第15話 面接にカツ!

 それからメイにアイロンを掛けてもらったピシッとしたワイシャツに袖を通し、スーツに着替えたところでメイと一緒にアパートの部屋を出る。思わず目を細めてしまう太陽の眩しさは、今日もずいぶん暑くなるだろうことを容易に予期させた。


「んふふっ」

「ん? な、なんで笑うんだよ」

「おにーさんのスーツ姿久しぶりに見たかなーって。てかスーツクリーニングしたほーがよかったんじゃない?」

「あーしばらくしてなかったからなぁ……どっか変か?」

「んーん別に! そだ、帰りって夕方くらいになりそう?」

「たぶんな」

「わかった、じゃ学校帰りにまたくるね。てか学校もすぐ終わると思うから友達と遊んでこっちってカンジになりそかな」

「了解。楽しんできな」

「うん! さーてさて、それで晩ご飯のメニューにご希望は?」

「んじゃカツ丼」

「アハハ! 終わってからゲン担ぎってのもいいじゃんねっ。じゃあ帰りスーパーでお肉買ってくね。頑張った後は楽しみに帰ってきな~♪」

「おう。頑張ってくるか」


 そんなやりとりをしながら二人でアパートの階段をカンカンと降りていると、一階で掃除をしていた大家さんに遭遇した。


「あら、悠木くんおはよう~。この前は家賃ありがとうねぇ」

「おはようございます。いえいえ家賃は当たり前なんで」


 何気ない朝の挨拶を交わす。いつもニコニコと穏やかな大家さんは確か60歳くらいで、人の良い近所のおばさんといった感じだ。このアパートは祖母から受け継いだものなんだとか。学生の頃からずっと良くしてもらっていて、俺にとっては感謝しかない相手だ。


 するとメイが手を挙げて声を挟む。


「あっ大家さんおはようございまーす! 昨日は急に連絡しちゃってスミマセン!」

「あらあら、いいのよメイちゃん。うふふ。でもおばさんが悠木くんを起こしに行く必要もなかったみたいだねぇ」

「ん? えっ?」


 急においていかれた感じになって一人戸惑う俺。いや何の話だ?


「メ、メイ? どういうことだよ?」

「ん? あー実は昨日ね、大家さんに連絡しておいたの。もしおにーさんが寝坊とかしちゃってたら起こしてあげてくださーいって」

「え? そうだったのか?」


 初耳の話に、大家さんが「そうそう~」とうなずいて言う。


「でも、メイちゃんが来てくれたならおばさんは要らなかったねぇ」

「えへへごめんなさい大家さんっ。結局気になって来ちゃいました~!」

「まぁまぁ。悠木くんはこんなに可愛らしい彼女さんがいて幸せだねぇ。メイちゃんのこと、大切にしてあげるんだよ~」

「だってぇおにーさん! こんなに可愛くってキレイで優しくてスタイルも抜群で料理上手なスーパー美少女彼女なんだから大切にしましょう!」

「盛りすぎだろ! 自分で言うな自分で! てか大家さんと連絡先交換してんのかよ仲良すぎじゃね!?」


 そんなやりとりにメイと大家さんが揃って笑いだし、俺までおかしくなって笑った。まぁ本当はそういう関係じゃないんだが、別にここで否定して空気を壊すこともないだろ。


 そこで大家さんがふと切り出す。


「あ、そうそう悠木くん。悪いんだけれど、また古くなった蛍光灯を交換してもらえるかなぁ?」

「あ、はい。いいっすよ。って、それたぶんうちの前のヤツですよね? 帰ってきたらやりますよ」

「あっ! そういえば前におにーさんち来るときあそこのバチバチいってた!」

「そうなの~。古いものだからちょっとおばさんには怖くてねぇ。助かるわぁ。お礼にまたお野菜持っていくからね。面接頑張ってねぇ」

「どもっす。じゃあ俺そろそろ行ってきます。早めの電車乗っときたいんで」

「あーおにーさん! 待って待って!」

「ん? なんだよ。もうあんま時間ないぞ」

「すぐすぐ!」


 歩きだそうとしたところを急に止められたかと思えば、メイは俺の前に立って俺の全身を上から下までじ~っと眺め……それから背伸びをしておもむろに俺のネクタイに手を伸ばした。


「ちょっと曲がってたから気になってさ。よし、寝癖もないしこれでおけっ。メイちゃんチェック無事通過しました! カッコイイぞ☆」

「お、おう。サンキュな」

「んふふっ、いってらっしゃい! がんばれ男の子~!」


 メイにバチコーンと背中を叩かれる俺を見て、大家さんがまた笑いながら言う。


「あらあら。メイちゃんたら通い妻みたいで、二人とも、なんだか新婚夫婦さんみたいで初々しいわねぇ」


 今朝のあれがあったもんだからその発言でまたこそばゆい空気が流れ、俺もメイもちょっぴり気恥ずかしい感じで別れることになるのであった。



 ――最寄り駅から電車に揺られて数十分。

 夏休みなどまるで関係ない働き者ばかりの都心の通勤ラッシュにもまれつつ目的の駅に到着した俺は、そこからさらに十五分ほど歩いてようやく辿り着く。


「デケぇなぁ……」


 特徴的なデザインの高いビルは東京の狭い空を埋めるように鎮座し、夏の陽光をキラキラと反射して輝く。目的のゲーム会社はこのビルの中にあるわけだが、このビルもここに入っていく人たちも、なんだか自分とは住む世界が違うような気もして足を踏み入れるのをためらうくらいに緊張感が増してくる。異世界に向かうような心境だ。


 そんな緊張に飲まれないよう呼吸を整えていたところで、「あっ」と思い出し懐からスマホを取り出す。一応、もう電源は切って鞄にしまっておいた方がいいだろう。


 そこで、メイからメッセージがきていたことに気付いた。



『迷わず行けよ! 行けばわかるさ! 帰ったらカツだ!』



「いやお前は伝説のプロレスラーか!」


 つい声に出してツッコんでしまう俺。周りからチラチラと視線が送られて恥ずかしくなってしまった。


 けど、そのとき俺は笑えていた。


 アイツが俺の状況を察してこの名言を送ってきたのかどうかはわからないが、たったそれだけで緊張感はどこかに吹き飛び、肩の力は抜けて、むしろ今の状況がどこか楽しくなってくる。入りたい会社の一つではあったし、そもそもこんなところに入れる機会なんてそうないだろうしな。ダメで元々。結果がどうだろうが良い経験には違いない。そう。それは行けばわかることだ!


 名言の後のガッツポーズなプロレスラーのスタンプに、親指を立てた了解スタンプを送り返してからスマホの電源を切る。


「――さて、異世界楽しんでくるか!」


 俺は背筋を伸ばし、ビルの中へと足を踏み入れる。


 本当なら、面接のことで頭がいっぱいになっていたはずなんだろうけどな。

 今はもう、夜のカツ丼を楽しみに思えるくらいの余裕があった。


 

 

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