第4話 狼人邂逅

 職員室の出口の傍まで来て、ママが水城先生に改めて頭を下げる。


「それでは、4月からよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 ママに倣ってあたしも、挨拶をしながらお辞儀をした。これからどこまでお世話になるかは分からないにせよ、お世話になることは間違いないのだ。

 あたしとママに微笑んで、水城先生が小さく頭を下げる。


「ええ、こちらこそ。入学式で会えるのを楽しみにしているよ」


 そう言って、先生が職員室のドアを開けた。そこから出ようと、あたしとママが振り向きながら足を踏み出した時だ。

 開いたドアのすぐ向こうに、小柄な男の子と背の高い女の人の姿があった。


「おっと」

「わっ」


 ぶつかりそうになって、思わず足を止めながら仰け反る。すんでのところでぶつからずに済んだ。ホッと息を吐きながらママが頭を下げる。


「す、すみません」

「いえ、こちらこそすみません」


 お相手の女性もこちらに頭を下げてきた。

 栗色の短い髪、くりっとしていながら吊り目気味の大きな目。男の子の年頃を見るに、あたしと同い年くらいだ。きっと彼も、次年度からこの高校に入学するんだろう。

 男の子と女性の方を見た水城先生が、小さくうなずきながら声をかけた。


神谷かみたに陸翔りくと君だね、ようこそ巽山高校へ。俺に用事かな」

「はい、入学手続きにかかる三者面談のために、水城先生にご挨拶に来ました」


 水城先生の言葉に女性が返事をした。この陸翔という少年もあたしと同じように巽山高校に入学して、そのための手続きに来たらしい。つまりこの女性はお母さんか。

 次の面談の人がこうしてやってきたのだ、水城先生には仕事がある。


「次の面談がありますので、俺はこれで」

「はい、ありがとうございました――」


 水城先生の言葉にうなずいて、ママが返事をしながら職員室を出て、あたしがその後に続いたその瞬間だ。陸翔という少年の、明るい茶色をした瞳があたしにまっすぐ向いた。同時に、彼の鼻がひくりと動く。


「んっ」

「ん?」


 小さく声を漏らした陸翔君に、何事かとあたしが足を止めた瞬間だ。陸翔君の顔があたしの顔、というか首筋にぐっと近づいてきた・・・・・・

 そのまま彼は、ふぐふぐとあたしのにおいを嗅ぎ始める。鼻息が当たってくすぐったい。


「わっ、何、なに!?」

「あっ、こら!」


 困惑するあたしと、慌てて陸翔君を引き離そうとする彼のお母さん。しかし引き離そうとする手の力に抗って、彼はあたしのにおいを嗅ぎ続けた。

 そのまま10秒ほどあたしのにおいを嗅いだ後、ようやく顔を離した陸翔君がにっこり笑いながらあたしに言った。


「へえ、無能力者ノーマルなんだ、お前?」

「え、なんで分かったの」


 開口一番、あたしが無能力者ノーマルだと言い当ててきたことにあたしは驚いた。何も話していないし、ただにおいを嗅がれただけだ。外見的に無能力者ノーマルだと分かるようなものもつけていない。

 と、にっこり笑った陸翔君がつん、と自分の頭をつついた。するとその頭から、大きな三角耳・・・が飛び出してくる。同時に腰からはふさふさした尻尾・・が生えてきた。

 その耳をつつきながら、自慢げに陸翔君が言う。


「俺は『おおかみ』の変身系異能力者ホルダーだからな。においを嗅げば、大体の判別はつくんだ」

「へ、へぇ……すごい……」


 話を聞きながら素直に感心するあたしだ。

 動物系と言われる、地球に実在する動物に変身する異能を持つ変身系異能力者ホルダーの中でも、特に有名で珍しいのが『狼』だ。同じ学年になるなんて予想外だ。

 と、陸翔君の頭を彼のお母さんがぺしんと叩いた。


「もう、陸翔! 初対面の女の子のにおいを嗅ぎに行くなんて、失礼でしょ!」

「ご、ごめん。でも母さん、こいつが随分良いにおいさせてたからさ」


 お母さんに叩かれた頭を手で押さえながら、陸翔君が耳と尻尾を引っ込めた。こんなに軽々と異能を使えるとは、同い年なのに結構な実力のある異能力者ホルダーだ。

 しかし、いいにおいとは。あたしには香水をつけたりする習慣はないし、普段使っている柔軟剤もボディソープも、そんなに香りの強いものではなかったと思うのだけれど。


「いいにおい……?」

「そう。自分じゃ分かんねーだろうけどな」


 不思議に思って首を傾げるあたしに、小さく笑いながら陸翔君が話した。なんだろう、自分じゃ分からない良いにおいだなんて、謎でしかない。

 あたしが疑問に思っている間にも陸翔君のお母さんが、申し訳なさそうにあたしとママに頭を下げて謝っていた。


「ごめんなさい、無作法な子で」

「い、いえいえ。このくらいなら別になんとも」


 神妙な顔で謝られて、戸惑いながらもあたしは顔の前で手を振った。正直、びっくりこそしたものの嫌な感じではなかった。『狼』の人だと説明されたからか、大きな犬ににおいを嗅がれたみたいな感覚が残る。

