたが、容疑者はその場にいたあの子の同僚だ。監視カメラにあの子の脇から手を突き出していたのがハッキリ映っていた」


 翔也にそういうのは昨晩翔也の住むアパートを訪ねてきた刑事で、机の上に広がった証拠写真に写っている真犯人に翔也は驚きを隠せなかった。


「すみません‥‥‥ここに写っている男性の名前って堕威梧(だいご)って名前ですか?」


 翔也の問いに男性刑事は「ああ、君の弟だ。今日の昼過ぎに両親と旅行中のところを捕まえて、罪状を述べたら両親が「代わりに君を逮捕しろ」なんて言い出したから接近禁止命令を出しておいた」と翔也に教える。


 警察から見たら被害者としか見れない翔也は拘留されることなく取調べが済み次第、警察署を出た。


 車の往来が激しい交差点で、翔也は赤の歩行者用信号機の前で立ち止まっていた。死んだ魚のような目をして生気を感じられない顔をした翔也は、自身の目の前を40㎞ほどのスピードで横切る車を見て、信号機が赤でありながら、右足を一歩前に出そうとしたが‥‥‥自身の左隣に母親と手をつないで青信号になるのを待っている幼稚園児に気づいてハッと出した足を引っ込めた。


翔也(ここではだめだ‥‥‥それにぶつかった車の運転手の人生を狂わせてしまう)


 そう思った翔也は重い足取りでアパートまで帰ると、突然バケツをひっくり返したような土砂降りの雨に降られ、傘を持ち歩いていないこともあってアパートにつく頃には濡れ鼠になっていた。


アパートについても、ドアの前でうずくまる理香がいるわけでもない。翔也は部屋に入ってから体も拭かずに服を浴室に脱ぎ捨てて寝室で眠りについた。


 翌朝、スマホの目覚ましが鳴って目を覚ました翔也は気だるそうな顔で、目を覚ます。


翔也(朝‥‥‥そうだ‥‥‥出社しないと‥‥‥)


 鉛のように重い体でフラフラと起き上がった翔也はスーツに着替えて出社した。職場にはいつも通りに同僚と先輩がいるものの、全員が揃って翔也を見るなり、不安そうな顔をする。


 昼休み‥‥‥翔也は自身が務める会社のビルの屋上でフェンス越しに下を見ていた。後ろにはお昼ご飯を食べている同僚や事務員がおり、翔也はフェンスにかけていた右手を下ろして社屋へ戻った。


 やがて1日が終わり‥‥‥帰宅した翔也はアパートにつくも、ドアの前に理香はいない。部屋に入って早々に、ドアについている郵便受けに手紙が入っていることに気づいた翔也はリビングで封筒を開けた。


 その中には理香とゲームセンターで撮ったプリクラの写真が入っており、同封されていた手紙には「少しでも長くあの子のことを思ってやりな。それが今の君に出来ることだ 担当刑事より」と書かれており、翔也はプリクラの写真をスマホに張った。


 それから季節は過ぎていき、街路樹の枯れ葉が散る9月下旬、出社中の翔也はクシュンッと小さくクシャミをした。


翔也(もし、彼女が生きていたら今頃どうしていただろう? 一緒に紅葉を見に行ったりしていたのだろうか?)


 そして、さらに季節が過ぎて年を跨いで6月を迎えた。ドンヨリとした曇り空に、ジメジメとした空気が鼻につく。


翔也(ああ‥‥‥もう6月か‥‥‥あの時、君が無実であることを教えることができたら、君は今も生きていただろうか?)


  そして、今に至る‥‥‥睡眠薬を使った自殺を止めた翔也は、プリクラの写真を見る。


翔也(都合のいいことなのかもしれないけど‥‥‥君は誰かに「何も悪くないよ」「生きていたっていいんだよ」って言ってもらいたかったのかな?)


 当時のことを振り返るように翔也はそう思った‥‥‥彼が次に理香に会う時はいつになるのか解らない。


 それでも、翔也はその時が来るまで生きることになるのだろう。それが彼にとって唯一無二の生きる理由なのだから‥‥‥

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【僕は忘れない。君に付き添ったことを・私は忘れない。君についていったことを】 荒音 ジャック @jack13

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る