第十話 不快/明快

 幼女の上目遣いにやられた私は、しばらく彼女と雑談に花を咲かせることとなった。レイはとにかく話したいことがたくさんあるようで、一緒にソファーに座ってからはずっと、その小さな口が動きっぱなしだ。


「あのね! それでね!」

「う、うん」


 ちなみに現在、レイは私の膝の上に座っている。断るに断れず、泣く泣くこの状態になった。決して変な下心があるわけではないが、幼女の柔肌と絶妙な体温が最高に心地良い。


「あのね? わたし、今日おねぇちゃんがたすけてくれて、とってもうれしかったの。いつもは、ぜんぜんお話してくれなくて。もしかしたら、おねぇちゃんはわたしのことを嫌いなのかな?って思ってたけど、ほんとうはそうじゃなくて。おねぇちゃんが、わたしのことを『妹だ』ってゆってくれて……今日は、ほんとにうれしかったんだぁ」

「っ……」


 飾らないその笑顔に、思わず胸が詰まって。同時に、返す言葉を見つけられなかった。

 陰鬱な靄が心を覆う。それは後悔か、はたまた罪悪感か。


 何もしなかったけれど、何もしていないからこそ、私はレイを傷つけていた。関わらないことが、かえって彼女を不安にさせていた。そんなことに、今更気づいて。ただでさえ好きじゃない自分が、もっと嫌いになりそうだった。


 ──これじゃあ、レイをイジメてた三人組と何も変わらないじゃないか。


 黙っていれば、蚊帳の外に居られる。長年抱いていたその哲学が、音を立てて瓦解していく。


「ごめん……ごめんね、レイ」


 謝らなきゃ。衝動に駆られて、頭を下げる。


「嫌いじゃない、嫌いなんかじゃない、嫌いなわけなんて、ない……!」


 口下手な私でも、うまく気持ちが伝えられるように。

 手の届く距離にいる妹を、ぎゅっと抱きしめてみる。


「どうして、おねぇちゃんがあやまるの……?」


 私に身体を預けて、レイは無垢に問いかける。

 そんな彼女を見て、今更ながらに自覚した。


「好き、だから」


 ああ。そうだ。


「好きだから、謝るの」


 ──大切な人を不安にさせてしまったから、私はこんなにも自分を責めてしまうんだ。

 きっと人は、生きているだけで誰かを傷つけうる。何をしても、何をしなくても。関わろうと、関わらなくとも。私たちの意志に反して、どこかの誰かを傷つけることがある。

 その『誰か』は顔を知らない赤の他人かもしれないし、すぐ近くに居る大切な人かもしれない。けれど、いずれの場合にしても。私たちは傷つけたことに気づかず、そのまま生きていくことの方が多いのだと思う。

 人と生きる。それは誰かを傷つけることと、ほとんど同義だ。

 じゃあ、誰かを大切に思うってどういうことなんだろう? 考えてみて、私は『傷を癒す心』が、人を想うことなんじゃないかと思った。


「だから。ごめんね、レイ」


 生きているだけで、人は人を傷つける。

 でも、たまに『傷つけてしまった』と気づいた時。

 それが、手の届く範囲に居る、誰かだった時。

 もし、『ごめんなさい』で相手の傷を治したいと思ったら。

 その笑顔を、もう一度取り戻したいと願ったなら。


「えへへ。よかったぁ。おねぇちゃん、わたしのこと好きだったんだ……!」


 ──それがきっと、誰かを大切に思っている証左なのだろう。


「どうして……どうしてレイは、そんなに私を気にしてくれるの?」


 ふとした気づきの折、率直な疑問を投げかけてみる。彼女の『なぜ』に答えたんだ。私にも、尋ね返す資格くらいはあるだろう。

 だって、どうしたって分からない。何もしてあげられていなかった私を『おねぇちゃん』と呼んでくれる理由が、私には分からないんだから。


 こんな私を、愛してくれる理由なんて──


「だって、おねぇちゃん、さみしそうだったから」

「……え?」


 予想外の返答に、思わず絶句。


「さみしいのは、いやだから」


 そんな。


「わたしも、ずっとさみしかったから」


 そんな、単純な理由で……?


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