第二話 離別/邂逅
二八八九年、一月九日。その日、私はひさしぶりに気持ちの良い朝を迎えていた。
それはきっと、普通の人々にとってみれば平凡な朝で。けれど自分の生そのものに抵抗を感じている私にとっては、それだけで異常事態だった。『起きたくない』『何も見たくない』『夢の住人で居たい』の三原則で生きている私からしてみれば、朝なんて嫌悪の対象でしかないのだ。
そんな私が、不快の無い朝を迎えている。おろか、今すぐこの部屋から飛び出してしまいかねない高揚まで覚えてしまっている。退屈に飽きた私がついに狂ったか、それとも世界の方がバグってしまったのか。はたまた、その両方か。
──突拍子も無くそう考えてしまうくらいに、今日の街はキレイだと思ってしまった。
「……やっぱ。なんか、おかしい」
未だ変化を受け入れられない私は、己の平静のためにルーチンワークを実行してみる。
いつものように、喧騒へ耳を預ける。/『おはよう』『ありがとう』『ご機嫌いかが?』、互いを思いやるような、人々の挨拶が聞こえた。
習慣的に、主張のうるさい報道を期待する。/『技術より真心を』『利便なミライより、安寧なイマを』『発展のためでなく、心の健康のためにあるべき科学──』、昨日とは、まるで正反対。悪を許す革新でなく、善をめざす理想論が語られていた。
そして──
「ここの子、もう何年も部屋から出てきてないわよね?」
「心配よねぇ。ずっと閉じこもったままなんて……」
「そっとしといた方がいいのかしら? でも心配だし、声をかけた方が……」
──私に関わろうとするおば様方が、こうしてドア越しに何人も居る時点で。やはり決定的に、昨日とは違う今日だった。
「……は、はは。なんなのよ、コレ? 一体なんの冗談?」
気持ち悪い。気持ち良すぎて、気持ちが悪い。なんだって急に、どこもかしこも他人のことばっか気遣うようになってるワケ? 一晩で一体何が起きたっていうの? 夢にしたって、悪趣味が過ぎる。
自己中心。悪辣非道。他人なんて、どうでもいい。それが、昨日までのアナタたちだったじゃない。
これじゃあ、まるで──
「──『あべこべだ』ですか? なるほど。さすがは僕の共犯者。悪くない考察です」
「…………え?」
その突然の来訪には、とかく仰天する他なかった。
だって、考えてみてほしい。何年も閉ざされていた扉をいきなり、しかも当たり前のように開けられてしまったのだ。私じゃなくたって、誰でも驚くでしょう?
七文字の合言葉でしか開けられないはずの扉を、赤子の手をひねるように突破された。
──そして、何より驚くべきは。不法侵入決めてきたソイツが、あまりに非人間なことだった。
「お初にお目にかかります。僕の名前はエージェント。見ての通り、まるっとした愛らしいフォルムの高性能AIです。愛無きあなたを連れ出すために、光の速度を超えて馳せ参じました。以後、お見知りおきを」
ハチャメチャな登場の割にご丁寧な挨拶を決めたソイツは……なんか、どこをどう見てもマシンそのものだった。
信じがたいことに、人間の頭蓋ほどの大きさの金属球がプカプカと宙に浮かんでいる。卵を思わせる真っ白なソレの中心には小さな穴が二つ空いており、穴の中からは微弱な赤色光が発されていた。人間で言う、目の役割を果たしているのだろうか。
「……って、ちょ、待って。理解が追い付かないんだけど」
目が覚めたら世界がおかしくなっていた。急に開かずの扉をパカっと開けられた。なんかメカメカしいAIがやってきて、しかも急に共犯者呼ばわりされた。この間、わずか五分弱。光の速度でやって来たとかなんとか言っていたが、こっちの頭には光の速度で情報爆弾が流れ込んできたようなものだ。停滞した人生を送ってきた私が、こんなジェットコースターばりの変化を理解できるはずがない。
