善と悪
麻衣は騒音で目を覚ました。耳障りな音楽が響く中、意識がハッキリとしてくると、ここがクラブのVIPルームだということに気付く。
「おまえなにやってんの」
意識が朦朧とする麻衣の耳に入ったのは、桜庭の声だ。
「桜庭先輩...どうゆうことですか」
麻衣は混乱している。
「こっちが聞きたいよ。麻衣さ、藤田のとこの商売手伝ってるでしょ」
桜庭はソファに座りながら聞く。
不意を突かれた麻衣は、言葉を失い黙り込んでしまった。
「やっぱりそうか。ダメじゃん、それは裏切りだよね」
ソファの肘掛けを、トントンと指先で打つ桜庭は、誰が見てもイライラとしている。
「いえ...手伝ってたとゆうか...ただ仲の良い友達で...」
麻衣の目に生気はない。
「そうなんだ。でもさ、うちの客取っちゃったよね。うちから客引けば簡単だもんね。顧客に問い詰めたけどさ、簡単にチンコロしたよ。やり方が同じじゃん、バレるのわかってたよね」
桜庭の感情は、徐々に表に姿を現す。
怯え切った麻衣は、何一つ言葉を発することが出来なくなってしまった。
「もういいよ、本当は連れてくるのおまえじゃなかったんだけどさ、来ちゃったもんは来ちゃったとして、藤田を釣る餌になってもらうね。おい、カメラとロープ」
桜庭は部下に指示を出す。
「はい」
桜庭の部下の一人が部屋を出る。
部屋に残っている桜庭の部下達は、鈴木も合わせると全部で十人ほど。この先なにが起きようとも、麻衣一人では抵抗することは不可能だろう。麻衣は生気を失った目で、まっすぐに前だけを見つめていた。
「持ってきました」
一人の部下がカメラとロープを手に持っている。
「縛れ」
桜庭が指示を出すと、部下は麻衣の両手を縛り始める。
「や...やめて下さい...」
麻衣の目からは涙が流れ、か細い声を出す。
部下は麻衣を縛り終えると、桜庭からカメラを受け取り、舐めるように麻衣の顔を撮った。
「桜庭先輩許してください、お願いします。ごめんなさい、ごめんなさい」
麻衣は泣きじゃくる。
「鈴木、おまえ出てきたばかりだろ。やれよ」
桜庭は鈴木に首で合図を送った。
「いいのか。ありがてえ」
鈴木はそうゆうと麻衣の襟元に手をかけ、服を引き裂こうと力を入れた。
その時...木箱を壁に打ち付けたような音と一緒に、勢いよくVIPルームのドアが吹き飛んだ。
「な、なんだ」
桜庭は驚いてドアの方に振り向いた。
なんとそこには、鬼のような形相の藤田が立っていたのだ。
「おまえら、なにやってるんだよ」
藤田は怒りを堪え切れず、入口付近の部下に掴みかかった。
入口付近にいた部下の髪の毛を、片手で鷲掴みにし、力いっぱいその頭を壁に激突させる。藤田に気付いてこちらに走ってくる男の腹に、強烈な前蹴りを放つと、その男は沈み込み、続けて近くにいた男の頭を両手で掴むと、自分の膝へと勢いよく打ち付ける。
藤田は、足元に転がっている瓶を確認し、それを拾い上げると、躊躇なく部屋中に散乱している部下たちの頭を引っ叩いた。桜庭の部下たちは、弱いわけではなかったが、藤田の恐ろしい形相と勢いに、全員が揃って萎縮してしまっていたのだ。
それは桜庭も例外ではない。
桜庭は過去に一度だけ、藤田が我を失った様子を見たことがある。あの光景はまるで地獄だった。桜庭が必死に止めていなければ、確実に人を殺してしまっていただろう。その時は、今回の麻衣と同じように、桜庭が誘拐されたことが原因だった。
藤田は、いとも簡単に桜庭の髪の毛を掴んだかと思うと、もう片方の手で、桜庭の鼻目掛け強烈な拳を振り切った。桜庭の口からは、とてもじゃないが声とは呼ぶことができない鈍い音が出る。
