第17話 獣人変化
壁のツールをいじりながら変身を維持して1時間位。次はいよいよ、完全な獣人への変身を試す段階だ。
相埜先輩は「ダメ元だ」とは言っていた。なんでも、今の段階である軽度の変身は大概の人がすんなり出来るのだが、完全な獣人への変身はいろいろコツが要るらしい。
「よし、いくぞ」
「んっ……!」
相埜先輩がプログラムを起動させて、あたしのVRのアバターが変化していくのが分かる。VRの中のこととはいえ、変身中の身体の変化は感覚としてあたしに伝わってくる。骨の形が変わり、顔の形が変わり、あたしの頭が完全に猫になった。
目を開けて、鏡を見る。そこには三毛猫獣人になったあたしがいた。相埜先輩が驚きに目を見張る。
「これは驚いた。完全な猫獣人への変身も、今日のうちに問題なく行えるか」
「にゃ……えへへ」
相埜先輩の驚きの言葉に、あたしは嬉しくなって尻尾を揺らし喉を鳴らした。無意識で。同時に猫語が口から漏れたのに気付き、はっと両手で口を押さえる。
「あっ、にゃって言っちゃいました」
「意識の方はやはり多少引きずられるな。だが矯正できる範囲だろう」
あたしが恥ずかしがると、相埜先輩がカタカタとキーボードを叩く仕草を見せた。手元にはホログラムキーボードが浮かんでいる。そんな事も出来るのか。
すると、あたしのそばに歩み寄ってきた相埜先輩がこくりとうなずいた。
「変身系異能の、変身する感覚を身につけることについては概ね問題なし、と。よし和山、ステージを変えるぞ」
「ステージ?」
先輩の言葉にあたしがきょとんとしたその瞬間。部屋の中の風景が一瞬で切り替わった。同時に視界に映る景色の高さが変わる。1階から2階に移動したかのようだ。
「わっ!?」
「猫ならここで決まり、ロフト付きワンルームのステージだ。今はロフトの上にいるだろう」
自信ありげに相埜先輩が言ってきた。ロフトとは言うが、結構高さがある。下の床はフローリング、2メートル以上はロフトの高さがあるらしい。
驚くあたしの背後に相埜先輩が回り込む。そのまま先輩はあたしの首根っこに手を伸ばし、ぐいとあたしを持ち上げた。両手両足がぶらんと垂れ下がるような感覚を覚える。現実では床に足をつけているはずなのに。
「う、わ、わ!?」
「今からロフトから下のフロアにお前を落とす。着地してみせろ」
困惑しながらじたばたするあたしだ。そんなあたしを気にも留めずに、相埜先輩はロフトから身を乗り出し、あたしを宙ぶらりんにしてしまう。怖い。
手足をばたつかせながらあたしは大声を上げた。
「む、無理ですってそんにゃ! 怪我しちゃいますにゃ! あっまたにゃって」
「お前は猫だろう、怪我などするものか。ほら、いくぞ」
もう猫語連発なんて気にしていられない。いくらなんでもこの高さのロフトから落とされたら、人間だったら無事では済まないはずだ。
頭の上の耳をイカみたいに伏せながらうにゃうにゃ言うあたしの言葉を、ちっとも聞いてくれない相埜先輩。そして無情にも、彼はあたしの首をつかむ手を離した。
「そら」
「に゛ゃーーーっ!!」
身体が下の床に向かって自由落下する。尻尾がぶわっと膨らむのを感じた。もう猫のように鳴こうが喚こうが気にしていられない。
どうしよう、このままじゃ怪我をする。そう悟ったあたしは体重を上半身に持っていった。両手から床につくようにして、猫のように両手両足を床につける。息を荒くしているあたしは、ようやくそこで怪我も何もなく下に降りることが出来たことに気がついた。
「はぁっ、はぁっ……あれ?」
「よし、問題ないな。猫獣人には猫譲りの柔軟性と身体能力がある。高いところから落ちたとしても、この通りだ」
ロフトの上から身を乗り出したままの相埜先輩が、何でも無いことのようにあっさりと言ってくる。ひどい、あの瞬間は本当にあたしは死ぬかと思ったのだ。
立ち上がって牙を剥き出しながら、あたしは相埜先輩に文句を言う。
「ひどいです相埜先輩! 本当に落とさなくてもいいじゃにゃいですか!」
「落ち着け、VRの中でだけの話だぞ」
怒りを露わにしながら拳を振り上げるあたしに、なだめるように相埜先輩が言ってきた。だが、確かに間違いなく首根っこを掴まれる感覚はあった。それに関してはVRの中だから、というのは理由にならない。
にらみつけるようにそのまま相埜先輩を見上げていると、先輩はしれっと返してきた。
「まぁ、若干お前の身体を持ち上げたのは事実だが」
「んなーーっ!!」
先輩の言葉にあたしの尻尾がますますぶわっと膨らむ。もう、わざとやっているとしか思えない。いや、わざとやってるんだろうけど。
あたしが若干呆れていると、相埜先輩がロフトの上から手招きしてきた。
「それはどうでもいい。ほら、上がってこい」
「あ、上がるっていわれても」
手招きをされて、あたしは困った。自然と耳も伏せられてしまう。
何故って、ロフトはあんなに上にあるのに、ロフトに上がるためのはしごがどこにもかかっていないのだ。
「はしご、無いですけど……」
困りながらあたしが言うと、相埜先輩が呆れた様子でため息をついた。
