記憶
“私は眠りにつく前の穏やかな時間が好きだった。明かりを暗くしてママの物語を聴く。ママが話してくれる物語が大好きだった。私の瞼が完全に閉じた時、ママは私のおでこにキスをする。キスを合図に私は夢の中へ戻るのだ。
でもあの夜だけは違った。いつものように物語を話し終えたママは一言だけ『おやすみ』と私に言った。昨日より優しい声に安堵し、入眠の合図を待っているが一向にそれを感じない。なぜかその夜に限ってはそれがなかったのだ。
違和感で目を開きドアから漏れている光を追う。異様な雰囲気を廊下から感じベッドから起き上がる。ドアに近付き廊下を覗こうとしたとき、足でなにかを踏みつけた。なぜか分からないが足元に手紙が落ちていたのだ。
拾い上げてみると私宛の手紙だった。その手紙を読んだ私は急いで逃げなくてはいけないと思った。内容を読む限り厨房に行かないと。でも、このまま逃げればママは死んでしまう。手紙をベッドの上に散らかすと私の足はママの元へと向かっていた。
廊下を走っていると奥のほうから使用人の叫び声が聞こえる。恐る恐る廊下の角を覗くと、三人の黒装束が使用人達の首にロープをくくりつけ引っ張り回しているではないか。
「助けてくれえ」
「なぜこんなことをするんだ」
使用人達の恐れおののく声が廊下全体に響いていた。城に仕える使用人も全員処刑するのだろうか。予想通りだが彼らの断末魔など気にも止めない黒装束達は、そのまま使用人を引き地下へと続く階段に連れて行った。
「地下にママもいるかもしれない」
私は勇気を振り絞り地下に行くことにする。
もしかしたら私も捕まってしまうかもしれない。殺されてしまうかもしれない、けれど母が死んでしまうのは絶対に食い止めたい。
階段の一段目に足を降ろしたその時、地下から黒装束達が上がってくるのが見え、私はサッと近くのドアを開き中へ入った。
「あとは王女だけだ。王女の部屋に向かうぞ」
黒装束の不気味な声が聞こえ身体が硬直する。
息を止め気配を悟られないようにしていると、私が隠れている部屋から足音が遠ざかっていった。ゆっくりとドアを開け黒装束がいないのを確認して、地下へと降りていく。左右の壁に牢屋が敷き詰められており、中には使用人達が入っていたのだ。目の当たりにした光景はあまりにも悲惨だった。
「リーナ王女、お逃げになって下さい」
「こんなところに来てはいけませんリーナ王女」
使用人達が私に対して口々に忠告していた。
「母はどの牢にいるかわかりますか」
私は声を押しのけ使用人達に聞いた。
「女王様はこの牢にはお見えになっておりません。捕まってはいないのではないでしょうか」
一人の使用人がそう答えた。
「リーナ王女。私達のことは気にせず女王様とお逃げになって下さい。お早く、もう時期黒装束もここに戻ってくるでしょう」
私は使用人達の瞳から強い意志を感じ、彼らのことを必ず助け出すと約束し階段を駆け上がった。
階段を上がり切ると、私の部屋のほうから黒装束が走ってきた。見た目はあの時と同じだが、カケルを襲った奴より声がハッキリしている。
「見つけたぞ」
黒装束が大きな声を上げてこちらに近づいてくる。
黒装束に見つかってしまったのだ。私は全速力で逃げる。ママのいるところに少しでも近付かないといけなかった。
黒装束の足は早く今にも追いつかれてしまいそうだ。転びそうになりながらも体制を整え、廊下を駆けていく。ところどころに血の跡があり、もうすでに死んでいる使用人の姿もあった。恐怖に駆られる暇もなく私は走り続けたが、とうとう先頭を走る黒装束に腕を掴まれてしまった。
「動くな、ついてこい」
黒装束に腕を引かれ私は玉座の間に連れて行かれた。
玉座の間は、主に城の決まりなどを会議していた場所だ。パパが仕事を無くした人々に使用人としての役割を与えた場所でもあった。そんな思い出のある玉座の間に入ると、元はパパのものだった玉座に忌々しい大臣のモズが座っていた。
上から見下ろすように階段を降りた床には、ママが両腕を背中で縛られ座り込んでいた。
「ママ」
私は大きな声で呼んだ。
「リーナなぜ来たの、逃げなさいと言ったでしょう」
「ママを置いて逃げるなんて出来ないよ」
私は黒装束に連れられママの横に座らされた。
ママは衰弱しているようだったが、目の奥の光は消えてはいなかった。
「必ずあなたを助けてみせるわ」
ママはそう言うとモズに睨みをきかせた。
「家族が揃ったな。今日をもってこの天空の城は私のものになる。過去の王族には死んでもらうことにしよう」
モズが枯れた声でそう言い放ち、にやにやと不気味な笑顔を浮かべていた。
