手掛かり


 朝になり、私は目を覚ました。まだみんなは寝ているようだ。


 寝室を出て入口の戸を開けた。外に出て深く空気を吸う。朝に魅る景色はとても綺麗で、日の当たった美しい木々が、ひまわり教室を囲っていた。


 近くを通る川は日の光を反射させ、キラキラと輝き、鳥は美しい声でさえずる。私は川のほとりに座り込み、穏やかに揺れる水面を見つめた。


「いつまでも考え込んでいては駄目だ。みんな笑顔で迎えてくれているんだもの」

  私は呟くと、水面に映る自分の顔を見た。


「私の顔…」

 久しぶりに見た自分の顔は、自分のものではないような不思議な感じがした。頬をつまんだり、黒い髪を触ったが、なにも変わらない。


 頬を軽く叩き、自分に喝を入れ立ち上がろうとすると、水面にカケルの顔が浮かんできた。


「どうしたんだよ、こんなところで」

 カケルはいつの間にか隣にいて、心配そうな顔で私を見た。


「私、頑張るよ」

 私はカケルのほうを向き、真っ直ぐ彼の目を見つめた。この時の私は、不思議と大人びたような気持ちになっていたのだ。


「なんだか分からないが、さゆりがそう思うならそれでいい」

 昨夜とは別人のような私に、カケルは目を丸くして驚いた。


「昨日ここに来た時の顔、酷かったからさ。心配だったんだ」

 カケルは私の隣に座る。


 昨日の私…

 なぜだろう。昨日のことなのに思い出せない。


 するとカケルは話し始めた。


「実はさ、ここにいる子どもたち、あいつらみんな親に捨てられたんだ」


「え…」

 私は声を詰まらせた。


「雪が降り始めた頃、真実はひまわり教室の前に捨てられてたらしい。生後間もない真実は、島袋さんが見つけてなかったら亡くなっていたそうだ」

「自分の子どもを手放すって、どんな気持ちなんだろうな」

 カケルの表情は曇っていた。


「卓郎だって美穂だって、今じゃあんなに元気だけど、ここに来たばかりの頃は風呂の時間のたびに泣いて、手が付けられなかったんだ」


 私は、なんと声をかけたらいいのか分からなかった。ただ黙ってカケルの話を聞くことしかできなかったのだ。


「今は俺が最年長だけど、俺もここに来たばかりの時は不安でいっぱいだった」

「だから、きっとおまえも大丈夫だよ」


 私は勘違いしていたようだ。

 カケルは私を元気づけようとしてくれたのだ。


 いつでも自分を強く見せたがる彼だったが、この瞬間だけは恥ずかしそうにうつむいていた。

 

「ありがとう。カケルは、いつからここに…」

 私がカケルの方を向くと、ひまわり教室の入口に島袋さんの姿が見えた。


 こちらに向かってなにか言っているようだ。


「カケル、さゆりちゃん。そろそろ戻っておいで」

 朝食の準備ができたのだろう、カケルは両の手で大きな丸を作り合図した。

 

「行こう。あいつらが起きるぞ」

 カケルはそう言うと、お尻についた草を払い私の手を引いた。

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 部屋に戻ると、丁度みんなが目を覚ました頃だった。


「お姉ちゃんおはよう」

 子どもたちは、寝ぼけ眼で挨拶をしてくれた。


「おはよう」

 私も出来る限りの笑顔で返事をする。


 昨日綺麗に並べたはずの布団たちは、ハチャメチャになっていて、あっちこっちで目覚めた子どもたちを見て、思わず微笑んでしまう。

 順番に寝室を出ていく子どもたちは、真実を先頭に美穂、卓郎という順番で洗面台に並ぶのだった。


「さあ、みんな。ご飯の前に歯磨きしような」

  島袋さんが欠伸をしながら部屋を出てきた。


「島袋さんおはようございます」

 私は精一杯の挨拶をする。


「おはよう。すぐにご飯の支度をするから待っていてね」

 島袋さんはそういうとキッチンに向かった。


「もう磨いてるよ、くまさん」

 真実が島袋さんを『くまさん』と呼んでいる。


 なぜだろうと疑問に思ったが、今のタイミングで聞くことはできなかった。島袋さんという人間が、どういった存在なのかを分析出来ていなかったからだ。


「また言われてるよ。くまさん」

 私の隣にいるカケルは、耐えきれず噴き出した。


 笑っているカケルにつられて、順番待ちしていた卓郎と美穂も笑い出した。美穂に関しては、意味も分からず笑っているのだと思うと、私自身は『それ』につられ笑ってしまうのだった。


