異変
自分の瞼が閉じられていることに気付いた俺は飛び起きた。
「夢だった、のか」俺は安堵のため息をついたあと時計をぼやぼやと眺めた。
時計の針は午後五時から五分ほど進んでいて、窓から夕焼けが差し込み、部屋をオレンジに染めていた。
横をちらっとみると俺の足元で呼吸器をつけた犬が眠っている。
夕方か。
尿意を催した俺はトイレを探すことにした。
リビングから出て廊下を少し歩く。
本当に広い家だ、トイレを探すのも一苦労じゃないか。
「なにかお探しですか?」
「うわっ」俺の心臓は止まりそうになった。
突然廊下の隅からおばあさんが顔を出したのだ。
「と、トイレを探していまして」俺は乱れた息を整えた。
すると、すーっとおばあさんの腕があがり細く白い指は俺を指した。
「貴方様の後ろの扉です。」ニヤリと笑うその顔に不気味さを感じる。
「あ、ありがとうございます」俺はおばあさんの方を向いたまま背後のドアノブに手をかけトイレのドアを開く。
扉が閉まるまでおばあさんの口角は上がっていたが閉まる直前のおばあさんの目は笑ってはいなかった。
なんだよ、あのおばあさん、不気味だな。
用を足していたその時背後から、『カリカリカリ···カリカリ···』
ドアを爪でなぞるような音が聞こえる。
俺は不審に思いながらも無視をした。
どうせ犬の仕業だろう。
『カリカリカリカリ···カリカリ···』
鬱陶しい犬だな。
用を足し終わっていた俺は少しだけ驚かすつもりでドアを強めに開いた。
が、犬はいない。
「なんだったんだ?」
俺は辺りを見回す。
そしてトイレのドアを見ていたときに妙なことに気が付いた。
ドアの内側の腰から下のあたりに爪痕のような、引っ掻いたような跡が沢山あったのだ。
「これはヒドいな。なんとかして直せないかな?」
俺はトイレのドアの傷を補修することにした。
道具があるかどうかおばあさんに確認してみよう。
広い豪邸の中、おばあさんを探すのは一苦労、これは変わらない。
ただ、俺は考えついたのだ。
まずは耳を澄ます。
カラカラと酸素ボンベが転がる音を見つける。
そう、犬に案内してもらうのだ。
「犬、おばあさんのところへ案内しろ」
犬は方向を変え廊下をまっすぐ歩く。
俺は犬の後ろをついていき、豪邸の中を周った。
しばらく歩いたが、いつまで経ってもおばあさんには巡り合わない。
それはもとより、俺はさっきから妙な違和感と葛藤し続けていた。
「なんだ、この家は」
俺は額を拭った。
一向につかないのではない。
一度も止まらずに歩き続けているのだ。
この奇妙な出来事はすぐに解決されることになる。
そう、ドアが全室繋がっているのだ。
「これはおもしろい」
俺も思わず感心してしまった。
と、言っている場合ではない、おばあさんは一階にはいないということだ。
「ならば二階か」
上がってはいけない階段。
たしか応接間の隣の廊下だったな。
俺は応接間を目指し歩いた。
少し歩くと応接間のものらしき襖が見えた。
襖を開き応接間から廊下へ出るドアを見つけた俺はノブに手をかける。
『ガチャン!!』と開けたその時。
「なにか御用ですか」
ドアの前には虚ろな表情のおばあさんが立っている。
心臓がギュッと締め付けられた俺は一瞬意識が遠のくのを感じた。
「おばあさんこそ」
俺は少しだけ震えた声で言う。
「なんせ廊下から部屋が全て繋がっているものですからお手洗いへ行くのも一苦労でして」
おばあさんは照れたような表情を見せた。
「あ、おばあさん。そのお手洗いのドアなのですが、引っかき傷がひどくて補修をしようと思うんです。道具を貸して頂けないでしょうか。」
俺はおばあさんに頼んでみた。
「良いですよ。庭の倉庫にありますので好きに使って下さいな」
おばあさんは快く貸してくれるらしい。
俺はさっそくおばあさんと階段の横を通り過ぎ、庭へと向かった。
背後から視線を感じたがきっとそれはおばあさんだろう。
外は薄暗かった。
俺は雨降る中倉庫の戸を開く。
「夢でみたままだ。」
不意に夢を思い出した。
あの小屋はこの倉庫だったのか。
古い電球を引き、倉庫の明かりをつける。
湿っぽく、カビ臭い。
元いた家に似ている。
ドアの補修材をを探していると、床にシミがあることに気付いた。
ただのシミだろう。
嫌な夢を見たせいか、悪寒がした。
俺は補修材を見つけると足早に倉庫を出るのだった。
雨は降り続けている。
ふと、二階の窓に目を向けると人影が見えた。
きっとおばあさんだろう。
不思議に思ったが、俺はドアの補修に向かった。
引っかき傷を消すにはヤスリで削ってから色をぬってやるだけでいい。
簡単な補修だが、なにもしないより良いはずだ。
よし、よくなった。
トイレのドアを閉め寝室へと歩いた。
寝室は書斎と応接間の間にある。
寝室に入るとおばあさんが掃除をしていた。
「ドアの補修終わりました。それより困りましたね。犬はなんでも引っ掻きたがる。」
「犬?あぁ道具、私が片付けておきますよ」
俺は手に持ったままだった道具をおばあさんに渡した。
「そろそろお食事を準備しますので、ダイニングでお待ち下さい。」
おばあさんはそう言うと寝室を後にした。
寝室にはクイーンサイズのベッド、化粧台や大きな姿見がある。
女性が使っていた部屋なのだろうか。
おばあさんの他に誰かが?
気になることがたくさんあるが、とりあえず飯だ。
俺はダイニングへと歩く。
ダイニングには長く大きなハイテーブルがあった。
こんなものを目にするのは初めてだ。
テーブルの上にはいつのまにか豪華な料理が並んでいた。
豚の丸焼きに光沢のある巨峰、ピンク色のぜりーに高級なシャンパン。
ブレッドにチーズ、そして極めつけは上質な赤ワイン。
まるで貴族にでもなった気分だ。
俺はナプキンを首から下げナイフとフォークを手にし、照りのある豚の丸焼きの肉を削ぎ落とした。
口に運ぶと皮のパリパリ感、豚肉のジューシーさが口いっぱいに広がった。
これみよがしに開かれている頭部には小さな脳が見えていた。
好奇心から、俺は脳に手を付けた。
「うまい」
思わず声が出てしまった。
白子のような感じか、白子をさらに濃厚にしたような。
滑らかな食感を上質な赤ワインで流し込んだ。
チーズを切り、ブレッドの上に重ねる。
大きな口を開け食す。
ブレッドとチーズも上質な赤ワインで流し込むのだった。
「あぁ、幸せだ」
俺の手は脱力し、椅子にもたれた。
ドスッ。
「痛っ、熱っ」
なんだ?
俺は後頭部に手を回す。
乾いた皮の感触。
なにかが刺さってるようだ。
部屋が傾いていく。
ゆっくりとした時間が流れる。
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