第五話 執心/諦観
階段を上りきると、すぐ目の前に『ケイのへや』と印字された扉が現れた。エージェントの言葉に嘘は無かったようで、確かに私の個室は存在するらしい。二階には他に二つ部屋があるようで、右手が『パパとママのへや』、左手が『レイのへや』となっている。『レイ』は妹の名前だろう。
自室の前に立つ。解錠システムは我が家と変わらないようで、「パスワードを入力してください」という文言の後、扉にスクリーンキーボードが表示された。部屋がロック付きなのは僥倖だ。自宅に設定していたのと同じ七文字を打ち込むと、扉は無事開いた。
「ハロー、ヨシナカケイ。三十六分と二十七秒ぶりですね。いやはや、実に計算通り。アナタなら早々にギブアップ&ランナウェイしてここに来ると思っていましたよ」
「……驚いた」
「おや? それは僕が部屋に居ることへの驚きですか? それとも、部屋の内装がそっくりそのままアナタの家を完全再現していることへの驚きですか?」
「……」
そんなの、両方に決まっている。
いや、まあエージェントが居るのは百歩譲って分からなくないけど。窓の位置やらカーテンの色やら何から何まで我が家と同じになってるとか。さすがに予想つかん。
「いや、ほら。僕ったら高性能AIでしょう? なので色々根回しはしてたんですよ。アナタが自然に溶け込めるよう家族全員の記憶をイジっておきましたし、ストレスを極力減らせるよう自宅完全再現の個室まで用意しておいたのです」
「え、もうそれ私いらなくない? もうアンタだけで世界ひっくり返せばよくない?」
街一つ滅ぼす力を持っていて、記憶改竄まで自由自在。そこまでできるんだったら、私の微々たる力なんて必要なさそうなものだけれど。
「いえいえ。いくら高性能とはいえ、どこまでいっても僕はAIです。人間には、なれない。人間と本当の意味で家族になることもできないのです。だから、今回はアナタの力が絶対に必要なのですよ。僕だけでミッションコンプリートというわけにもいかないのです」
「姉として過ごせ、だったっけ? 申し訳ないけど、それに関しては私だって上手くやれる保証は無いわよ? なんなら、上手くいかない可能性の方が高いくいらいだと思うけど」
エージェントの言う通り、確かにAIが人間と家族同然になるのは難しいかもしれない。でも、それは人間だって同じことだ。人間だからと言って、誰もが上手に家族をできるわけじゃない。人ってのは、ひとりひとり性質が違う。誰とでも上手く関係を構築できる人間も居れば、家族とさえマトモに関われない人間だって居る。
言うまでもなく、私は後者だ。自分を取り巻く人間関係を全て捨て去り、一人で生きてきた人でなしだ。
「確かに、私はアンタに協力するとは言ったわ。でも、できないことはできないのよ。申し訳ないけど、ご期待には沿えないと思うわよ?」
ベッドに腰を下ろし、率直な心境を告げる。自分の無能さ加減は分かりきっているから、「できない」を言うことにさほど抵抗は無かった。我ながら無責任だとは思うけれど、どうしたって事実なんだから仕方が無い。すまないね、高性能AIクン。私がお姉ちゃんになるのは、ちょいと厳しいものがあるのだよ。
「はっはっは! 心配ご無用ですよ、ヨシナカケイ! 言っちゃあ悪いですが、アナタには最初から期待なんてしていませんから!! あの家族と過ごすのが嫌なら、ずっとこの部屋に引きこもっていってくれてもよろしい!!」
しかしAIは、意外にも私のネガティブキャンペーンを受け入れていた。
「いや、え? それ、ちょっと矛盾してない? アンタ、世界の命運がおねぇちゃんになれるかにかかってるとかどうとか、言ってなかった? なのに引きこもっちゃってていいわけ?」
「まあまあ、細かいことは気にしないでください。第一ミッションはケイがこの家で暮らしてさえいれば、それだけで達成されるようにできていますから。なので、無理して『良いお姉ちゃんになろう』とか気負わなくても構いません。時間が経てば、そのうち勝手にカギが完成しますから」
「……そ、そう、なんだ。なら、まあ、いいんだけど」
なるほど。どうやら私の想像よりずっと、ミッションの難易度は易しかったらしい。
てっきり仲睦まじい家族をやらなきゃいけないのかと思っていたが、どうもそういうわけではなさそうだ。『この家で暮らしている』という事実さえ作れてしまえば、いずれカギは完成するらしい。とりわけ、私が何かしなければならないというわけでも無さそうだ。
まあ、一体どういう原理でカギが完成するかは分からないけど……別に、そこは深く考えなくてもいいだろう。どうせ私にできるのは、コイツの言う通りにすることだけ。余計なことを気にするのも面倒だし、難しいことは全部エージェントに任せておけばいい。前みたいに、黙って部屋に引きこもってればいいだろう。
……ふふ。なーんだ。世界再反転なんて、案外楽勝じゃない?
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