第二章 GreenCrack

 健人が栽培を始めてから三ヶ月が経つ。その間藤田は、髭さんから紹介された解体屋でなんとか生計を立てていたのだが、とうとうこの日が来た。

 

 健人の母の部屋で床に胡座をかき作業をしていた二人。どこか高揚感のようなものを漂わせながら、大麻の成熟を喜んでいた。


「乾燥もトリミングも終わった」

 安堵のため息を吐く藤田は、完成したその花をそっとつまみ、鼻の前に持ってきた。


 芳醇な香りを感じると、花の形や質を見極めた。それは窓から差し込む光で、まるで宝石のようにキラキラと輝いている。花をケースに戻し、ベタつく指先を擦り合わせると、藤田は健人の方を向く。


「最高だ。こいつは最上級だ」

 藤田は感動していた。


「これで次の段階に進めるね」

 健人は鼻高々に藤田に言う。


「そうだな、さっそく売りたいところだが...」

 そう言うと藤田は、ごそごそとポケットを漁る。ポケットの中からは、大麻の花を砕く『グラインダー』と呼ばれる道具が取り出された。


 凝縮された極上の大麻を指で裂き、蓋を開けたグラインダーに少しずつ乗せる。蓋を閉めると両手首を捻り、中に入っている大麻を、鉄と鉄が擦れる音とともにすり潰す。


「なにしてるの」

 健人は藤田に言う。


「まあ待ってろよ」

 藤田はそういうと、なにやら作業を始めた。


 健人は今の状況を理解することは出来なかったが、鼻の奥に感じる柑橘系の、もしくは土や森の中で感じるような、なんともいえない躍動的な香りに、一人うっとりとしていたのだった。


「さあ、できたぞ」

 藤田の手によって手際よく作られたそれに、ライターで火をつける。



 その一瞬、部屋中に明かりが灯った気がした。



 深く、ゆっくりと肺の奥まで吸い込む。まったりと肺を膨らませていくような感覚だ。

 

 心地良く肺が膨らんだことを実感すると、さらにゆっくりと時間をかけて煙を吐き出していく。



「GreenCrackだ」

 藤田はそっと呟く。



 非常に滑らかな煙、それでいて、口蓋の上部と舌の奥にマンゴーを連想させる。


 スパイシーな味を残す『GreenCrack』に、藤田は感動し涙を一粒落とすのだった。


「健人も吸ってみろ、おまえが作った極上の大麻だぞ」

 藤田は健人に、巻紙で巻かれた『GreenCrack』を持たせる。


 健人の五感は、既に『GreenCrack』に魅せられていた。なんの躊躇もせずに『ジョイント』を口元まで持っていき、勢いよく吸い込んだ。


「ごほっごほっ、ごほっ」

 健人は顔を真っ赤にし、苦しそうに肩を上下させる。


「ごほっ、ごほっ」

 尚も咳き込む健人は、そのまま勢い良く立ち上がり冷蔵庫を開け、二リットルの水の入ったペットボトルに直接口を付け、ゴクゴクと喉を鳴らす。


「なんだ健人、素早く動けるじゃないか」

 健人のその姿を見た藤田は、目玉を真っ赤にしゲラゲラと笑っている。


「笑い事じゃない、ごほっ」

 少し咳が収まってきた健人は、手探りで空のグラスを取り、飲みかけの水を注いだ。


 健人はそのまま藤田のほうへと歩くと、グラスを藤田の前に置く。


「おまえが口を付けた水かよ、まあいいけど」

 藤田は、相変わらずニコニコとしながらグラスの水を飲み干した。


 グラスをテーブルに置くと、ジョイントを更に吸い込む。


「ごっほ、ごほ、ごっほごっほ」

 藤田もさらに目玉を真っ赤にし、咳き込む。


 藤田の盛大な咳き込みを聴いた健人は、口に含んでいた水を噴き出してしまった。


「笑わせないでくれよ藤田さん」

 健人は大きな声で笑った。


「このジョイントは最高だな」

 藤田は、一筋の煙を天上に伸ばすジョイントを指先で転がす。


「ジョイントってどんな物なの」

 健人は首を傾げた。


「ああ、ジョイントってのは砕いた大麻を巻紙で巻いた物だ。形は煙草とほとんど変わらないだろ」


 藤田は咳き込みながらもジョイントを健人に持たせると「ところで健人、好きな曲はあるのか」と聞いた。


「俺は坂本慎太郎が好き、坂本慎太郎の”思い出が消えていく”」

 健人はゆっくりと煙を吐きながら答える。


「渋いな、おまえまだ23だろ」

 健人からジョイントを受け取る。


「お母さんがよく聴いていて、耳に残ってるんだよ。彼の音楽はノスタルジックな気分になるんだよね」


 藤田は、健人の部屋の中から音楽プレーヤーを見つけると、一言「聴こう」と言った。煙をゆっくりと吐き出すと音楽が流れ始めた。



 健人はその瞬間、まるで別の世界にいるような感覚になった。



 いつも聴いている音とは違う、スロー再生をしているような、頭の後ろに残る音を全身で感じる。一粒一粒の音色を聴き、深く、深く音の波に吞まれてゆく。


 こんなに素敵な世界があったのか。こんなにも心地よく癒される空間が存在したのか。ふと母に抱かれた時のことを思い出す。泣きじゃくる僕を優しくあやしてくれた。あの日のうどんの味、カレーの香り、サフランのみずみずしさ。


 健人の目からは、自然と大粒の涙が溢れた。まるで心が浄化されるようだ。健人は大麻を吸い、少しの間だが亡くなった母と再会出来たのだ。

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