消える

 空から落ちていく。


 上を見上げるとごつごつとした岩肌が見えた。


 もう見えないカケルのほうへと、手を伸ばす。

 届くはずもないその手は空を切った。

 

 離れてみたその造形物は、やはりあのお城だった。私とカケルはお城に来てしまっていたんだ。


 あの時、私がお母さんに会いたいと願ってしまったから…


 涙は上空に流れ、私の体は空気に抵抗し、ゆっくりと地面に向かう。

 

 雲を通り過ぎると、山や町が見えてきた。お城にいたのは少しの間のはずなのに、地上を懐かしく感じる。


 カケルは死んでしまわないだろうか。私を守ろうとしてあんなことに。

 私が足手まといになってしまった。

 

 私のせいだ。


 私は自分を責めた。両腕で自分を強く抱きしめると、さらに涙がこぼれた。

 

 感情が、ぐしゃぐしゃになったまま、まもなく地面に足がつく。地面に風があたると、砂埃が少しだけ舞い上がった。


 私が降り立ったのは、カケルと空を見上げた、ひまわり教室の中庭だった。


「戻ってこれた」

 私はしゃがみこんだ。


 膝を抱え、さらに泣いた。


 自分が無力なせいで、また大切な人を失ってしまったのだ。


 もうこんなの嫌だ。


 なぜ私たちなの。

 

 考えても考えても、心は混乱していくばかり。


「さゆりちゃん、どうしたの」

 島袋さんが教室から出てきた。


 泣いている私に気付き、駆け寄ってきたのだ。


「さゆりちゃん大丈夫だよ。ひまわり教室のみんなは、お母さんが見つかるまでずっと傍にいるから」

 島袋さんは私をなだめてくれた。


 この人はなんて良い人なのだろう。

 母のように私を包んでくれる。


 私はハッと気付いたように、『カケルが、カケルが…』と涙声で訴えた。


 島袋さんは一瞬、不思議そうな顔をして『カケル…』と言った。


「カケルが私を助けてくれて、お城に取り残されてしまったの」

 私は必死になって説明した。


「ま、待ってくれ、さゆりちゃん。カケルっていったい誰のことなんだ」

 

「え…」

 私は動揺を隠せなかった。


「こんな時に冗談を言うのはやめてください」

 私は声を荒げてしまった。


「ごめんね、さゆりちゃん。でも本当にそんな子知らないんだよ」

 島袋さんが嘘をついているようには見えなかった。


 カケルなんて、この世に存在していなかったようなそんな言い方だ。


「嘘…でしょ」

 

 すると、ひまわり教室の入口のほうから『ごめんください』と女性の声がした。

 島袋さんが立ち上がり、私に待つように言うと、玄関のほうへと向かった。


 いったいどうなってしまったのだろう。

 カケルは確かにここにいた。

 一緒にご飯だって食べたし、お城では二人で手を繋いで走っていた。


 なんでこんなことに…


 私が頭を抱えていると。


「さゆりちゃん」

 向こうの方から聞き覚えのある声がした。


「さゆりお姉さん」

 目の前には警察署でお世話になった、さゆりお姉さんがいた。


 お姉さんは髪を後ろで結っていて、白いTシャツにジーンズというラフな格好だった。


「さゆりちゃん、あのね」

 さゆりお姉さんはそこで言葉を詰まらせた。


「なにか、あったのね」

 さゆりお姉さんは真面目な顔付きになり、私が泣いていたことに気付いてくれた。


 黙って私を自分の胸へと引き寄せると、優しく抱き締めてくれた。久しく感じていなかった愛情に、私の涙は雨のように流れたのだった。


「泣きなさい。たくさん泣きなさい。流した涙は無駄にはならない。必ず勇気に変わるから」

 さゆりお姉さんのその言葉は、私の心を温かくした。


 しばらくの間は涙が止まらなかったが、さゆりお姉さんがいてくれたから、私は壊れずにすんだのかもしれない。


 ひまわり教室の中へと戻ると、たくさんの洋服が置いてあった。


「私の服だ」

 お母さんが買ってくれた洋服たちは、いつもより綺麗に見えた。


「ここに来る途中、さゆりちゃんの家に寄ってきたの。やっぱり家には、お母さんがいた形跡はなかった」

 さゆりお姉さんは、悲しそうな顔で私に言った。


「さゆりお姉さん。今から言うこと、信じてもらえないかもしれないけど、私、お母さんがどこに行ったか、知ってるの」

 私はさゆりお姉さんの目を、まっすぐ見つめた。


「信じるよ。なんでも話してみて」

 さゆりお姉さんは、私の手を握った。


 お母さんが失踪してから戻った記憶も、さっきまでお城にいたことも、カケルのことも、全てをさゆりお姉さんに話した。

 この話を聞いた、さゆりお姉さんは驚きを隠せずにいた。


「そんなことが。。。お母さんはお城にいる可能性があって、カケルくんは、まだお城に取り残されているのね」

 鼻の頭を掻きながら、さゆりお姉さんはなにかを考えていた。


「私、今すぐ助けにいきたい。カケルもお母さんも、助けにきてくれるのを、待ってるはず」

 私はさゆりお姉さんに訴えた。


 もしかしたら声が大きくなってしまっていたかもしれない。

 でも落ち着いていられないのだ。


「さゆりちゃん、よく聞いてね。もちろん行かせてあげたい。行かせてあげたいのだけれど、警察官の私としては、女の子一人を、そんな危険な場所には行かせられない」

 さゆりお姉さんは私を大切に想ってくれている。その思いがお姉さんの目から伝わった。


「でも、カケルはどうするの。お母さんは。私はなにもできないの」

 私は言った。


 大人を困らせる言葉だとはわかっていた。


「そんなことはないよ。あのね、まだ伝えていなかったことがあるのだけれど、さゆりちゃんの家に行った時、お母さんのいた形跡がなかったって言ったでしょ」

 お姉さんが真剣な顔になった。


 私は頷いた。


「さゆりちゃんの、お母さんの物と思われるものは、何一つ見つからなかったの。はじめからそこに、いなかったみたいに」

 私は言葉を失った。


「今回の件は何かがおかしいの。さゆりちゃんが一人で動いていい問題ではないの」


 私は我慢できなくなりキッチンまで走り、お腹から込み上げる吐き気とともに、排水溝にもどしてしまった。


 そんな私を見たさゆりお姉さんは、こちらに駆け寄り背中をさすってくれた。


「昨日今日と、いろいろあり過ぎた。とりあえず明日まではゆっくり休みなさい。私は明日もここに来るから、その時にまた二人で考えよう」

 優しい言葉と表情は、どこからか母を思い出させた。

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