心の闇を晴らす時

「電気つけるぞ」

 暗闇に健人の気配を察知した藤田は言った。


「うん」

 健人はサフランに水をあげていた。


「その花、なんて花なんだ」

 サフランをまじまじと見つめる藤田は言う。


「サフランだよ。母さんが好きだった花。子どもの頃から一緒に育ててる」

 健人はサフランの方を向きながら答える。


「すごい綺麗だな。こんなに綺麗な花は初めて見たよ」

 藤田は紫色の花びらに触れる。


「綺麗か、よかった。花には触れないでね、繊細だから」

 健人の顔に笑みがこぼれた。


 藤田はそっと花びらから手を離し、その手をポケットに入れる。


「髭さんから了承を得てきた。さっそく始めよう」

 藤田が手を叩くと、二人は椅子に座り話し始めた。


「始めるって、髭さんとどんな話をしてきたの」

 健人は問う。


「この仕事の大本おおもとは髭さんなんだ。あいつに『健人と一緒に仕事をする』って伝えてきた」


「髭さんにそんなこと言ったの。俺の印象がどんな風に変わるかとか、考えてくれなかったのか...」


「健人の印象ってどんなだ」


「髭さんにとって俺は、ただのいい子ちゃん。それ以上でもそれ以下でもない」


「どっちでもないなら都合いいだろ。しかも髭さんは乗り気だったぞ」


「え、髭さん乗り気だったのか」


「その辺はあまり心配するなって。それじゃあ初めに栽培方法を教えるぞ。一度覚えてしまえば簡単だと思うが、おまえの場合少し苦労するだろう。手探りで頑張ってくれ」

 藤田はそう言うと、淡々と大麻の栽培方法を健人に教えた。


 話を聞いている間の健人は、時々難しそうな顔をしたが、どちらかというと前向きな表情だった。


「警察に捕まるリスクは視野に入れてるんだよね」

 健人は聞く。


「もちろんだ。だが大麻栽培で捕まっている奴のだいたいは、友人の裏切りだったり、客がチンコロした場合が多いんだ。その辺りは、おまえは俺のことを信用するしかないが...。ただ、俺の名簿に載っている客達は、まあ大丈夫だ」

 藤田は自慢気に言う。


「なんで大丈夫なんだよ」

 健人は腕を組む。


「俺の顧客は全員精神疾患持ちで、なにかあれば二度と商売はしないと色々な脅しをしてあるからだ」


「色々って」

 健人は呆れて、質問を続けるのをやめた。


 詳しくは聞かないほうが身のためだと思ったのだ。


「一度部屋に戻って、栽培キットを取ってくる」

 藤田はそういうと健人の部屋を出た。


 一人になった健人は、久しぶりに聞く耳鳴りとともに静寂に包まれる。母が死に、孤独の中にいた健人には、藤田の声があまりにも大きかったらしい。

 

 しばらくして、玄関のドアを小さく叩く音が聞こえ、健人は玄関に向かう。


「悪い、開けてくれ」

 藤田の声がし、健人がドアを開く。


「ありがとう、沢山持ってきたから少し避けててくれ」

 藤田は、健人が端に寄るのを確認すると、両手いっぱいの道具をテーブルの上に広げた。


「そんなにあるの」

 健人は、テーブルに広がる音を確認すると道具に触れる。


 一つ一つの形を確かめ、大体のものがどんな役割を持つのかを想像した。


「そして最後にこれ、今はガーゼに包んであるが明日には発芽すると思う」

 藤田はプラケースに入った種子を健人の手に直接渡す。


 健人はプラケースを受け取ると、軽く形を確認した後そっとテーブルの上に置いた。


「とりあえず植えるのは明日からだとして、この複雑そうなキットを組み立てるのを手伝ってくれないか」

 健人は藤田に言う。


「ほとんど出来てはいるから、結構簡単だぞ。よし、あの部屋に設置しようか」

 キットをいじりながら、藤田は健人の母の部屋だった方向を指さした。


「あの部屋ってどこ」

 健人は聞く。


「仏壇のある部屋だよ、日当たりも良さそうだし一番奥まってる」

 藤田は腕を組んだ。


「嫌だよ、母さんの部屋だ」


「バカ野郎。だからいいんだろうが、少しでもバレない可能性を高めるんだよ」

 藤田は健人を説得する。


 藤田の言うことも分かるが、亡き母の部屋で違法な事をするという背徳感からか、健人はなにも言えなくなってしまった。


「捕まるまで三年間栽培をしてきた。それまで一度もヘマをしたことはない。最後には親友に裏切られたけどな」

 藤田は言う。


「裏切られたってどういうことだよ」


「その親友とは、ずっと一緒にやってきたんだよ。最後に金を持ち逃げされて、挙句の果てに警察に垂れ込まれたんだ」


 藤田の悔しそうな声を聞いた健人は口を開く。


「復讐したいのか」

 健人は藤田の方に向いた。


「そうだな、復讐...。いや、どうなんだろうな。なんにせよ、そのためには健人の協力が必要なんだよ」

 藤田は、健人の気持ちが揺れ動く度に何度も説得を試みる。


「仕方ない、母さんの部屋を使おう。藤田さんがそこまで言うのなら信じるしかない、実際俺も金はほしいし」

 健人は藤田の言葉に、不思議と心を動かされてしまう。


 なぜか藤田の言葉には説得力がある、必ず成功してやるという信念が伝わる。藤田自身もやる気に満ち溢れ、十代の頃よりもさらに力を発揮出来そうだった。


 健人は藤田と話している内に、だんだんと心のもやが晴れていく感覚になる。前向きになり、過去を悲しむより未来を想像することの大切さを実感することが出来る。藤田と一緒に前を向こうと思ったのだ。


「それじゃあ健人、さっそく組み立てていくぞ。結構単純だから口でも説明しやすいと思う」

 健人の母の部屋に移動した二人は、栽培キットを組み立て始める。


「まずは土台になる部分、それとテントと呼ばれる囲いのような物を組み立てる。触ってもいいぞ」

 藤田は健人にキットを触らせ、どんな物を扱うのかを詳しく説明した。


 土の設置や、ライトの当て方、水の温度のこだわり、開花後の作業についても健人に伝えながら組み立てる。


 30分は経っただろう。途中藤田はトイレに何度も行っていたが、無事に栽培キットの設置が終わった。


「種は明日植えればいいんだよね」

 健人は言う。


「明日の朝一番に俺が来るから、一緒に植えよう。発芽しているはずだから繊細に扱わなくてはならないからな」

 藤田は健人にそう伝えると玄関のほうへと歩いて行った。


「今日はもう帰るんだよね」

健人は、なにかを言いたげだった。


「ああ、伝えたいことは伝えられたし、後は植えるだけだからな」

 藤田はそういうと健人に背を向け手を振る。


「あの、部屋の片付け手伝ってくれないかな」

 健人は勇気を出し藤田の後ろ姿に向かってうつむき加減に言う。


「そんなもの自分でやれよ」

 藤田は健人を冷たくあしらうと部屋を出ていった。


 一つため息を吐き、玄関ドアの鍵を閉めようと健人が歩き始めると、妙な違和感がある。床に散らばっているはずの花瓶の破片がないのだ。


「トイレの回数がやけに多いと思った」

 健人の顔からは自然と笑みがこぼれたのだった。

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