「ふむ、なるほど。やはり急過ぎましたか。頭の中がハテナマークのバーゲンセールになっているようだ。ならば仕方ありません。そのクエスチョンマークを一つずつ買い取っていくとしましょう」
「……えっと、どういう意味?」
「平たく言えば、あなたの疑問に全てお答えするという意味です」
なら最初から、平たく言えというものだ。その分かりやすいか分かりにくいか微妙なラインの例えは一体なんなんだ。余計混乱しそうになる。
「まあ僕は高性能AIですので、あなたの疑問なんて、まるっと全部お見通しです。表情見れば大体分かります」
宙に浮かんだまま得意げに言うと、AIはヒョコヒョコとボディを揺らしながら、私に眼光を向けてきた。なんでも聞いてこい。大方、そういった意思表示か。
コレといって現状の打開策が思い浮かばないので、とりあえず眼前の喋る機械に語り掛けてみる。
「えっと、まあ聞きたいことは山ほどあるんだけど……まず、コレどういう状況?」
「世界が今どうなっているのか、という意味ですか?」
肯定の意味を込めて、首を縦に振る。
「えー、そうですね。コレに関しては、あなたが抱いている違和感は間違っていません。あまりに突然で信じられないかもしれませんが、一晩で世界は大きく変わったのです。悪意が蔓延っていた世界は、良心が溢れる世界となった。まさしく、あべこべ。人間の善性と悪性が反転した、とも言えるでしょう。まあ、すんなり『はいそうですか』というワケにはいかないでしょうが、一旦信じてください。飲み込んでください。じゃないと、後の説明が続かないので」
「善人が悪人となり、悪人が善人となった。ってコト……?」
「ええ、そうですね。今はその理解で構いません」
ふむ。確かに『はいそうですか』と信じられる状況じゃない。なんなら、信じたくもない。
そう簡単に、世界が変わるんだったら……今まで悪意から逃げ続けてきた私の人生は、一体なんだったっていうのよ。
……けれど、まあ。コイツが言っていることを信じた方が、楽ではある。話の真偽はともかく、この異常事態への理由付けにはなる。ワケわからずに一人で混乱しているよりはよっほどマシだ。善悪が反転したから、悪い世界が善い世界になった。今はそう思っていた方が楽だろう。
そう。私は事なかれ主義のヨシナカケイ。世界が変わった理由を自分で考えるのなんて面倒だ。今はコイツを信じよう。
……と。まあ、それはいいとして。
「ていうか。アンタって何者なの?」
コイツが私の元へやってきた理由とか、なんで扉のロックを開けられたのか、とか。さすがにその辺は問いただしておく必要があるだろう。『共犯者』っていうのも、イマイチどういう意味か分からないし。
「僕が何者なのか? 先ほども申し上げた通り、あなたを連れ出しにきたAIですが。それが何か?」
「だから。そもそも、どうして私を連れ出そうとするわけ? 自分で言うのもなんだけど、私ってプロの引きこもりよ? 正直、世界が変わったってどうでもいいの。外で善人が幸せに生きていようが、悪人が罪を犯してようが、私は蚊帳の外に居るだけだから。言っとくけど、梃子でも動かないからね?」
外に出る? ありえないでしょ。だって、面倒だもの。世界が変わろうが、私には関係ない。今まで通り、閉じこもっていればいいわけで──
「ふむ、そうきましたか。分かりました。では、僕もここから動かないことにします。梃子でも動きません」
……は?
