第六話 消失/萌芽

 一通り説明を終えると、エージェントは軽やかに姿を消してしまった。無理やり私を外に引っ張りだしたヤツではあるが、曰く「ええ。プライベートは侵害しませんとも」とのこと。定期的に私の様子を見に来るらしいが、基本的にはカギの出現まで町外れに潜伏しておくらしい。うざったい人工知能にも最低限、気を遣う機能はあったようだ。


 以降、『家族』と関わるのも面倒なので何日かこの部屋に引きこもっているものの、父母は意外なほど私に干渉してこない。さながら、今の私は家庭に巣食う蛹だった。ずっと家の端で閉じこもっているんだ。木に繭を作って殻にこもっている虫となんら変わらない。


 つまり。世界が変わろうとも、私の生活はさして変わっていなかった。


 夢を見て。起きて。電話を無視。あとは寝るだけ。いつも通り、おなじことの繰り返し。最初の二、三日は両親が声を掛けてくることもあったが、無視を続けていると、それもパタリと無くなった。実質的には、ほとんど変化も起きていない。


 ……まあ。


「ねぇねぇ、おねぇちゃん、おねぇちゃん!」


 ある一点を除いて、なんだけど。


「あのね、あのね! 今日はママと一緒にお買い物に行ってきたよ! それでね、ママとお外を歩いてたら『レイちゃんはママと似て美人さんだねぇ』って、隣のおばちゃんから褒められちゃった!!」


 少し舌足らずな口調で、大層嬉しそうに。その日起きた、なんでもないような出来事を話す、五歳の少女。

 この世界における私の『妹』──レイだけは毎日、声を返すことの無い扉へ語りかけてくるのだった。


「じゃあ、おやすみ、おねぇちゃん! また明日ね!!」


 夜のとばりが降りて、彼女の声で今日が終わる。最初は『なぜ私なんかに声を掛けてくるものか』と思っていたが、数日経つと、次第にその疑問も消え失せていった。いやはや、習慣とは実に恐ろしい。今となっては、トタトタと部屋から遠ざかっていくレイの足音を聞くだけで一日の終わりを自覚する。


 ふと、千年前の心理実験の一つに『パブロフの犬』なるものがあったことを思い出す。先人によれば、犬は毎日ベルの音と共にエサを与えられると、やがて音を聞くだけで唾液が出るようになるらしい。今の私も似たようなものだろう。幼女の足音が完全に睡眠導入BGMになっている。


「……はぁ。なーんでほっといてくれないかなぁ」


 溜息混じりに、窓外の闇夜を見つめる。


 雲一つ無いソラに、人々を照らす無数の星。

 無垢に輝く月が、笑うように世界を照らしていた。

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