1st-Key 「FAMILY」

第一話 おわり/はじまり

 毎日毎日、明晰夢を見るようになったのは。一体、いつからだっただろうか。

 広がるセカイは、いつだって同じ。見渡す限りの、白。白。白。あまりに白だから、どこまで続いているのかさえ、分からない。

 無境界の空間に、ぽつねんと独り。存在するのは、私だけ。出口も無ければ、非常口も見当たらない。為す術なく、揺蕩うことしかできない。


 けれど私は、この『無』が嫌いじゃなかった。


 だって。喜びも悲しみも無いけれど、面倒事も、ここには無いんだもの。独りで成立する分、普通に生きるよりはいくらか楽だ。

 黙って流されていればいいし。

 波風が立つこともないし。


 ──あんな終わっている世界で生きるくらいなら、ここに居る方がよっぽどマシだ。


 ふわふわぷかぷかと浮かんでいるだけでいい、文字通り夢のような時間。でも、ざんねん。出口が無くとも、この白い夢はすぐに終わりを迎えてしまう。


 悲しきかな、私は生きている。生きるのが面倒なくせに死ぬ勇気も無く、ぶっきらぼうに生きている。永遠に眠れない私は、いずれ朝日から叩き起こされてしまう。


 夢は、覚めるから夢なのだ。


 そうして、別れは目覚めと共に。

 さよなら、夢のセカイ。また、会いましょう。

 おはよう、世界。贅沢は言わないから、今日も私を放っておいてね。

 

 ……ああ。この退屈にも、すっかり慣れてしまった。

 二八八九年、一月八日。今日も、いつも通りの朝だった。

 カーテンの隙間から差し込む光を浴びて、受動的に目を開ける。また始まるのか、と。どうせ何も起こりやしない一日に、期待するでもなく、悲嘆するでもなく、ただ『面倒だなぁ』なんて思いながら、いつものように身体を起こした。

 重いまぶたを擦りつつ、もはや暮らし飽きた一室を見回す。ものひとつ無い、酷く狭いワンルーム。昨日も今日も、変わらない。事なかれ主義な家主を鏡写しにしたような、『空虚』の一言に尽きる箱庭だ。

 やがてそんな視界にも飽き、次は音に意識を向ける。わいわい。がやがや。耳をすませば、法律で決まっているかのようにいつもどおりな町の喧騒が、両の耳を駆け抜ける。

 そして今日はやけに、街頭大型ビジョンから流れているであろう、アナウンサーの声がうるさかった。


『近年は強盗・殺人等の重犯罪は減少の一途をたどっており──』

『アカシグループ研究部、「新相対性理論」を提唱。未だ証明はなされていないものの、この理論は現在進行中のタイムマシン開発に貢献する可能性が示唆され──』

『アカシメディカルのライフドーピング技術に飛躍的な発展の兆し。老衰緩和剤の投与により、将来的には人類の生命活動可能時間が大幅に延長されることも──』


 報道されるのは、耳障りの良いコトばかり。まるで『この世界は平和で未来も明るいですよ』と、声を大にして主張されている気分だ。うっとおしいこと、この上ない。

 平和? 明るい未来? お笑い草もいいところ。この世界がそんな都合の良い理想郷じゃないことくらい、誰だって知っている。

 確かに、人殺しはほとんどなくなったのかもしれない。しかし西暦二八八九年現在、この国は人口の五割以上が前科持ちだ。それは調べればすぐに分かることだし、それを知った上で、人々は今日を生きている。重犯罪が無いだけの、軽犯罪大国だ。

 技術が発展しただけの、悪意に満ちた社会。騙し合い、足の引っ張り合いなんて、当たり前。表面は平和に見えるだけで、中身は汚濁に溢れている。それを承知の上で、数多の悪人共は生きている。

そんな、終わりきっている世界。

 ──だから、もう、いい。そんなトコロで生きるのは、とっくに諦めてる。


 だって。


【うるせぇな。子供は黙って親の言うことを聞いてりゃいい。そうだろ?】

 おかしいことを『おかしい』って言ったら、殴られるし。

【あんたなんて、あんたなんて……生まれてこなければよかったのよ……!】

 黙って現実を受け容れていても。言葉の刃が切り付けてくるし。


 そんなの、地獄でしかないでしょう?