「え? 今、なんて?」
「だから。あなたが外に出ないなら、僕も外に出ないと言ったんですよ。さあ、マイマスター。嬉し恥ずかしな同居生活を始めましょう。僕が一生幸せにします」
「なっ! 急に何言ってんのよ!?」
「ああ、そうだ。もういっそのこと、僕と結婚してしまいましょうか。実は僕、あなたみたいな黒髪ショートは好みなんですよ。ウイルユーマリーミー。挙式はいつにします?」
「だから、なんなのよさっきから!? ていうか誰がAIなんかと籍入れるかっての!!」
「いやあ。愛って存外、種族の垣根を超えるものですよ? あと『アンタ』とか『AI』って呼び方はやめてください。僕にはエージェントというクールな名前があるんですから」
「ええ、そうね。分かったわ、エージェント。お願いだから出ていって。プロポーズの返事は『ごめんなさい』よ。出会ったばかりだし、まずは赤の他人から始めましょう」
いや、無理。ホント無理。今更他人と……って、コイツの場合は人じゃないか。とにかく、AIと同居なんて無理。誰かと意思疎通取りながら暮らすなんて、ありえない。
「……アンタ。どうあっても、私を外に連れ出したいみたいね?」
「ええ、まあ。代行者の名で動く以上、僕にも譲れない使命があるので」
問いかけると、先ほどまでおちゃらけていたAIは態度を急変させ、機械的な声色で答えた。人間じみたヤツではあるが、一応は非人間な側面も持ち合わせているらしい。
瞳の赤色を強めながら、AIは冷徹に言葉を続ける。
「なにも、連れ出すのは誰でもいいってわけじゃないんです。あなたじゃないとダメなんですよ、ヨシナカケイ。僕の使命──世界再反転のためには、あなたの力が必要なんです」
「世界、再反転……? どういう意味よ、それ?」
「書いて字の如く、です。反転してしまった世界を、もう一度反転させる。要は、世界を元に戻すってことですよ。それが僕の使命ってわけです」
「は? じゃあ、なに? アンタは少しはマシになったこの世界を、またあんな『終わってる』世界に戻したいの?」
「ええ、そうです。元の世界がどうとか、関係ありません。それが僕の使命です」
「そう。まるで、人類の敵みたいね?」
「なんとでも言ってください。使命のためならなんだってやるし、誰だって敵に回します」
みたい、というか人類の敵そのものだった。善くなった世界を、また悪の世界に戻そうとしているのだ。こんなの、黒幕以外の何物でもないだろう。
「で、その黒幕さんはどうして私なんかの力が必要なわけ? 私、やる気の無さだけは右に出る者が居ないって自負してるけど? お役になんか立てないわよ?」
「役に立てるか、は関係ありません。計画の都合上、反転してない人間の力がどうしても必要なんです。そして僕が知る限り、反転してない人間は──ヨシナカケイ、あなただけだ」
「……」
なんかもう、色んな意味で絶句するしかなかった。
面倒だな、とか。
どうして私だけが、とか。
嫌だなぁ、とか。
やっぱ面倒だなぁ、とか。
ほんと、なんなのコレ。意味分かんない。こんなの、ほとほと呆れて溜息すら出てこないわ。
ああ。言われてみれば、確かにそうだった。周りにも自分にも無頓着過ぎて、全然気づいていなかった。
──世界が変わったのに、私だけが変わっていないじゃないか。
「なるほど、ね。理解したくないけど、大筋は理解したわ。世界が裏返った。エージェントは、そんな世界を元に戻したい。そして、コレには反転していない人間、つまり私の力が必要、と。そして──おそらく、私に拒否権は無い」
……思うに。物語の始まりというのは、得てして理不尽なものだ。
著者から選ばれてしまえば。名前を与えられてしまえば。誰だって主人公になってしまう。彼、もしくは彼女の意思は決して介在せず。ある意味、神たる作者から理不尽に役割を与えられることで、物語は動き始めるとも言える。
──そして、この場合。不幸にも私は『世界反転の筋書きを描いた何者か』から、主人公に選ばれてしまったのだろう。
だって、そうでなければ理由が無い。何も無い私が。空っぽの私だけが、反転に巻き込まれなかった理由なんて。
……そんなの、気まぐれな神様から選ばれたとしか思えないでしょう?
だから。めんどくさいけど、抗えない。この奇妙な非人間から捕まった時点で、私の運命は決まっていた。
「ふふ、ふふふふふ……ははははは! いい! いいですね! 最高の回答だ! そう! あなたは最初から僕に協力するしかなかったんですよ! なんせ、ここは『善』の世界!! 他人を思いやる社会だ!! 彼らは決して、引きこもるあなたを放っておいてはくれないでしょう! あなたにとっては、むしろ生きづらい世界だ!!」
そう。まったくもってコイツの言う通り。独りに慣れ過ぎた私は、元の場所でしか生きられない。
だって。この善意に満ちているであろう世界は、きっと私を放っておいてはくれないから。だったら。私に無関心でいてくれる悪の世界の方が、まだマシだから。
仕方なく、主人公を演じてやろう。さっさと演じ切って、元の生活を取り戻してやる。
──きっとそれが、一番楽だ。
まあ、もっとも。
「さあ。もう一度、共に世界をひっくり返しましょう?」
傍から見れば、人類を破滅に導く悪役でしかないのだけれど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます