1-9.幽霊少女の行方

 その後の現場確認は儀式的なものに終止した。役目に応じた服を着た捜査官たちにより園内隈なくの捜索が現在進行系で行われているものの、その結果はまだ現場レベルから整理されていない。

 夕方から捜査会議が行われるため、一旦公浜西警察署へ引き上げることで一同同意した。黙り込む樹里と由貴、誰にどう話しかけるか困っている実宇。山田を宿に送り届けるという増田が彼女を連れて離れ、磯辺が残っていた。

 樹里の車と磯辺の覆面車両に分乗して移動する。一〇分と少しで、開けた田畑の中に建つ警察署の建物が見えた。

 一階の応接室を開けてもらい、捜査資料のファイルのコピーをいくつか三階から降ろす。黙々と作業してから、ようやく腰を下ろしてもなお空気が重い。樹里は思い出して借りていた26番サンプルを警官に返しておく。その間に由貴は磯辺と何言か話し、その磯辺は若手の野末のずえという鑑識官を連れてきていた。

 ようやく由貴が口を開いた。

「外部から侵入した何者かが偶発的に村上綾を殺害したとしましょう。その何者かの詳細については、一旦さて置きます」

「何者かが、例の写真の〈幽霊少女〉?」と樹里。

「僕はそう考えるのが一番自然だと考えます。少なくとも、〈幽霊少女〉は村上綾さんと接触し言葉を交わしているわけですから」

「動機は」

「それは幽霊の正体が枯れ尾花か、吸血鬼か、人間になりたい地母神か、一旦さておく部分に深く関わるのでしょう。いずれにしてもわかりません。というか、科学的に意味不明なら行動からプロファイルするという王道から始めるというだけです。僕はそちらが専門ですし」由貴はホワイトボードを引っ張ってきてマーカーを手に取った。「やりやすいので一部警察ローカル用語を使います。殺害時点に対して、村上綾さんおよび〈幽霊少女〉の前足と後足を整理しましょう」

 由貴は赤のマーカーでボードの中央におどろおどろしく『MURDER SCENE』と描く。

「まず、山田さんの写真が撮影された当日午後十五時頃、〈幽霊少女〉が公浜ガーデンパーク26番札の位置にいた。ここでは例の白い液体が採取されています。以降の彼女の足取りは不明で、殺害現場に現れている。村上綾はひとりで公園に来ていたんですよね、野末さん、磯辺さん」

 鑑識の作業服を来た黒縁眼鏡の若者、野末が挙手して言った。「被害者の履いていた靴に付着していた塗料と現場施設を囲うフェンスのものが一致しました。現場の捜索で駐車場入口から少し離れた場所のフェンスに塗料の剥離が発見されています。防犯カメラには映らない位置です。大人なら簡単に乗り越えられる高さですね」

 磯辺が後を継ぐ。「地元のタクシー会社のドライバーが深夜二十三時頃に〈公浜プラザホテル〉に隣接する遠川鉄道北浜駅前からマルガイらしき人物を現場まで乗せたとの証言が得られました。呼ぶとしたら、てっきりスマホで電話して呼んでるものとばかり……」

「東京では流してたり溜まってるのを拾うもんだもんな、タクシー」と樹里。「あたしも東京出てきてビビッたもん。タクシーってそんなカジュアルにそのへん走ってんの? って。そりゃ手挙げれば捕まるよな」

 由貴はマーダーシーンの直前に黒のマーカーで『村上綾現場へ ByTaxi』と書く。

「この動機は、〈幽霊少女〉と言葉を交わしたからだと山田さんは証言しています」と言いつつ、十五時付近に『〈幽霊少女〉と村上綾、接触』と書く。

「どっちが先なんだろうな」と樹里。「山田さんも、タイミングは聞いてないんだろ? でも、幽霊の方の行動を考えると、写真の後に接触したのかな」

 樹里は手元のタブレット端末で件の写真を表示させていた。〈幽霊少女〉は、暗がりから村上綾を見つめているように見えた。自分と似た服、似た髪型をしている女を。

 由貴はノック式のマーカーを忙しなく出し入れさせつつ、ホワイトボードを叩く。

「問題は、二十三時付近まで、そして二十三以降の〈幽霊少女〉の行動です。前者については、恐らく、ずっと向日葵畑の中に潜んでいたのでしょう。小柄な人間ひとりが悪意を持って隠れれば、警備員の見回りから逃れることくらいは容易です」

 野末が再び挙手する。「それについては、先程確認が終わりました。入退場口の防犯カメラに、その……〈幽霊少女〉は一切映っていません。というか、私が磯辺の指示でこの少女について防犯カメラ映像の再確認を行っておりまして……」野末は、携えていたファイルから印刷物をテーブルの上に広げた。「まず、二十四時頃。公園裏手のフェンスに設置されたカメラに、不審なライトバンが映っています。何が不審であるかはご覧の通り」