 

 ま、でも、いいの。皆にとっては、それが『普通』らしいから。

 多数決には勝てないので。少数派は、少数派らしく。誰とも関わらないように、社会の枠組みから外れて。私はずっと、閉じた部屋で生きてきた。


 ゆえに、私は世界に願う。

 やさしさは、求めません。

 愛情なんて、いりません。


「──だから。せめて私のことは、放っておいて」


 ああ、けれど。願いなんて、大抵は叶わないものだから。


 ピリリリ。ピリリリ。


「……はあ。またか」


 こうして『ほっとけ』と思った時に限って、物好きが私に関わろうとしてきたりする。


「ま、いつも通り無視するだけなんだけど」

 

 二年くらい前から毎日続いている、もう何度目か分からない着信音。手首に巻きつけた、腕時計上の小さなデバイス。 簡素な液晶画面が付属しているソレが、甲高い音を私の鼓膜に叩きつけてくる。


 何回無視しても、毎朝かかってくる、謎のモーニングコール。

 相手の名前も顔も知らないものだから、謎としか言いようがない。


 分かっているのは、一つだけ。


『新着メッセージが一件あります』


 こうして私がひとしきり無視を決めた後、謎の人物Xは決まって毎回音声メッセージを残すことで。


『もうっ! いつになったら学校来るのよ! アンタが来るまでアタシ、絶対あきらめないから!! アンタが声を聞かせてくれるまで、何回だって連絡してやるんだからね!!』


 毎度毎度。やたらキンキンうるさい声で、少女Xは私を学び舎に連れ出そうとするのだ。


「はは。今日も元気だったなぁ」


 この世界でただ一人、私に関わろうとする彼女。本当に物好きだと思うし、私なんかにラブコールしてくる理由も、皆目見当がつかない。親の了承が得られないから退学できず、仕方なく学校に籍が残っているだけ。そんな私に、どうしてここまで執拗にアタックしてくるのだろうか。


 ──ああ。でも、きっと。彼女は心根の強い善人なのだろう。


 他人を食い物にするのが当たり前の世界で、なんの掛け値も無しに私という他人を気遣っている。正直おせっかいでしかないと思うけれど、そこにあるのは純粋な善意だけだ。でなければ、私みたいな引きこもりに声を掛けるはずがない。

 悪意の嵐の中を、強烈な善性で突き進んでいく。もし、この地獄のような世界を変えられる救世主が居るとしたら、それは彼女のような人間なのかもしれない。


「……すごいなぁ。生きるの、大変そうだなぁ」


 そうして、ひとしきり少女Xの人物像を勝手に空想すれば、私の一日はほとんど終わり。

 空っぽの夢を見て、起きて。また寝て、夢を見て、起きて。

 寝て、夢を見て、起きて。

 寝て、夢を見て、起きて。

 寝て、夢を見て、起きて。

 毎日毎日、同じことの繰り返し。

 夢は真っ白。現実は空虚。どこに居ても、何も無い。


 でも、何も無いなら、それで良い。

 生きるのはしんどいです。

 でも、死ぬのは怖いです。

 『居ないもの』として蚊帳の外に居るのが、一番楽です。


 それが私、ヨシナカケイなのです。


「……はぁ」


 溜息混じりに。もう何年も開いていない、自室の扉に目を移す。

 たった七文字のパスワードを打ちこむだけで簡単に開けられる、小さな小さな私の扉。

 けれど、その平易なセキュリティは、一回だって突破されることはなくて。なんということはない扉が、私と世界を確実に断絶する境界線になっているような気がした。


「……はは。もういっそのこと、扉の向こうの世界なんて、いっそ滅んじゃえばいいのになぁ。なーんて──」


 ──と。それは、いつもと何も変わらない、なんとなしの呟き。


 本心ではあっても、誓って本気の一言なんかじゃなかった。そうは言いつつも、『どうせ明日もいつも通りの朝なんだろうな』なんて、私は私らしく、いつものように諦観を決め込んでいたよ。


 だって、そうだろう? 誰だって、鶴の一声で世界が変わるなんて思いやしない。ましてや世界の一員になろうともしない私の声なんて、聞き届けられる資格も無いじゃないか。


 けれど、信じがたいことに。というか、明日目覚めるまで私自身も信じていなかったけれど……気まぐれな神様は、こんな私の願いを叶えてしまったんだ。


 まるで、それまでの人生十七年間がまるっと全部、ただのプロローグだったんじゃないか、なんて思えるほどに。明日は、いつも通りの明日でなく。波風立たない日常は、波乱万丈の非日常へ早変わり。


 次の朝を迎えた私は、何もかもが裏返った社会に、飛び出していくことになる。


 ──そう。世界は、いつまでも私を、放っておいてはくれなかったんだ。

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