ひまわり教室


「カケル、さゆりちゃんに施設を案内してあげなさい」

 島袋さんが言う。

 

「こっち来い」

 カケルは無愛想に私の手を引き、ひまわり教室の中へ向かった。


 カケルの態度は、子どもが自分を強く見せようとするあの感じ。あの感じの無愛想だ。


「ここが玄関。靴はちゃんと揃えろよ。島袋のおっさんがうるさいからな」

 ひまわり教室の外観は、茶色い壁に黄色い屋根、見るからに安心感のある建物だった。


 玄関は広く、石畳の上には小さな靴が三足並んでいた。

 カケル以外の子は小さい子たちらしい。


 カケルはテキパキとひまわり教室を案内してくれて、車内での人見知りの彼とは別人のようだった。車内で島袋さんが言っていたが、カケルは十歳だそうだ。


 この時期の私が何歳だったのかは覚えていないが、時の流れの速さに外側だけが進んで行くような気がしていた。


「ここがリビングで、あそこにいる、おさげのちびが美穂。メガネかけたどんぐり頭が卓郎。おかっぱが真実。覚えやすいだろ」

 カケルが紹介してくれたその子たちは、笑顔で私に近付いてくる。


「お姉ちゃんどこからきたの」

 まず最初におかっぱの真実が話しかけてきた。


「私は···私はどこからきたのかな」

 もう私の頭の中には過去の記憶はほとんどなかった。


 その会話を聞いていたどんぐり頭の卓郎は、「お姉ちゃんへんなの」と不思議そうな顔で私の顔を覗き込んだ。


 すると、おさげの小さな美穂は、にこにこした顔で、私のほうへと歩み寄り足にしがみついてきた。


 美穂は三歳、卓郎は五歳、真実は八歳。みんなとても明るくて良い子そうだ。


 その後、カケルは『お風呂や、寝室、トイレ』を案内してくれた。どの部屋も古風で新しい感じはしなかったが、どこか懐かしい雰囲気に心が落ち着いた。


「おい。おまえたち、ご飯の準備をはじめるぞ。さゆりも手伝ってくれよ」

 カケルの掛け声とともに子どもたちが動き出す。


 みんなで食器を出し、テーブルを真ん中に移動させた。


「みんなお待たせ。スパゲッティでよかったかな」

 子どもたちが席につくと、タイミング良く島袋さんの料理が完成した。


 作ったスパゲッティを一人一人がテーブルに運んで、手を合わす。号令は島袋さんだ。


「それではみんな、いただきます」

 こんなに沢山で食卓を囲んだのは初めてだった。


 とても温かかったことを覚えている。


 子どもたちが夢中になって頬張る姿を眺めていると、先程、島袋さんとカケルが警察署まで私を迎えにきてくれている間、この子たちは良い子にお留守番をしていたんだと気付いた。


 私がふと、そのようなことを考えていると、島袋さんが話しかけてくれた。


「大丈夫かい。無理して食べなくても良いからね」

 島袋さんは、心配そうに私を見ていた。


「大丈夫…です」

 少し俯き加減に答えた私に、島袋さんは優しく「そっか」と言った。


 私はスパゲッティを食べながら、みんなの顔を見てみることにした。もしかしたら母以外の人が食べる姿を見たことがないかもしれない。


 真実はフォークを使い上手に食べれていて、どこか大人びた雰囲気がある。


 卓郎は純粋で素直な子。ぎこちないフォークの使い方だけれど、沢山食べていて偉い。


 美穂は前掛けにケチャップを食べさせている。


 子どもたちの食べる姿を見ていると、不思議とお腹が空いてきた。私は、口の中のスパゲッティを早々に噛み砕き、フォークを次の一口に刺す。くるくると回すと、もう一口。


 みんなで食べると、こんなに楽しいんだ。こんなに嬉しいんだ。私はこの時、食事をすることの意味を初めて知った。


 みんなは、あっという間に食事を終え、次々と食器を台所に持って行く。その光景を見た私も、お姉さんでなければいけないと感じ、急いで完食。積極的にお皿を片付けに行った。


「みんな、今日はもう遅いからお風呂に入ったらすぐに寝るんだぞ。さゆりちゃん洋服は出てくるまでに準備しておくよ」

 島袋さんは私にそう伝えると、自室へと入っていった。


「さぁ風呂入るぞ」

 カケルが、子どもたちに声をかけると、三人とも一斉に服を脱ぎ始める。


 裸になった三人は、走ってお風呂場に向かっていく。


「さゆりは後でゆっくり入れよ」


「ありがとう」

 私は、お礼を言った後にリビングのテーブルに顔を伏せた。


 今日起こった出来事を整理したかったが、記憶が曖昧なせいで、うまくまとまらない。

 お母さんと一緒に散歩をしてて、空を眺めて、綺麗な石を…


「石。綺麗な石」

 私は慌ててポケットに手を入れて石を探した。


 必ずあるはず、あの綺麗な石が…。あった。


 右側のポケットを探っていた手があの時の綺麗な石を探し当てた。


 透明で向こう側が透き通って見える。

 この石を拾った時から、なにかが起きたはずだ。


 記憶を少しずつでも取り戻さないと。


 頭を抱えて考え込んでいるとカケルの声がした。


「さゆり、大丈夫か」

 そこには髪の濡れたカケルが立っていた。横には、裸で髪をぐっしょりと濡らした美穂。


「なにか考え込んでるみたいだったけど…」

 カケルは心配してくれた。


「大丈夫。少しぼんやりしてただけだから」

 私はそう言って、カケルの横にいる美穂を指差す。


「うわ、美穂。びしょびしょのまま出てきちゃ駄目だろ」

 美穂は笑顔でカケルを見上げた。


「ほら、ここでいいから髪乾かすぞ」

 カケルはそう言って、美穂の髪をタオルで拭き始めた。


「カケル、ありがとう。お風呂行ってくるね」


______________________


 私は湯船に浸かりながら石を眺める。

 石を湯船に沈めてみると、あまりに透明のため、形がわからなくなってしまった。


 本当に綺麗だ。

 お母さんにもちゃんと見せたかったな。

 お母さんいったいどこに行ってしまったの。


 私はまた涙が溢れてきた。

 胸が苦しい。


 一人になってしまったよ。

 

 ひとしきり泣いた後、消えそうな心の火を、優しく包み込み、お風呂から出た。


 目の前には、女の子用のパジャマが置いてあった。私はパジャマに着替え、浴室を出ると島袋さんがいた。


「パジャマ、丁度よかったか。前にこの教室を出た子どもたちが残していったものがあったからね。よかった」


「ありがとうございます」


「明日は警察の方が、さゆりちゃんの私物を持ってきてくれるようだから、今日はそれで我慢してね」

 島袋さんは申し訳なさそうにそう言った。


「いえ、大丈夫です」


「それじゃ、みんなと布団を敷いておいで」

 私は寝室に向かったが、だいたいの布団は敷いてあった。


「お姉ちゃん遅い」

 おかっぱの真実が、正座しながら私に言った。


 真実は幼いながらも、だいぶしっかりしている。さすがこの施設の長女だ。


 お留守番もこの子がいたから出来たのだそう。


「ご、ごめんなさい」

 私は急いでみんなを手伝う。


 それを見ていたカケルの表情は、とても穏やかで幸せそうだった。

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