交渉

「それじゃあ俺は、ちょっと出てくる」

 藤田は今回のことを髭面に提案しにいくことにする。


「出るってどこに」

 健人が聞いた。


「このアパートの裏にあるバーだよ」

 藤田は靴を履きながら答えた。


「バーって髭さんのところだよね」

 健人が言う。


「髭さんって髭面のおっさんのことだよな。健人はあいつと仲良いのか」

 藤田は聞く。


「俺の母さんとね、なんだか仲良かったみたいでさ、小さい頃からよく遊びに行ってたんだ」

 健人は思い出すように話す。


「そうだったのか、それでここに住んでいるんだな。まあ、とにかく行ってくる」

 藤田はこのアパートには悪い人ばかりが住んでいるものだと思っていたが、訳ありの住人もいることを知った。


 玄関が閉まると落ち着いた健人をそのままに、藤田は髭面のもとへ向かった。


____________________________________________________________________________


 藤田は雑居ビルの階段を上がり「Bar Spray」にやってきた。


【closed】の看板が出ているが、藤田は構わずドアを開ける。


「いらっしゃいま、なんだおまえか、どうした」

 髭面は藤田を見てため息を吐く。


「あの、髭さんに提案があります」

 藤田は姿勢を正した。


「提案だと、言ってみろ」

 髭面は髭さんと呼ばれることに違和感がないらしく、とくに反応は見せてはくれなかった。


「アパートの隣の住人を使い、仕事をしたいのですが」

 藤田は言う。


「隣ってことは健人か。あいつと仕事って、いったいどんなことをするんだ」

 髭面は顎に手を当てた。


 少しの沈黙の後、藤田は答えた。


「二人で大麻栽培を」

 藤田は髭面の目をまっすぐ見つめる。


 その目を見た髭面は、なにかを感じ取ったような表情で口を開く。


「ほお、藤田おまえ頭が切れるな。大麻栽培なんて一ヶ月そこらで出来るものじゃない、だから別の方法を考えるだろうとは思っていたが...なるほど。詳しく説明してみろ」

 髭面は感心したような顔をした。


「まずは俺があいつに栽培方法を教える。栽培する場所はあいつの部屋。警察のガサや、チンピラのタタキでさえあいつなら簡単に解決出来るはず」

 藤田は自信満々で言う。


 髭面はうつむき、肩を上下に揺らす。藤田は不気味に感じ顔を覗き込むが、すっと顔をあげた髭面の顔は笑顔だった。


「よし、やっぱりおまえなら大丈夫そうだな。健人とおまえ二人が協力して仕事をすれば、『一生好きなことをして暮らせるだけの金』を手に入れることだってできるぞ」

 髭面の不愛想はどこかへ消え去っていた。


「一生好きな事をして暮らせるって、そんな大袈裟な...」


「なんだ、大袈裟じゃいけないのか。リスクを負うのに小さな見返りだけで満足するのか」

 髭面の冷めた表情を見た藤田は、髭面の感情に振り回されていた。


 今の今まで笑顔だった髭面の表情は、瞬時に冷めた顔へと変わっている。この男の感情がいまいち読めない藤田だったが、拳を強く握ると覚悟を決めた。


「いや、せっかくリスクを負うならデカく儲けたい。もう一度初めからやり直したいんだ」

 ふつふつと湧き上がる情熱と同時に、頭の中では今後の流れを大体の形でイメージしていた。


 本来なら個人的に金儲けをしたかったが、ここで髭面に歯向かっても物事がマイナスに進むだけだ。舞い降りてきたこのチャンスを確実に掴むと、藤田は一歩前へと進んだ。


「今回の話は他言無用だ。人間はな、すぐに人を裏切る。自分が危うい状況になった時は一目散に逃げてしまうんだ。全ての罪を擦り付け、裏切られるんだ」

 髭面の表情にほんの少しだが悲しみを感じた。


 藤田も八年前の出来事を思い出してしまった。


(あの野郎...)

 藤田は今でもあの男のことを許してはいない、金に目が眩み藤田を裏切った桜庭を。


 藤田が八年間入っている間、桜庭はなんとあの日に不起訴となっていたらしいのだ。理由は色々あったのだろうが、警察側も大事にしたくなかったのではないかと思われる。押収された金の行方も分からないようだし、今回の事件には怪しい点がいくつか見られたのだ。


 髭面の悲壮感漂う表情を見た藤田は、彼も似たような経験をしたのではないかと薄々感じた。親友に裏切られる衝撃、この衝撃は心臓が引き裂かれ頭の中が真っ白になる、そんな衝撃なのだ。


「わかったよ髭さん。時間をくれてありがとう。状況は逐一報告させてもらうよ」

 藤田は言う。


「よし、それなら成果が出るまで金は俺がなんとかしてやる。一種の投資ってとこだな。ヘマするんじゃねえぞ、その時は分かってるよな」

 髭面の表情は少し和らいだ。


「わかってます。さっそくこの後戻ったら始めます」

 藤田は敬語交じりの安定しない言葉で髭面に答える。


 話が終わり店を出ようとした藤田を、髭面が呼び止めた。


「待て、もしかしたらおまえらの様子をボスが見に来るかもしれない。その時はボスにもこの話はするなよ。ボスは金のためならなんでもする。こんなに旨そうな話をボスが食わない訳がない」

 髭面が言う。


「わかったよ、言わない。俺だって母も妹もいるんだ。なるべく危険なことは避けたいよ」

 どうやら髭面はボスの座を狙っているらしい。こういう男は途轍もなく頭が切れる。


(髭面に利用されている内は命の心配はないだろう)

 ボスという言葉に一瞬萎縮した藤田だったが、なんとか髭面を説得することに成功したのだ。


 藤田はバーを後にすると、アパートに戻り健人の家のドアを叩いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る