「要らんだろうそんなもの。軽くジャンプして上がってこい」
「えー……」
相埜先輩の言葉に、今度はあたしが呆れる番だ。もう一度言うが、2メートル以上の高さがあるロフトである。一般的な人間ではまず、ジャンプで登るなんてことは無理な高さだ。
しかし、あたしは今は猫獣人であるわけで。
「こ、こんな感じ――」
軽く床を蹴るイメージでジャンプする。と、ひらりとあたしの身体は跳び上がり、ロフトの上に何の苦もなく跳び乗った。
「わっ!」
「これが猫獣人の身体能力だ。どうだ、感動するだろう」
一発でさらっとロフトに飛び乗れたことに目を見開くあたしに、相埜先輩がにやりと笑いながら話した。
これはすごい。本当に人間とは比べ物にならない身体能力だ。こんな世界の中で変身系
「にゃあ……すごい……」
「この感覚を違和感なく使えるように、お前の身体を鍛えていく。しっかりとついてこい」
頬に両手を当てながら感激するあたしに、相埜先輩は淡々と言ってきた。確かにこの感覚は、最初のうちは違和感マシマシだ。
心が落ち着いたところで、相埜先輩が軽く息を吐く。
「よし、今日はこんなところにしよう。変身を解除するぞ」
「は、はい。あの」
変身を解除して、今日の訓練は終わりということだ。と、そこであたしは自分のもふもふの腕や尻尾を見ながら問いかける。
「終わりだっていうなら、このシミュレーター普通に終了してゴーグル外せばいいような気がするんですけれど」
「馬鹿野郎」
あたしが投げた質問を、相埜先輩は容赦なく一蹴する。呆れた表情になりながら、相埜先輩がホログラムキーボードを叩いた。
「パーソナルコンピュータだって正規の手段でシャットダウンしないと不具合が出るだろう。変身解除はそのシャットダウン作業だ。怠るな」
「は、はい……」
そういう風に言われたら、あたしも反論はしようがない。大人しく変身を解除し、人間に戻る。
尻尾が引っ込み、耳が頭の横に移動しながら形を変え、三毛の毛皮が引っ込み、マズルが引っ込み。そうして人間の体に戻ったあたしが、ロフトの上で脱力するようにその場で座り込んだ。
「ん、ふう……」
「よし、これで完了だ。ゴーグルを外せ」
相埜先輩がそう告げるや、VRゴーグルのプログラムが終了する。ゴーグルの画面が真っ暗になったのを確認して、あたしはVRゴーグルをゆっくりと外した。
パソコンの前に座っていた相埜先輩が、床に座り込んだままのあたしに声をかけてくる。
「どうだ、体調は」
「なんか……変な感じです。まだ頭の上に猫耳があって、腰から尻尾が生えてる感覚が……鼻も……」
相埜先輩の言葉に、あたしは腰や頭をしきりに触りながら答えた。正直、まだ猫獣人だった頃の感覚が身体に貼り付いてて仕方がない。
あたしの言葉に相埜先輩が小さくうなずく。
「感覚の『
いわく、変身系の異能は変身した後の体の感覚が、変身を解除した後にも残ってしまいやすいんだそうだ。
確かに体の構造とか、人間には無い体の部位とか、鋭敏な感覚とか、そういうのが残ってしまうのはどうしたってあるだろう。
と、相埜先輩がゆるゆると頭を振りながら説明を続ける。
「だが、俺の開発したチョーカーには先程も言った通り、『異能の残留』という、未だ解決出来ない問題が存在している。チョーカーを外してもなお、肉体に異能が残ってしまうんだ。抜けるのに多少の、時間がかかる」
「ひぇっ」
相埜先輩の言葉に、あたしは小さく竦み上がった。そう言えばさっきも、異能が身体に馴染むのと、異能が身体から抜けるのに、一日くらい時間がかかると言っていたような。
恐る恐る、あたしは相埜先輩に問いかける。
「ざ……残留したまま別のチョーカーをつけると?」
普通の
ぞわっとなるあたしに、ため息をつきながら相埜先輩は答えた。
「異能が混ざり合って変質する。文字通りの
「ひぇっ」
その答えは、予想していた通りのものであった。怖い。完全に人間でなくなるどころか、どの生き物でもない化け物になってしまうとは。
と、VRゴーグルを消毒して片付けた相埜先輩がすんと鼻を鳴らす。
「まあこんなところか。今日はもう遅い、そろそろ帰れ。明日の放課後にまた来い」
「は、はい」
窓の外を見れば、もう既に空が暗い。時計を見たら午後7時を回っていた。確かにそろそろ、あたしも帰らないといけない。
帰る準備をするためには、カバンの置いてある教室に行かなくては。部室を出る前に、あたしは相埜先輩に振り返った。
「あ、あの……」
「なんだ」
あたしの言葉に、短く相埜先輩が返してくる。淡々とした言葉と、ジトっとした目つき。その視線を見つめ返しながら、あたしは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」
これから、たくさんお世話になるのだ。礼を述べるあたしに、相埜先輩は短く返した。
「ああ」
その言葉を聞いて、あたしは異能開発部の部室を出る。早くしないと教室が閉められてしまう。あたしは1年1組の教室に向かって、急いで駆け出した。
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