交渉
「それじゃあ俺は、ちょっと出てくる」
藤田は今回のことを髭面に提案しにいくことにする。
「出るってどこに」
健人が聞いた。
「このアパートの裏にあるバーだよ」
藤田は靴を履きながら答えた。
「バーって髭さんのところだよね」
健人が言う。
「髭さんって髭面のおっさんのことだよな。健人はあいつと仲良いのか」
藤田は聞く。
「俺の母さんとね、なんだか仲良かったみたいでさ、小さい頃からよく遊びに行ってたんだ」
健人は思い出すように話す。
「そうだったのか、それでここに住んでいるんだな。まあ、とにかく行ってくる」
藤田はこのアパートには悪い人ばかりが住んでいるものだと思っていたが、訳ありの住人もいることを知った。
玄関が閉まると落ち着いた健人をそのままに、藤田は髭面のもとへ向かった。
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藤田は雑居ビルの階段を上がり「Bar Spray」にやってきた。
【closed】の看板が出ているが、藤田は構わずドアを開ける。
「いらっしゃいま、なんだおまえか、どうした」
髭面は藤田を見てため息を吐く。
「あの、髭さんに提案があります」
藤田は姿勢を正した。
「提案だと、言ってみろ」
髭面は髭さんと呼ばれることに違和感がないらしく、とくに反応は見せてはくれなかった。
「アパートの隣の住人を使い、仕事をしたいのですが」
藤田は言う。
「隣ってことは健人か。あいつと仕事って、いったいどんなことをするんだ」
髭面は顎に手を当てた。
少しの沈黙の後、藤田は答えた。
「二人で大麻栽培を」
藤田は髭面の目をまっすぐ見つめる。
その目を見た髭面は、なにかを感じ取ったような表情で口を開く。
「ほお、藤田おまえ頭が切れるな。大麻栽培なんて一ヶ月そこらで出来るものじゃない、だから別の方法を考えるだろうとは思っていたが...なるほど。詳しく説明してみろ」
髭面は感心したような顔をした。
「まずは俺があいつに栽培方法を教える。栽培する場所はあいつの部屋。警察のガサや、チンピラのタタキでさえあいつなら簡単に解決出来るはず」
藤田は自信満々で言う。
髭面は
「よし、やっぱりおまえなら大丈夫そうだな。健人とおまえ二人が協力して仕事をすれば、『一生好きなことをして暮らせるだけの金』を手に入れることだってできるぞ」
髭面の不愛想はどこかへ消え去っていた。
「一生好きな事をして暮らせるって、そんな大袈裟な...」
「なんだ、大袈裟じゃいけないのか。リスクを負うのに小さな見返りだけで満足するのか」
髭面の冷めた表情を見た藤田は、髭面の感情に振り回されていた。
今の今まで笑顔だった髭面の表情は、瞬時に冷めた顔へと変わっている。この男の感情がいまいち読めない藤田だったが、拳を強く握ると覚悟を決めた。
「いや、せっかくリスクを負うならデカく儲けたい。もう一度初めからやり直したいんだ」
ふつふつと湧き上がる情熱と同時に、頭の中では今後の流れを大体の形でイメージしていた。
本来なら個人的に金儲けをしたかったが、ここで髭面に歯向かっても物事がマイナスに進むだけだ。舞い降りてきたこのチャンスを確実に掴むと、藤田は一歩前へと進んだ。
「今回の話は他言無用だ。人間はな、すぐに人を裏切る。自分が危うい状況になった時は一目散に逃げてしまうんだ。全ての罪を擦り付け、裏切られるんだ」
髭面の表情にほんの少しだが悲しみを感じた。
藤田も八年前の出来事を思い出してしまった。
(あの野郎...)
藤田は今でもあの男のことを許してはいない、金に目が眩み藤田を裏切った桜庭を。
藤田が八年間入っている間、桜庭はなんとあの日に不起訴となっていたらしいのだ。理由は色々あったのだろうが、警察側も大事にしたくなかったのではないかと思われる。押収された金の行方も分からないようだし、今回の事件には怪しい点がいくつか見られたのだ。
髭面の悲壮感漂う表情を見た藤田は、彼も似たような経験をしたのではないかと薄々感じた。親友に裏切られる衝撃、この衝撃は心臓が引き裂かれ頭の中が真っ白になる、そんな衝撃なのだ。
「わかったよ髭さん。時間をくれてありがとう。状況は逐一報告させてもらうよ」
藤田は言う。
「よし、それなら成果が出るまで金は俺がなんとかしてやる。一種の投資ってとこだな。ヘマするんじゃねえぞ、その時は分かってるよな」
髭面の表情は少し和らいだ。
「わかってます。さっそくこの後戻ったら始めます」
藤田は敬語交じりの安定しない言葉で髭面に答える。
話が終わり店を出ようとした藤田を、髭面が呼び止めた。
「待て、もしかしたらおまえらの様子をボスが見に来るかもしれない。その時はボスにもこの話はするなよ。ボスは金のためならなんでもする。こんなに旨そうな話をボスが食わない訳がない」
髭面が言う。
「わかったよ、言わない。俺だって母も妹もいるんだ。なるべく危険なことは避けたいよ」
どうやら髭面はボスの座を狙っているらしい。こういう男は途轍もなく頭が切れる。
(髭面に利用されている内は命の心配はないだろう)
ボスという言葉に一瞬萎縮した藤田だったが、なんとか髭面を説得することに成功したのだ。
藤田はバーを後にすると、アパートに戻り健人の家のドアを叩いたのだった。
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