私もママも覚悟は決めていた。この状況で逃げられる術などはない、ここで死ぬのだ。ママを失ってまで私は生きたくはなかった。
「これでいいんだ」
「おい、最期に言い残すことはあるか。特別に聞いておいてやろう」
モズがママに向かってそう言った。
するとママは強い口調で答える。
「あなた達この城の事をなにも知らないのね。私たち王族が皆死ねばこの天空の城は消えてしまう。あなたに私たちは殺せないわ」
「嘘に決まっている。そんなことがあるはずがない。おいそこの黒装束、そいつを痛めつけろ」
モズの表情は不気味な笑顔から真剣な顔に変わった。
だが、黒装束はなにも言わずにそこに立っていた。
「おい、聞こえなかったのか。おい、おまえだ黒いの」
私の腕を掴んできたその黒装束は一切の反応をしなかった。
モズが怒りを我慢出来なくなり、玉座から立ち上がる。すると、その黒装束は口から血を吐き私の横に倒れた。
「な、なんだ。何事だ」
モズが焦る。
「だから言ったでしょう。あなた達なにも知らないのね」
冷たいママの言葉に、他の追ってきていた黒装束までも後退りした。
「おまえいったい、今なにをした」
モズの呼吸は荒くなり階段を駆け下りてきた。
「ママ、大丈夫なの」
「きっと大丈夫よ。あなただけは必ず守るから」
モズが私達の前に来た。
「おまえいい加減にしろ。おまえの娘からだ、娘から先に殺してやる」
モズは私のほうへと向き拳を振り上げた。その拳が迫るその時、ママが私に覆いかぶさる。
「呪いかなにか知らないが、私を今殺してみろ。出来るんだろ、それともやはり嘘か」
私を庇うママのことを、怒り狂ったモズが殴っていた。
「ママもういいよ。死んじゃうよ」
殴られ続けているママは歯を食いしばっていたが、声は一切出さなかった。
その結果、岩のように倒れない母親の力はモズの拳を砕いたのだ。手を出せなくなったモズは懐から小刀を取り出しママに向かって振り上げる。
すると、私の目の前に風が通った。
一瞬の出来事だった、小刀を振り上げているはずのモズが吹き飛んだ。
「な、なにが起きたの」
私は驚いた。
血を吐いて倒れた黒装束がモズに馬乗りになり、顔がパンパンに膨れ上がるほど殴り飛ばしていたのだ。残った二人の黒装束が慌ててモズを救い出そうと走ってきたが、馬乗りになっている黒装束の力は圧倒的で、どちらもあっという間に負かされてしまった。
安心したのも束の間、奥の部屋からさらにものすごい数の黒装束が迫ってきた。私たちを救ってくれたのであろう黒装束は私と母の腕のヒモを切り、手を引いて玉座の間を飛び出した。
「ありがとう」
私は黒装束に言ったが反応はない。
途中倒れている使用人たちを避けながら黒装束は物凄い勢いで走る。ママの意識は朦朧としていたが、私の手を握る力だけは決して緩めなかった。母親の意地なのだろう。そして私達は黒装束に連れられ厨房へとやってきた。
「スベン...」
厨房に到着するとママは目を覚ましたが、今にも消えてしまいそうなか細い声でそう呟く。
厨房の床に無惨な姿をしたスベンの姿が。しかも頭からは大量の血が流れていた。彼はママとの約束を果たすために私が来るのを待っていたに違いない。死して尚、強い信念が人差し指に反映されその指先は壁のほうへと向いていた。
黒装束の手から離れたママは、スベンの指差す壁まで歩いて行く。壁の調子を確かめ力いっぱい押した。すると厨房の壁は大きな音を立て崩れ、外の景色が見えるようになったのだ。
「リーナ、ここから逃げるのよ」
ママは私に向けて言った。
「ママも早く」
私はママに手を伸ばす。
だが、ママは私から目を反らした。
「なにやってるの早く」
嫌な予感がした。
当たり前のようにママも一緒に来るものだと思っていたが、どうやら違うらしい。
「私はここに残るわ。この城がある限りあなたの居場所は筒抜けなの。私が残ってこの城を隠さないと」
「嫌だ、ママが一緒じゃないと私どこにも行かない」
私の目からは涙が溢れた。
このまま一人で逃げるなんて絶対に嫌だ。
ママ、ママ。
お願い、手を掴んで。
私は、必死な想いでママのほうへと手を伸ばす。
するとママはこちらに歩み寄り私をそっと抱きしめた。
「あなたのことを心から愛しているわ。だから死んでもあなたを守りたいの」
ママは私の耳元でそう囁くとドンッと私を空へと突き飛ばした。
「ママ...」
首飾りが光だし二つの光となった。
私の体は光に包まれ空へと消えていった...
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