桜庭は吹き飛び、それと同時に大量の血を鼻から吹いた。
それを見ていた鈴木は、恐ろしさのあまり後ずさり、端の方で固まる残りの部下たちは、次は自分達だと生唾を飲んだ。桜庭の意識が飛んだことを確認した藤田は、目線を部下たちに向け、掴んでいた髪の毛を離した。
「藤田さん。大丈夫か」
ゆっくりと立ち上がる藤田に、ドアの前に立つ健人の声が響く。
真っ赤な目で健人を睨みつける藤田は、少しづつ落ち着きを取り戻していった。
「藤田さん、麻衣は。麻衣はどこにいるんだよ」
健人は両手で宙を探りながら部屋に入ってくる。
「健人、こっち」
疲れ切った麻衣の声。健人は、その声が聞こえる方に勢いよく走った。
「遅くなってごめん。麻衣が家を出た後、誰かと話していたのを聞いていたんだ。その時に、追いかけたんだけど間に合わなくて」
健人は、麻衣の腕に巻かれたロープを解きながら言う。
「ううん、助かったよ。健人が藤田さんに連絡してくれたんだね、ありがとう」
麻衣は安堵の涙を流した。
「大丈夫か麻衣。大変なことになって申し訳ない」
藤田も麻衣に謝る。
「大丈夫です。ギリギリのところで助けてもらえましたんで」
麻衣は笑顔を作った。
「そうか。麻衣、健人、少し外で待ってろ」
藤田はそう言うと、気を失っている桜庭のほうへと向かい、顔面目掛けグラスの水をぶちまける。
「コホッ、コホッ、コホ」
渇いた咳を出した桜庭は目覚め、今の状況を理解しようと目玉をキョロキョロとさせていた。
「おまえ、やりすぎたな」
藤田はドスの利いた声で桜庭に言う。
桜庭は座り込み、横目で藤田を睨むと少しの間をおいて発する。
「お前は昔から、本当にむかつく奴だな」
桜庭は拳を強く握った。
「むかつくって、恨まれるのはどう考えてもおまえのほうだろ。八年前のあの日、お前が俺を裏切ったせいで俺の人生はめちゃくちゃだ。親友だと思っていたのに、なんであんなことしたんだよ」
藤田は桜庭の胸ぐらを掴む。
「お前には理解できない」
桜庭も掴み返す。
桜庭は話すのがキツそうだったが、余程恨みが強いのだろう、ひしひしと怒りが伝わってくる。
「俺には理解できないだと。言わせてもらうが、ずっと親友だと思っていた奴に突然裏切られ、理由も分からないまま八年間刑務所で過ごした。この苦しみが、お前に理解出来るのかよ」
藤田は悲しそうに話を続ける。
「おかげで人間不信になったよ。何度中で死のうと思ったか。でも生きたよ、生き抜いたさ。なにが正しい事で、なにが悪い事なのかをお前に教えるためにな」
悲しそうだった藤田の顔だが、徐々にその表情は怒りへと変化してゆく。
「どこからものを言ってやがる。正しい事だと、悪い事だと。そんなくだらねぇ事ばかり言ってるからお前は裏切られるんだ。この世は正しいも誤りもない残酷な世界さ、お前みたいに善人振る程、余裕のある人ばかりじゃないんだよ」
桜庭も怒りに満ちた顔で言い返す。
「俺が善人振ってると言ったのか。お前はプライドが高く、私利私欲のために人を踏みつけにしているだけだろう。なんだあの脱法ハーブって、お前の欲のせいでみんなボロボロになっちまってるじゃねぇかよ」
藤田は拳を作り、床を殴った。
「今も昔も、お前はなにも分かってないよ。俺にだって絶対に守らなきゃいけないものがあったんだよ」
桜庭は藤田をまっすぐに見つめる。
「何だよ、絶対に守りたかったものって、言ってみろよ」
藤田の怒りはまだ収まっていない。
「弟だよ」
怒りで目を赤くし、怒鳴る桜庭。
「弟...」
桜庭の突然の告白に、藤田の怒りはどこかに消え去ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます