第四話 贋作/真実

 エージェントの『姉として家族とありふれた生活をしろ』という指示は、比喩でもなんでもなく、本当にそのままの意味だった。知らない町に連れてこられ、知らない家に入れと言われ。そこに住んでいたのはもちろん知らない顔の人々だったのだが、どういうわけか『姉』としてすんなり受け入れられてしまった。気づいた時には、両親と妹が出来ていた。嘘みたいな字面だが、ところがどっこい夢じゃない。現実である。


 都市郊外。小さな町。とある一軒家の、リビングルーム。食卓を囲み、笑顔溢れる一般家庭。


「さあ、どうぞ! めしあがれ!!」


 差し出されるは、出来立てアツアツアップルパイ。


「おお、今日は特においしそうだねぇ」


 明るい『父』は、さぞ嬉しそうに皿に手を伸ばして。


「ふふっ。こらこら、慌てないの。お父さんったら、相変わらず食いしんぼうなんだから」


 エプロン姿の『母』は、そんな彼に温かな微笑みを向けて。


「おねえちゃん、おねぇちゃん! わたしたちも食べよっ!!」


 幼く、人懐っこい『妹』は。澄んだ瞳で、私を見つめている。

 そんな、普通の人たち。過不足無い幸福に満ちた家庭。ありふれていそうで。しかし、誰もが享受できるわけではない、当たり前の空間。


「じゃあ、まあ。私も一口くらいは貰うよ」


 そこで『姉』として過ごすのが、私に課せられた第一ミッションだった。


 ……ああ。めんどくさいったらありゃしない。


 なんて、皮肉。なんて、悪趣味。なにが『家族としてありふれた生活をしろ』だ。どうして今更、私が家族なんか作らなきゃいけないんだ。


 ──ふと、忌まわしい記憶がよみがえる。

 

【うるせぇな。子供は黙って親の言うことを聞いてりゃいい。そうだろ?】


 ──父と呼ばれるべき人が居た。


【あんたなんて、あんたなんて……生まれてこなければよかったのよ……!】


 ──母と呼びたい人が居た。


 でも、最後まで呼べなかった。呼びたくもなかった。戸籍上は彼らの娘だったけれど、アイツらは親なんかじゃなかった。


 男は、執拗に私のカラダを求めてきた。『親子なのにおかしい』。そう言って断ると、問答無用で私を殴りつけてきた。


 女は、男が自分に見向きもしなくなったコトを、ただ嘆くばかりだった。男の愛を独り占めする娘に、嫉妬の炎を燃やし続けていた。乱暴される娘を見ても、傍観者であり続けた。助けてくれたことなんてただの一度も無く、ついには娘を産んだ過去そのものを否定した。


 彼らは、最後まで男と女だった。一度だって、親になったことはなかった。私にとってみれば、あの世界を象徴する悪の権化でしかなかった。


 だから、私は家を出た。急速発展した科学のおかげで金だけはあり余っている世界だったので、役所に行くと無償で新居をくれた。顔のアザが目立つようになったので元々学校にはあまり行ってなかったが、会いたい友達が居るわけでもなかったので、その後も学校には行かなかった。親の承認が必要だから退学手続きは済んでいないけれど、そのうち勝手に籍も消えてくれるだろう。少女Xからモーニングコールが届くようになったのは、ちょうどその頃だったか。


 こうして、私は独りになった。何もないけれど、しかし何もないからこその平穏を手に入れた。エージェントがやってくるまでの五年間、私は誰にも邪魔されない、私だけのセカイで生きていたんだ。


 ──だというのに、今更『家族』? なによ、それ。そんなの、皮肉以外の何物でもないでしょう?


「? どうしたの、ケイちゃん? ぼうっとしてるみたいだけど、どこか調子でも悪い?」


 物思いに耽っていた私を心配してか、『母』が不安げに私の顔を覗き込む。気づけば、『父』と『妹』も私を案じるように視線を向けていた。 


「あ、うん。そうね、ちょっと調子悪いかも。ごめん。私、今食欲無いから部屋戻るね。ごちそうさまでした」


 卓を囲む三人に一言告げて、席を立つ。この空間に居ること自体、もう限界だった。甘ったるい幸福のせいで胸焼けしそうになる。そろそろ気持ち悪くて吐きそうだ。エージェント曰く、この家の二階には私の個室があるらしい。とりあえず今は一時避難。初日から床に吐瀉物をまき散らすのは良くないだろう。


 家族に背を向け、逃げるように階段へと足を進める。途中、「おねえちゃん大丈夫?」「お薬飲まなくて大丈夫?」等と背中から気遣いを向けられたが、振り返ることはしなかった。

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