「お、おまえたち笑い過ぎだぞ。今日の朝ごはんにカラシを入れてしまうからな」

 島袋さんは、子どもたちにからかわれたことに対し、顔を真っ赤にし反撃を始めた。


「くまさん大人げないよ。俺も手伝うからカラシいれないで」

 カケルはこの場を冷静に処理し、キッチンへと向かった。


 私も二人の手伝いをしようと、その後ろをついていく。


「島袋さん、私も手伝います」


「ありがとうさゆりちゃん。それじゃあ、さゆりちゃんは卵を割って混ぜてくれるかな。スクランブルエッグを作ろうと思っているんだ」

 島袋さんは冷蔵庫から人数分の卵を取り出すと、私が取りやすいように底の深いお皿に乗せてくれた。


 私はキッチンにあった、子ども用の台に乗って手際よく卵を割りボウルに落とし、よくかき混ぜて島袋さんに渡した。


「さゆりちゃん上手だね。カケル、フライパンを温めてくれるか」

 島袋さんは、カケルに指示を出す。


「ありがとうございます」

 私は、左手の人さし指で鼻の頭を掻いた。


「さゆりは、ここに来る前なにしてたの」

 カケルはフライパンに油を引いていた。


「そういえば、なぜか事件前の記憶がまったくなくて...」

 私は首を傾げた。


「そうだったのか。俺と同じだ」

 カケルは一瞬、考えるようなそぶりを見せたが、こう言った。


「カケルも...」

 妙な親近感を覚えた私は、カケルの過去について知りたくなった。


 私が何者なのかが分かると思ったから。

 妙な感覚にずっと囚われている。


「とにかく、その話は朝ごはんの後。まずは朝食を準備しなさい」

 島袋さんは規律を正すと、その場を鎮めた。


 自分の過去を強烈に知りたくなってしまった私は、周りが見えなくなってしまいそうになった。

 一度呼吸を整えリビングを覗くと、いつの間にか子どもたちも歯磨きが終わり、テーブルセッティングをしていた。


 早々と準備を再開し、真実に怒られない様にスクランブルエッグを配膳する。


 朝も島袋さんの号令で食事が始まった。


「いただきます」


 子どもたちはスッキリとした顔で朝食を頬張る。

 付け合わせの食パンに苺ジャムに、真っ白な牛乳。

 朝は他愛もない会話で、穏やかな時間だった。


 この光景は、どんな物よりも美しく見えたのだ。

 

「ごちそうさまでした」

 島袋さんの号令で朝食が終わると、各々自分たちの時間になった。


 子どもたちは、はしゃいで遊んでいたが、カケルはなにやら絵を描いているようだった。


「カケル。なに描いてるの」

 私はカケルを覗き込み聞いた。


「昨日の昼前にさ、偶然見たんだよ。おととい雨が降っただろ」

「水溜りに城みたいのが映っててさ」


 一瞬の出来事だったため、写真に残すことができなかったカケル。

 記憶を頼りに城の絵を書いているというのだ。


「水溜りにお城って、そんなわけないじゃない」

 私は疑いの眼差しをカケルにかけた。


「そう思うだろ。俺もおかしいと思って空を見上げたり、周りを見たりしたんだ」

「けど、なぜか城が見えるのが水溜りの中だけなんだよ」


「お城...」

 私は鼻の頭に指を置いた。


 なにか思い出せそうな気がする。


「どうした」

 カケルが心配そうな顔でこちらを見た。


 そうだ。

 空にお城があって、ものすごい光と一緒に気を失ったんだ。


「思い出した」

 私は呟いた。


「な、なにをだよ」

 カケルが言った。


「私、お昼ごはんの前にお母さんと散歩していたの。綺麗な石を拾って、それを空に透かしてみたら、空にお城があって、突然空が光りだして...」


「すごい光だったよな、目も開けてられないくらい」

 カケルが興奮したように言った。


「カケルも光を見たのね」


「俺も見た」

 カケルの目は輝いている。


 誰にも信じてもらえなかったらしいが、なんとカケルもお城を見ていたのだ。


「カケル。実は私、その時の石を持っているの」

 私はポケットから石を取り出した。


「すごい綺麗だな。これ本当に石なのか」


「わからない。一度外に出てみましょう」

 私はカケルの手をひいて外に飛び出した。


 太陽の光を浴びた石は、さらに綺麗に光りだし、見ていられないほどだった。


「空に透かしてみよう」

 カケルが私に言った。


 私はカケルと二人で石を持ち、空に透かしてみた。


「見えたよ」

 私は生唾を飲み込む。


 あれは間違いない。

 茶色い岩肌に白い外壁。

 あの時お母さんと見た城が空に浮かんでいたのだ。


「本当だ」

 カケルは驚いて口を閉じるのを忘れてしまっていた。

 

 お母さんはあそこにいるかもしれない。

 お願い。お母さんにもう一度会わせて。





 すると突然、城から光が一直線に飛んできて、二人を包んだ。

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