1-4.はまぎの橋のわたりせば

 インターを降りてまず向かったのは、公木浜市の西部のうち、国内有数の汽水湖である濱木湖以東を管轄する、公浜西警察署だった。行政区としては、味気ない西区という名がつけられている。場所はインターと接続する幹線道路である県道沿いだった。

 インター周辺のロードサイド型飲食店やガソリンスタンドが並ぶ一帯を抜けると、農地の間に工場や倉庫がまばらに見える田園風景が広がる。時刻は夜の九時を回り、繁華街とは程遠い街は眠りについている。だが、公浜西警察署は、まるで小さな要塞か何かのように煌々と明かりが灯っていた。直方体に井桁を貼りつけたような一風変わったデザインの四階建ての建物だった。正門にはマスコミの車が並んでいた。

 裏手の守衛所で簡単なチェックを受けて車を職員向けの駐車場に停めると、溌剌とは言い難いくたびれたスーツの男が署内から駆け寄ってきた。

「SARCの方ですね? 西署の磯辺いそべです。派手なバイクでいらっしゃると連絡がありましてね。私と、増田ますだという若いのがみなさんの担当です」

「SARCの小暮樹里です。あっちのバイクが乾由貴。こっちはうちの所長の親族で園田実宇。バイトです」

 車を降りた樹里に、磯辺が手を差し出す。

「〈きみきたる はまぎの橋の わたりせば むかしこひしき あづまぢの夢〉……ようこそ公木浜市へ。乾さんも」

 握手を交わして樹里は応じる。「遅くまですみませんね」

「マスコミがいるうちは帰れませんよ」磯辺は肩を落とした。

 ビジターカードを受け取り、顔から見て取れる年齢よりずいぶんと頭頂部の髪が薄い磯辺の案内で署内を進む。

「もうちょっと揉めると思ったんですけど」と由貴が樹里に耳打ちする。「というか、歓迎されると思いませんでした」

「そういうわけでもなさそうだけどな」

 向けられる目線には剣呑なものも混ざっている。マスコミに騒ぎを嗅ぎつけられ、ただでさえ混乱する警察署に突然現れた民間の怪しげな三人組。ひとりは女子高生。厄介だと受け取られるのが当然だった。

 すると磯辺が、すべて承知ずくのように言った。「私は〈暗夜会〉のことも少しですが聞かされています。ですが大多数はそうではない」

「暗夜会? それは……」

 由貴が遮って応じた。「ああ、暗夜会ですね。ご存知ならありがたい」

「三階の会議室が捜査本部になっています。まずは今日のうちに、お送りした書類を作成して以降の情報を共有させてもらいます」

 磯辺はそう言って、「節電なんです」と苦笑い。エレベータを通り過ぎて階段を進む。

 距離が離れたのを見計らい、樹里は由貴の脇腹を肘で小突いた。

「おいユッキー。なんだよ今の」

「僕にもわかりません。適当に話を合わせました。ですが」声を潜めて応じる由貴。「我らが所長の影響力は僕らが思っているより大きいみたいですね。地方の警察署の実務レベルに同志が浸透するほどに」

「ただの殺人事件じゃねえってことか」

「僕らを派遣する理由があるということでしょう。〈暗夜会〉とやらには一も二もなく通じる何かが」

 こちらです、と磯辺が手招きする。

 扉の開け放たれた会議室の入口には筆書きされた紙が張り出されている。『ガーデンパーク女子大生殺人事件捜査本部』と書かれていた。小走りの捜査員とすれ違い、室内へ入る。

 室内は、エアコンをいくら回しても払えない饐えた熱気に満ちていた。磯辺はその一角の、小型プロジェクターといくつかの密閉袋に包まれた証拠品の置かれた壁際に三人を導いた。

