第5話 入学式前

 制服も仕立てて、教材も揃えて、一緒に入学する無能力者ノーマルの人とも顔合わせをして、あれよあれよと4月4日、入学式の日はやってきた。

 この日はパパもママも仕事を休んで、あたしに同行して入学式に出席する。真新しい制服に身を包んだあたしと、きっちりスーツを着たパパは準備を終えて、ママが化粧を終わらせるのを待っていた。


「ママー、行けるー?」

「ちょ、ちょっと待って、お化粧がまだ!」


 あたしが洗面所を覗き込むと、ママは大急ぎでファンデーションのパフを叩いていた。入学式に出席するとなれば化粧は当然だが、だとしても気合を入れ過ぎな気がしないでもない。

 あたしの後ろからパパも顔を出して、困ったようにママに声をかけた。


「おい、そんなにがっちり化粧しなくても大丈夫だぞ。どうせ俺達の顔なんて誰も見ちゃいないんだ」

「そうかもしれないけど! マナーってのがあるでしょ!」


 パパの言葉に言い返しながら、ママがファンデーションの蓋を閉める。そこまでやったなら後はもうちょっとのはずだが、焦りからか非常にわたわたしていた。

 大慌てでハイライトを入れるママに、肩をすくめながらパパが言う。


「あのな、ママ。巽山高の校舎内におけるマナー・・・はただ一つ。『他人を威嚇する・・・・・・・ためだけに・・・・・異能を使うべからず・・・・・・・・・』だ」


 パパの言葉に、ママの化粧ブラシを動かす手が止まった。

 パパの言ったマナーは、あたしも聞いたことがある。学校内で異能を使うことは自由だが、他人を怖がらせるために異能を使ってはいけない、というのが暗黙の了解になっているのだそうだ。

 結局のところ、無能力者ノーマルであるあたし達がどれだけおめかししようと、誰も気にしないということである。警察官であり、異能力者ホルダーとの付き合いも多いパパが言葉を続ける。


「俺もママも、和泉も無能力者ノーマルだ。異能力者ホルダー連中よりは弱いし、見栄えもしないかもしれない。だが、だからといって引け目を感じる必要は無いんだ」


 パパの言葉に、再び化粧ブラシを動かし始めたママが口をとがらせた。頬の骨に乗せるようにハイライトを入れつつ、文句をつけるようにママが言う。


「そこまで言うなら、あなたが行ってくれればそれでいいじゃない。なんで私まで行かなきゃならないのよ」

「気持ちは分かるけれど、巽山高の入学式は重要な行事だからなあ。入学者の身内は極力参加するのが決まりなんだとさ」


 ママの言葉にパパが肩をすくめた。なるほど、そういう決まりがあるのならパパもママも、両方とも参加しないと逆に目立ってしまう。

 そう言えば入学ガイダンスの中にも、「ご家族の方で参加が可能な方は、極力入学式にご参加ください」と書いてあった。入学ガイダンスにも記載するほどなのだから、大概の親御さんは出てくるんだろう。

 困ったように笑いながら、パパが軽い調子で言った。


「だからきっと、警視総監殿も出てくるだろうさ。可愛い末の息子の入学式だ」

「ひぇ……」

「ほぇー、すごい」


 パパの話した言葉にママが息を呑み、あたしは呑気にも声を発した。つまり警視庁のページに顔が出ていた陸翔君のお父さんも、入学式に出てくるというわけだ。

 そこで時計の針が動く音がする。見ればもう8時55分だ。入学式が始まるのは10時、出来れば10分前には学校についておきたい。

 パパも腕時計を見ながらママを急かした。


「ほら、そうと決まれば早く行くよ。間に合わなくなる」

「そうだよママ、早く」

「ちょ、ちょっと待ってあなた!? せめてフィニッシュパウダーだけは!?」


 あたしとパパの言葉に、いよいよ焦ったママが化粧品の入った洗面台脇の棚にハイライトを突っ込んだ。そこからフィニッシュパウダーを取り出してほとんど顔にぶっかける勢いでまぶす。