 と、あたしの顔を見ながら陸翔君が声をかけてきた。


「お前、次年度からここに入学するやつ?」

「あ、うん……そうだけど」


 問いかけられて、すぐにうなずく。入学手続きも済ませたのだから、この高校に入学することは確定だ。

 すんと鼻を鳴らした陸翔君が、続けてあたしに問いかけてくる。


「名前は?」

「わ、和山わやま和泉いずみ


 矢継ぎ早に質問を投げられて戸惑いが隠せない。いや、これから同級生になることを考えたら、この手の自己紹介は早くするに越したことはないんだろうが、それでも急すぎて追いつかない。

 あたしの名前を聞いた陸翔君が、嬉しそうにあたしの手を取った。


「和泉か、俺は神谷陸翔。よろしくな、同じクラスになれるといいな!」

「え、う、うん」


 そのまま握手をされて、びっくりしながらもあたしは返事をする。この子、なかなかに押しが強い。完全に陽の者だ。いやまぁあたしだってどちらかと言えばそっち側の人間だが、あたし以上だ。

 あたしと陸翔君のやり取りを見守っていた水城先生が、嬉しそうに口を開く。


「早速友だちができそうでいいじゃないか。さて、それじゃあ神谷さん、中へ」

「あ、す、すみません水城先生。ほら陸翔、行くわよ」

「はーい」


 水城先生の言葉に、陸翔君のお母さんがもう一度頭を下げた。陸翔君の背中を叩いて促すと、陸翔君も立ち止まっている訳にはいかないわけで、すぐに歩き出した。

 そしてあたしの方に視線を向けて、さっと手を振る。


「じゃあな!」

「あ、ま、またね」


 あたしも手を振り返して、二人が職員室の中に入っていくのを見送った。

 職員室の扉が静かに閉められると、ママが息を吐き出しながらあたしの肩に手を置いた。早速異能力者ホルダーの友達が出来そうな雰囲気であることに安心した様子だ。


「感じのいい子だったじゃない、仲良くなれそうな子がいてよかったわ」

「うん……でも、びっくりしたぁ」


 あたしもドキドキする心臓の鼓動を感じながら、小さく息を吐きだす。随分とぐいぐい来る子だったから色々と驚いたが、悪い子じゃないことは間違いない。というか、率直に良い子だ。

 神谷陸翔。あたしと同じ、巽山高校に次年度入学予定の、同級生。


「狼の変身系異能力者ホルダー、って言ってたよね」

「ええ……なんでも、動物系の中でもすごく強い力を持つ異能力者ホルダーなんだとか。さっきの子からは、そんな感じはしなかったけれど」


 あたしが廊下を歩きながらママの顔を見れば、ママも頬に手を当てながら言葉を返す。

 『狼』の異能力者ホルダーは珍しさもそうだが、能力の強力さでも動物系の中では抜きん出ているらしい。瞬発力や持久力といった運動能力の高さ、聴覚や嗅覚といった感覚機能の鋭敏さ、どれも動物系の中ではトップクラスだと聞いたことがある。

 ママの顔から視線を外し、再び前を向きながらあたしは言った。


「神谷、って言ってたよね、さっきの子?」

「そうね……うぅん、待って、神谷?」


 あたしの言葉に返事をするママだが、ふと何かを思い出したように立ち止まった。そのままスマートフォンを起動して操作を始める。

 なんだろう、あたしも立ち止まり、首を傾げながら振り返った。


「ママ?」

「……そうだわ、どこかで聞いたことのある名前だと思った」


 さっさっとスマートフォンの画面をスワイプしていたママが、小さく息を吐きだした。スマートフォンの画面を覗き込むと、そこにあるのは警視庁のホームページ。警視総監からのあいさつが書かれたページだ。

 そこに書かれている名前を指さしながら、ママが言う。


「もしかしたらだけど、神谷って、今の警視総監・・・・かも」

「えっ、警視総監って、警視庁の一番えらい人?」


 ママの発した言葉と、指さしている名前を見て、あたしも目を見開いた。

 確かにそこに書かれている名前は、神谷かみたに誠吾せいご。口ひげをたくわえた威厳のある人物だが、目元が陸翔君にそっくりだ。

 あたしのパパも警察官だから、決して無関係な人間ではない。警視総監の息子が同級生になるというのか、あたしにとって。


「じゃあ、あの子ってもしかして、めっちゃすごい子?」

「かもしれないわね……やだ、本当に大丈夫かしら、和泉がこんなところで」


 あたしが口をあんぐり開けながら言うと、ママが困ったように両頬を押さえた。

 確かに、どうしよう。そんなすごい人物が平気で入学してくる学校とあったら、きっと同じくらいすごい立場の人が、たくさん入学してくるに違いない。

 あたしとママは次はどんな有名人に出くわすのかとビクビクしながら、校舎の出口を目指して進んでいくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る