 待ち構えていた筋肉質の男が会釈する。短く刈った髪を整髪料で逆立たせた、日に焼けた体育会系の刑事だった。だが、樹里よりも背は低い。

 磯辺が言った。「こちら、刑事課の増田。私の部下です」

 その増田は軽く会釈すると、PCに触れてプロジェクターを点灯する。目線は磯辺と違い不審げだった。

 挨拶を済ませると、増田が口を開いた。

「時系列順に整理します。被害者の村上綾を含む城南大学サブカルチャー研究会の五名が公木浜市に到着したのは、八月七日の夕方。塩見というメンバーの男子大学生の親族が経営する〈公浜プラザホテル〉に投宿し、近所の居酒屋〈竜宮亭〉で食事。翌日朝、塩見が実家から借りた車で、青木という学生と共に駅前の〈東産レンタカー〉へ向かい、衣装や撮影機材を運搬するためのライトバンを借ります。その後一旦ホテルへ戻り、公浜ガーデンパークへ移動します。到着は午前一〇時五〇分頃でした」

 その後、夏の燦々と降り注ぐ日差しと止むことを知らない蝉の声の中、彼らは撮影に興じる。一三時頃に食事のため一度近所の飲食店へ移動し、その途中で見つけた海浜公園で午後の撮影を行う。

「午後には少しメンバー内で揉め事があったそうです。青木という男子学生が、撮影は十分だから航空自衛隊基地の広報館に行きたいと言い出し、それに長岡という女子学生が同調しました」

「広報館! いいねそういうの。あたし飛行機見たい」と樹里。「ヤマが片付いたら行こうぜ、ユッキー」

「是非行ってくださいな。見応えありますよ。数年前まで現役で飛んでた機体もありますから」磯辺が揉み手で応じる。

 すると、由貴が右手を肩ほどに挙げた。

「すみません、五人の人間関係は?」

「我々もそこに着目しています」

「怨恨ですか。まあ、殺すほど憎むには憎むほどその人を知らなきゃいけません」

 大人しくしていた実宇が「そうなんですか?」と口を挟む。「身近な人なのに殺しちゃうんですか? そんなのおかしいですよ」

「日本の殺人事件の半数は親族によるもの。面識率は九割弱。そういうものだよ」諭して語り、由貴は増田に向き直る。「我々、と仰いましたね。私、ではなく」

「この捜査本部の外様ということです。私も磯辺も」

「だから怪しい三人組に事件の解説もしてくれる。個人的感情よりも正義感を優先する。僕、あなたが好きですよ」

「私は苦手ですね」増田は空いていたホワイトボードを引っ張ってきて、マーカーを手に取った。

 中心に被害者、村上綾、十九歳女性。コスプレ・衣装製作担当。

 その周りに次々と名前を書いていく。青木悟、二十歳男性、撮影担当。山田香菜、十九歳女性、撮影担当。長岡晴海、二十一歳女性、コスプレ・衣装製作担当。塩見柊汰、十八歳男性、コスプレ・衣装製作担当。村上綾以外は全員、『撮』『衣』『コ』と略されている。

 『聴取内容からの推測』と書き添え、増田は名前と名前の間に矢印を引いていく。

 塩見から村上綾へ矢印、上にハートマーク。そのハートに、長岡からの矢印が伸び、目を三角にした顔の絵文字を添える。そして青木からも村上綾にハートつきの矢印を引く。山田だけが矢印から自由だった。

 増田はマーカーを置いた。

「お茶目かよ。柔道部っぽいのに」と樹里。

 すかさず由貴が言った。「ラグビー部でしょ。筋肉の付き方がそんな感じです」

「高校からラグビー部でした」増田はそれ以上雑談には乗らない。「最も有力視されているのは、青木による犯行説です。塩見に村上綾を奪われることを恐れた青木が、深夜の公園に彼女を呼び出し、交際を断られて激昂して殺害……というシナリオです」

「呼び出そうとしたLINEの履歴があるんですわ」と磯辺。ファイルを捲り、スマホ画面の印刷のところで開いて会議机の上に置く。「村上綾は断ってますけどね。その後通話があって、履歴は最後。この通話で、公園での密会を承知させたんだろう、ってわけです」

「長岡から村上綾への嫉妬による犯行説もありえますね。これだけ見ていると」由貴はファイルを数ページ捲り、村上綾のコスプレをしていない写真を印刷したものを開く。「バリバリ加工じゃなくても可愛いじゃないですか、村上綾。自分より若くて可愛くて、五人のサークルの男子二人からの懸想・劣情を独占している女。サークルの和を乱しているからと頭の中で理屈をつけて、これは嫉妬ではないと自分に言い聞かせながら憎しみを向けている、という人物像です。いかがでしょう」

