播種(はしゅ)

 翌朝、健人は玄関のドアを叩く音で目覚めた。


「おい、健人起きてるか」

 藤田の大きな声が聞こえる。


 健人は重たい体を起こし、玄関のほうへと歩いていく。


「はいはい、少し待ってて」

 健人は頭を掻きながら玄関のドアを開けた。


「おまえまだ寝てたのか。もう6時だぞ」

 藤田が言う。


「もう6時って、まだ6時だって」

 健人は不機嫌だった。


「種植えるぞ」

 そういって藤田は、ずかずかと健人の部屋へ上がり込んだ。


 そんな藤田の声を背中で聞きながら、健人は開かれたドアの前で欠伸をした。


「良い朝なのに騒がしいな」

 健人は鳩の鳴き声を聞きながら、腕を空に伸ばす。


 全身を伸ばしていると、部屋の中から物音が聞こえた。藤田は母の部屋で、なにやら作業をしているようだ。健人は玄関のドアを閉めると、藤田の元へと向かう。


「健人、おまえが植えてみろ」

 藤田は健人に種子の入ったプラケースを渡す。


 健人はプラケースを開けると、大麻の種子を一つつまみ、そっと手のひらに乗せた。


「芽が出てる」

 大麻の種子に優しく触れ、芽が出てることを確認した健人は栽培用のテントに入った植木鉢に種子を植えた。


「大麻自体は丈夫な方だと思うが、乾燥にはめっぽう弱い、十分注意しろよ」

 藤田はそういうとジョウロを健人に渡す。


「分かってるよ、植物を育てるのは得意なんだ。食虫植物だって育てたことあるし」

 健人は植木鉢に水をたっぷりとあげると、自分の部屋のサフランの元へと向かう。


「食虫植物ってハエトリグサとかだろ」

 藤田は母の部屋から聞く。


「そうそう、ハエトリグサ」

 健人はサフランに水をあげながら答えた。


「あれは面白いよな、刺激するとパクって閉じちゃうんだよな」

 藤田は笑顔で言う。


「実はハエトリグサは日本の気候に合っていて、結構育てやすいんだよ、藤田さんも育ててみたら」

 健人はジョウロをサフランの植木鉢の脇に置くと、藤田のいる母の部屋へと戻ってきた。


「いいかもしれない、でもどこで売ってるんだろうな」

 藤田は腕を組み考える。


「ネットで買えばいいじゃん。今はもうなんでもネットでしょ」

 いつのまにか、胡座をかき座っている健人が言う。


「そ、そうなのか。ネットで買うものなんて信用出来ないだろ」

 藤田は言う。


「古いなあ、藤田さんは」

 健人は藤田を小馬鹿にした。


「仕方ないだろ、八年入ってたんだぞ。それについこの間出てきたばかりだ」

 藤田も座って胡座をかくと、上着のポケットから菓子パンを出し、健人に差し出した。


「八年も入ってたって、いったいなにしたのさ。人でも殺したの」

 健人は少しだけ後ずさる。


「そんな訳ないだろ。ほら、菓子パン食えよ」

 藤田は、健人の手に菓子パンを近付けた。


 健人は菓子パンを受け取ると袋を触る。


「ありがとう、これメロンパンだね」

 健人はそう言い、袋を開け匂いを嗅いだ。


「良い匂い、俺メロンパン大好きなんだよね。それでいったいなにをして八年も入ってたのさ」

 健人はメロンパンを頬張りながら藤田に聞く。


「大麻栽培、所持、未成年も含めた密売、輸入輸出、色々やった」

 藤田はメロンパンを咀嚼しながら答えた。


「結構悪いことやってるね」

 苦笑いを浮かべた健人は、尚もメロンパンを頬張る。


「人は殺してないからな」

 藤田はメロンパンを飲み込むと、強調して言った。


 健人が藤田に返す言葉を選んでいると、二人の間にほんの数秒沈黙が流れる。


「おい、信じてないだろ」

 沈黙に耐え切れず、焦りから力が入り過ぎてしまった藤田は、メロンパンが入った袋を強く握った。


「はいはい、信じてるって。ところで今後の流れはどんな感じなの」

 健人は藤田に聞く。


「ちょっと待て、本当に信じてるのか。『はい』を二回続けて言う奴は、大体のことを理解していない場合が多いんだぞ」


「いや、そんなこともないでしょ」


「そんなことある。俺は社会人になって学んだんだ。会社の先輩に何度怒られたことか...」


「『はい』は一回か」


「そう、『はい』は一回。これは社会人のマナーだ。覚えておけ」


「はい」

 藤田は呆れ声で返事をする健人を見て、会社の先輩と自分を重ねていた。


「まあ...とりあえず、花が咲かない限りはなにも出来ないからな、あまりここに来るのも怪しいだろうし、説明したとおりに栽培を続けてほしい」


「分かった。なにかあれば部屋まで行くよ」

 健人はそうゆうと、メロンパンの最後の一口を口の中に放り込んだ。

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