 ママの支度が済んだら家を飛び出し、自宅最寄りのJR武蔵野線新座駅へ。そこから電車で国立駅に向かい、巽山高校まで三人で急いだ。角を曲がってからはほとんどダッシュだ。

 校門をくぐったのは9時53分、なんとか入学式には間に合った。


「はぁ、はぁ……」

「ま、間に合った、な」

「も、もう、私はハイヒールなんだから、は、走らせないでちょうだいよ……!」


 息を荒くして、膝に手を置くあたしとパパ、ママ。呼吸を整えながら学校の中に入った。

 ほとんどの新入生は既に大講堂に入っているらしく、生徒の数はまばらだ。どんどんと大講堂に入っていく新入生とその親御さんの後について、あたし達も大講堂へ入ろうとしたところで、ちょうど大講堂のホールから出てきた一人の少年と目があった。


「あれ?」


 その少年があたしの方を見て小さく声を上げる。と、彼はにこやかに笑いながらこちらに駆け寄ってきた。


「よう、和泉!」

「え?」


 名前を呼ばれて、あたしはハッとした。この少年の顔立ち、目鼻立ち、声。あたしにも確かに覚えがあった。パッと顔が明るくなるのを感じながら声を返す。


「陸翔君!」

「おはようさん! 今日からよろしくな!」

「む」


 あたしと再び顔を合わせたのは陸翔君だった。そして陸翔君の後ろに立っている、大柄で彫りの深い顔をした壮年の男性があたしを見てくる。

 その男性の顔を見てあたしが何を言うより先に、パパがビシッと背筋を伸ばし、敬礼しながら男性に声を上げた。


「こ、こ、これは警視総監殿! この度はご子息のご入学、誠におめでとうございます!」

「その声色……ああ、捜査二課の和山か。君の娘と同級生になるとは思ってもいなかったよ」


 緊張で声が上ずるパパに、相手の男性――陸翔君のお父さんであり、警視庁警視総監の神谷誠吾さんも思うところがあったらしい。

 それにしても、男性の頭の上にも三角耳、腰からは尻尾。やはりこの人も『狼』の変身系異能力者ホルダーであるらしい。パパの声色で誰かと把握するあたり、さすがは狼の人だ。

 誠吾さんの言葉に、パパがますます背筋を伸ばした。そのまま90度、腰を折ってお辞儀をする。


「はい! 不出来な娘ではありますが、何卒……!」

「よろしくお願いいたします……!」


 ママも一緒になって恐縮しながら頭を下げた。慌ててあたしも、パパとママと一緒にお辞儀をする。何しろ目の前にいるのは陸翔君の父親であると同時に、パパの上司である。下手な対応は出来ない。

 頭を下げるあたし達三人に視線を向けてから、誠吾さんは陸翔君に目線を移した。


「陸翔」

「はい、父さん」


 陸翔君も自分の父親にはかしこまって話すらしい。そのギャップに驚き、思わずあたしが小さく顔を上げると、誠吾さんはあたしに目を向けながら静かに言った。


「お前から声をかけたということは、信用してよいのだな」


 誠吾さんの発した言葉に、あたしは目を見開く。相手は感覚機能の優れた『狼』の異能力者ホルダー。きっと彼らには彼らの、無能力者ホルダーには推し量れない物差しがあるのだろう。