「最低」と実宇。

「お前友達いないだろ」と樹里。「ありえなくはないな。どうして青木説に傾いているんです?」

 増田が応じた。「長岡、車の免許を持ってないんですよ」

「あっこ宿から歩ってくには遠いら?」と磯辺。増田が頷く。

「広報館の件も筋が通ったんですけどね。みんな村上綾に一方的に着目することが面白くなかったから、撮影を切り上げようとした。青木はそもそもそれを察して提案したのかもしれません。あるいは塩見が村上綾とイチャコラしてるのが気に入らなかったのかも」由貴は首を傾げる。「ま、いずれにしても、大学生は血を飲みませんよね」

 増田が頷き、磯辺が証拠品袋のひとつを取り上げた。血に汚れた、青みがかかったガラス瓶の破片だった。

 由貴はしげしげと覗き込む。「凶器ですか?」

「その線で調べることになっていますが、鑑識も監察医も否定しているんです」増田はプロジェクターの方に書類の写しを表示させる。「これは鑑識課から。瓶に頭皮や毛髪等の付着がなく、後頭部の挫傷はこの瓶によるものではないと結論しています。早晩修正させられるのでしょうが」

「監察医も後頭部はもっと固く尖ったものだろうと推測しとんですわ」磯辺の口調は徐々に崩れてきていた。「刺創を作ったと思しき刃物は現場から発見されとらんのです。その柄か何かの可能性があると」

「面白い瓶ですよね、これ」由貴は呟く。「エンボス加工。実宇さんこのロゴ見覚えない?」

 言われて破片を見つめる実宇。数秒して眉を上げた。「あ、蚊取り線香。渦巻きの」

「僕の記憶が確かなら、これ、そのメーカーが一九四〇年代に販売してた瓶入り殺虫剤の瓶だ」

「なんでそんなこと知ってるんですか……」

「前にツーリング先で死にそうになりながら入った今にも潰れそうな喫茶店の内装で。潰れそうってのは僕の誤解で、そういうコンセプトの店で繁盛してるらしいんだけど」

 いやいや、と樹里は割り込む。「なんで平成どころか昭和二〇年代のものがあんだよ。明らかになんか変だろ」

 由貴は半ば目を閉じて呟く。「樹里さんは、瓶があったら何に使います?」

「お前を殴る」

「もう少し穏やかに……」

「花とか活けるかな」

「穏やかすぎでしょ」由貴は樹里を真っ直ぐに見た。「じゃあ樹里さんが、吸血鬼だとしたら」

「そうきたか」と応じ、少し考えてから樹里は応じた。「せっかくの生き血、一度に飲まずに瓶に入れて後で飲む。それか……仲間に持って帰るかな。現代社会でそうそう人殺しなんかできないし」

「飲兵衛の寿司折説。僕もそう思います」

 磯辺が苦笑いになる。「吸血鬼? さすがにそれは……」

 それはありえない。調子づいて質問していた由貴もそれには同意のようだった。

 傍らからやけに輝く目線が向けられていることに樹里は気づいた。実宇である。さすがに場所は弁えているが、片手に表示したオカルト雑誌の記事をもう片手で指差し、今にも叫びだしそうにわなわなと震えている。やっぱり不死の一族ですよ! とでも言いたげだった。

「明らかに奇妙なものがもうひとつ」増田がPCを操作すると、プロジェクターの表示が切り替わる。

 これか、と樹里は呟いた。

 サンプル瓶に収まった、奇怪な白い液体だった。鑑識がつけた番号は26番。

 増田が言った。「一部は既にSARCに発送しました。明日の午前には届くでしょう」

「持ち出しOK?」

「特例で許可は取ってあります」増田は懐から何か取り出し、テーブルに置いた。

 証拠品袋に収まった褐色のNo.5規格瓶――その中に詰められた粘性の高い白い液体。

 樹里は深呼吸して言った。

「ユッキー、明日午前中、任した。今夜中にこいつの正体掴んだるわ」


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