第七話 一貫/矛盾
「オハヨウゴザイマス、ヨシナカケイ。やあやあ、二百六十時間と百八十秒ぶりですね。どうです? 何かお困りごとはありますか? ない? ないでしょうねぇ。実はちょくちょく監視してたので知ってます。ならば結構。これからも良きシスターライフを」
さらにぼうっとした日常を続けること、およそ一週間。事前に予告していた通り、エージェントが定期確認のために私の部屋へやってきた。ちなみに窓を開けるわけではなく、スルッと壁をすり抜けてきた。まあ、コイツがめちゃくちゃな性能なのは今に始まったことじゃないし、もうツッコむことはしまい。
「ええ。アンタの予想通り、特に困ってることは無いわ。無さ過ぎて本当にカギとやらが完成するのか心配になるくらいには、ね」
「おやおや? アナタが計画の心配をするとは珍しい。もしや僕にフォーリンラブしましたか?」
「んなワケないっての。私はただ、さっさと計画を終わらせて元の生活を取り戻したいだけよ」
「ふむ、なるほど。しかし、この家での暮らしも以前と大して変わらないのでは? アナタ、黙って部屋に引きこもっているだけでしょう? 孤独な暮らしを望むのであれば、今の生活が続くのも悪くはないはずだ。だのに、なぜそう計画を急ごうとするのです?」
「そりゃあ、まあ。今の生活も悪くは無いわよ。でも……元の世界と違って、色々余計なことも考えちゃうの」
確かに、ほとんどの人間は私を放っておいてくれる。放任主義な『親』のおかげで、波風の立たない日常を送ることができている。
……でも、たった一人。この世界には、私を諦めない妹が居る。
昔の私によく似た顔立ちで。底抜けに明るくて。無垢で。まっすぐで。絵に描いたような『良い子』が、私に関わろうとしてくる。
最初は、なんとも思っていなかった。けれど、こう毎夜毎夜しつこく来られると、どうしたって気になってしまう。かといって幼い子供に「来るな」と言えるほど、私は心を鬼にすることができない。
そうなれば自然、次第に存在が大きくなっていく。どうしたって、彼女のことを考える時間が増えてしまう。
善悪が反転した結果、この優しい少女が出来上がったのだとしたら。元の世界に居るレイは、とんでもなく性格が悪いんだろうか? だとか。
できれば、どの世界でもレイはレイのままでいてほしいな、だとか。
なまじ時間はあるだけに。そういう、余計で面倒なことを考えてしまうから。こんな世界とは、早々にオサラバしたい。
「ねぇ。反転してない人間って私だけなの? 他に居たりしない?」
やんわりと、妹が反転していない可能性を探ってみる。
「反転してない人間ですか? まあ、アナタ以外にも居るには居ますよ? 成熟していない子供なんかは、ほとんど反転してません。まだ善悪の判断基準が確立されていないので。表裏が無い人間は反転しないってワケです。他に考えられるパターンは……そうですね。表裏が無いって意味で言えば、一切建前を使わない人間なんかは反転しないかもしれませんね? はは! まあそんな人間なんてどこにも居ないでしょうけど!!」
皮肉たっぷりに、エージェントが高笑いする。
「……そっか。居るには居るのね」
思わず、ホッと胸を撫でおろす。エージェントの言葉を信じるなら、レイは反転していない可能性が高い。元の世界で悪ガキだったから、裏返って良い子ちゃんになったわけでもなさそうだ。
なんだか、その事実が想像以上に──
「──嬉しかった、ですか?」
こちらの思考を遮り、エージェントが煽るように呟いた。
「…………べ、別に、そんなことは」
「またまたぁ。誤魔化さなくてもいいんですよ? レイちゃんが反転してなくて嬉しかったんでしょう? ええ、ええ、分かりますとも。慣れていても、ヒトリは寂しいですからねぇ。愛を知らなかったモノは大抵、初めての愛に弱いものです。無視を続けてるのに自分に懐いてくれる彼女のことが、だんだん可愛く思えてきちゃってるんでしょう?」
「う、うるさい……」
「さぁ! ここでズバリ! 僕が今のアナタの気持ちを言い当ててみせましょう!! アナタ、最初は面倒だからレイちゃんを無視してましたけど、今はどう話せばいいか分かんないから結果的に彼女を無視してしまってるだけでしょう? そう、つまりホントは彼女と話したくて話したくて仕方がな──」
「だぁーー! もうっ! いい加減だまれぇっ!!」
「ぐほぉっ!?」
暴力反対派な私ではあるが、この時ばかりは拳が炸裂してしまった。
「なるほど、イッツ図星。だから手が出る。よーく分かりました! なるほど、こりゃ予定より早くカギが完成しそうだ!!」
しかし、鋼鉄のボディに引きこもり女子の貧弱パンチが効くわけもなく。むしろ私の方が涙目で手の痛みに耐えていると、エージェントは「アデュー!!」と言い残して、スルりと窓から出ていってしまった。
「相変わらずウザかったわね、ホント……」
ぶつくさと文句を垂れつつ、呑気に空を飛ぶ人工知能の後ろ姿を見つめる。
その折、光を反射した窓ガラスが、くっきりと私の表情を映し出した。
【慣れていても、ヒトリは寂しいですからねぇ】
同時に、なんということはないアイツの一言を思い出す。
……寂しい、なんて。今更、そんなわけ。
【愛を知らなかったモノは大抵、初めての愛に弱いものです】
嬉しい、なんて。今更、感じるものか。
諦めたはず。どうでもいいはず。放っておいてほしいはず。
何度も、自分に言い聞かせる。
ああ、けれど。
「もうっ、やっぱめんどくさい!!」
その心と矛盾するように。
鏡の中の少女は、不器用に笑っていた。
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