 果たして、陸翔君はあたしを見ながらこくりとうなずいた。


「はい、和泉は大丈夫・・・なやつです。無能力者ノーマルなところも高評価です」

「ほう」


 陸翔君がきっぱりと言った様子に、誠吾さんが声を漏らした。どうやらあたしは陸翔君のお眼鏡に叶う人材らしいが、何がどう大丈夫なのかはまだ分からず仕舞いだ。

 と、何人か行き交う新入生やその親御さんの中で一人、あたしと陸翔君をじっと見ている少年がいた。水色の髪を短く刈り込んだ、冷たい眼差しの色白の少年だ。

 その少年が、あざ笑うように鼻を鳴らして笑う。


「フン……」

「えっ?」


 突然の嘲笑に、あたしは目を見開いてその少年を見た。少年の笑みはあたしよりも陸翔君に向けられたもののように見えたが、それにしたって理由が謎すぎる。

 と、陸翔君も少年に笑われたことに気がついていたようだ。しかも顔なじみであったようで、ハッとした表情をしながら声を上げる。


「あっ、オイ、れん!!」

「動物系統最高峰の『狼』の神谷が、無能力者ノーマルと馴れ合うことを良しとするなど、ちゃんちゃらおかしい話だ」


 陸翔君が言い返すも、廉と呼ばれた少年は意に介さない様子で嘲りの言葉を発した。と、そこで少年に付き添っていた少年と同じ髪色の男女が、冷たい口調で話す。髪色と肌の色を見るに、どうやら少年の親御さんのようだ。


「廉、慎みなさい」

「いくら幼なじみ・・・・が自分以外の子供と仲良くしているからと、嫉妬するのは見苦しいですよ」

「父様、母様も……だってあいつが」


 両親からたしなめられて、廉君なる少年が困ったように声を上げた。しかし父親らしき男性が一瞥すると、それ以上何も言えない様子で口を閉じる。そのまま三人揃ってホールに戻っていくのを、あたしも陸翔君も困ったように見つめていた。

 ホールの扉から視線を外した陸翔君が、頭を掻きながらあたしに謝る。


「和泉、ごめんな。これから入学式だってのに」

「彼は……? 陸翔君の幼なじみって言ってたけど」


 彼の言葉にあたしは首を傾げながら問いかけた。陸翔君の幼なじみということは、きっと異能力者ホルダーで、すごい家の人なんだろうけれど、だとしてもあんなに陸翔君が言われる理由が、あたしには分からない。

 あたしの疑問に、陸翔君が眉尻を下げながら答えた。


「『氷王ひょうおう』の桧山ひやま、その一人息子の桧山ひやまれんだよ。精霊系統の変身系異能力者ホルダーではトップに位置する家だから、あんまり無能力者ノーマルにいい顔しないんだ」

「へ、へえ……?」


 飛び出した言葉に、息を吐きながらあたしは返した。精霊系、ということは現実には存在し得ない神話上の生物とか、神々とか、そういうものに変身する異能力者ホルダーということだ。そのトップ、『氷王』は氷を司る神様に変身するという話を耳にしたことがある。

 それは、なるほど。すごい家だし、異能力者ホルダーとしてもトップクラスだ。無能力者ノーマルを見下すのも当然だろう。

 納得したところで誠吾さんが眉をひそめた。大講堂のトイレに向かう方に足を向けながら口を開く。


「陸翔、何をしている。早くせんと入学式が始まるぞ」

「あっ、やっべ!」


 言われて、陸翔君もハッとした表情を浮かべた。どうやらトイレに立つためにこうしてホールから出てきたらしい。

 いけない、あたしも急いで来たからトイレに行けていない。


「パパ、ママ、時間は!?」

「あっ、もう10時になるぞ!」


 パパとママに慌てて声をかけると、パパも腕時計を見ながら焦りを浮かべた。まずい、今からトイレに行っていて間に合うだろうか。

 そうこうする間にも陸翔君はトイレに向かって走り出している。


「和泉、早くしないと席がなくなるぞ! 俺はトイレ行ってくる!」

「あっ、待って、あたしも!」


 慌てた様子の陸翔君を追いかけて、あたしもトイレにダッシュで向かった。開会の時間までもうすぐ、途中で限界を迎えないためにも、あたしと陸翔君は同時にトイレの中に飛び込んだ。

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