 カメラの解像度が荒い上に印刷も荒かったが、野末が問題視した理由はわかった。停車したライトバンに、少女らしき人物が乗り込んでいた。

 また由貴がホワイトボードに追記する。マーダーシーンの右側に二十四時頃を足し、『Ghost Girl逃走』という記載が増えた。

 カメラの問題と時間帯の問題で、ナンバーも運転手の姿も判然としない。それでも、総合するとこれが犯行後の足取りの証拠ということになる。

「すると次に問題になるのは前足です。さて、彼女はどこから、どのような手段で公浜ガーデンパークまでやってきたのか。車で迎えに来た何者かがいるとすると、この街に地縁のある、恐らくは地元在住で、徒歩数分の距離ではない場所に拠点がある」

「……子供だよね? 私と同年代か少し下くらいの」実宇がホワイトボードをじっと見て言った。「バスとかで来たとか?」

「公木浜の駅前から一時間ね。入場口の防犯カメラに彼女の姿はなかった」

「バスで来てフェンスを乗り越えて入ったとか……」

「だとすると監視カメラを避ける計画性があって、そもそも村上綾さんとの接点が意味不明だよね」

 黙り込んでしまった実宇が気の毒になり、樹里は口を挟んだ。「何かトラブルを抱えていたんじゃねえの。〈幽霊少女〉はさ。どこかから逃げてきた。ライトバンの運転手はそれを連れ戻しに来た」

「さすが樹里さん。冴えてますね。僕も同じ考えです」

「ユッキーお前さ、あたしを褒めるふりして自分を褒めるのやめろな」

「僕は自己否定と謙遜を憎んでいるんですよ」由貴は三流劇団の役者のように肩を竦める。「そう。〈幽霊少女〉は何かから逃げてきた。そして公浜ガーデンパークへの潜伏中に、村上綾に出会った。実はね、野末さんによると……幽霊の足かもしれないものが見つかっているんです」

 由貴の目配せに野末が立ち上がって応じた。

 別の印刷物を取り出し、テーブルに広げる。交通事故の報告書のようだった。日付は事件のあった日の十三時頃。現場は車通りの少ない、県道の側道だった。

 事故車は年代物のトヨタ・クラウンで、車道から外れて横の私有地に突っ込んだまま放置されていた。車内に車検証や持ち主に繋がる書類のようなものは一切なし。ナンバープレートも偽造であり存在しない番号だった。

 野末は言う。「現場周辺は広葉樹や松がまばらに生えていますが、車のリアタイヤ周りにはそれらとは別に、杉の葉が多数付着していました。後輪駆動ですから、発進時にスリップして巻き上げたのだと考えられます」

「不慣れってことか。AT?」

 野末は頷いた。「ナンバー偽装、書類なしでも車台番号等から追跡できると申し上げたいところですが、この七代目のクラウンはそもそもが四十年近く前の車な上、グレード、バリエーションを合わせると五十三万台以上が生産されています」

「血痕とかはなかったんですか?」と実宇。「事故ったんですよね? 怪我とかしてるのでは?」

「鋭いですねえ。それがこの事故が事件性ありと判断された理由ですわ」磯辺が野末に指示し、その野末は新たな印刷物をテーブルに置いた。ふたり揃ってどこか得意気だった。

 事故車の内装を写した写真。ハンドルとシートに、白い液体が付着していた。

「性状から現場26番サンプルと同じ物質と考えられます。ですが事故の発見者はドライバーを目撃していません。事故直後に車を放棄したのでしょう」

 そこまで言って、役目は終わったとばかりに野末は着席する。

 由貴はホワイトボードに追記して言った。「樹里さん、どう思います?」

「少なくともその幽霊または吸血鬼あるいは地母神または美少女ゲームキャラクターには、アクセルペダルを踏む足がある」

「僕はね、ひとつ思い出してしまうんですよ」珍しくジョークに応じない由貴は、マーカーを置いて、目線を実宇へと移した。「なぜ、今日子さんは僕らをここへ派遣したのか。それは、僕ら……実宇さんも含む僕らでないと解決できないと、今日子さんは予想していたからじゃないのか。何か思い出しませんか? 杉の葉。大河。不死の一族」

 あっ、と声を上げ、樹里は即座に「それはねえだろ」と否定してしまう。

 公木浜市は、西側を事件の舞台ともなった湖、東側を大河に挟まれている。その川は、かつて北方の山で伐採された杉を輸送するために使われた。そして木材は、この街で二次産業が発達するバックグラウンドとなった。

「あーっ!」今度は実宇が叫ぶ番だった。「月刊ミュー、一九九八年六月号!」

「日本怪奇紀行」由貴は頷き、何か悪事でも企んでいるようににやりと笑った。「明日の朝イチで行ってみようか。山中に隠れ住む不死の一族に会いにさ」

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