第10話 両手バニッシュ

 朝起きたらわたしの手がなくなっていた。

 右も、左も、肘から先が忽然と消えている。


 寝ぼけ眼でスマホの目覚ましを止めようとしても一向に止まらないというか何も触れないので「なんだよぉ」と誰に言うでもなく文句を言いながらよくよく見るともうなかったので、寝ているうちにどっかいったんだと思う。なんで寝てるうちに両手がどっかいくんだよー?


 仕方ないので「おかーさん、手、ないんだけどー」とお母さんを呼び、「ホント。あんたどこやったのー」「どこにもやんないし。気づいたらなかったー」「あんたいっつもそうやって何かなくす度にないない言って、後で部屋の中整理したら出てくるんだからー」「そーゆーのいーからとりあえず目覚まし止めて!」なんてマジで普通にヘアピンなくしたみたいな反応をされるのでちょっと不本意。部屋が汚いからって手はなくなんないでしょ、手は!


 その後も手がないので朝ごはんもお母さんに食べさせてもらうしかなくて、「あんたこれ、ちっちゃい頃に戻ったみたいねー」なんて、面倒なんだかちょっと楽しんでるんだかわからない感じでお母さんにヨーグルトを口に運んでもらい、でもやっぱりなんかウザいのでさっさと学校に行く。


 学校に行ったら行ったで、今度はクラスのみんなが登校してくる度に「うわ、お前手ぇないじゃん」とか言って絡んでくるのでまた少し面倒くさい。「朝起きたらなくてさー」「それってあれじゃない、むゆー病じゃない?」「手だけが?」「なんかよく知らんけど」とか適当な推理をされるのでまたちょっと不本意。なんかみんなわたしの手がなくなったことに対して危機感が足りなくない? だってこれから先もずっと両手がないとかけっこー悲惨な人生だとおもうんだけど? 的な演説を教壇に立ってぶちかましていたらやってきた先生に「あなたはそれを事故や病気で手足をなくし、それでも懸命に生きている人に向かって言えますか?」なんて悲痛な面持ちで言われ、いやっ、違っ、そういうんじゃないじゃん! 論点ずらしだ! と抗議するも先生はにべもなく「それでは朝のショートホームルームは道徳の特別授業にします」とか崇高な使命を遂行する宗教家みたいな顔で言うものだからもう救いがない。クラスメイトたちはみんな「お前が手なんかなくすから」みたいな恨みがましい目つきを向けてくるけれどマジで一個もわたしは悪くなくない? 


 ――的な本日のトピックを休み時間に立板に水、とばかりに風子相手にしゃべり倒すけれど、


「うん。てか聞いてよー、朝歩いてたらカラスのフン当たりそうになってさー。マジ萎えるんだけどー」


 なんて、予想に反してマジで淡白というかノータッチで自分のプチ不幸をひけらかしてくるので「は?」って感じ。いやカラスのフン当たるより手がなくなる方が萎えるんだけど? というかそもそも当たってないならいいだろ!


「いやいや待って? よく見て、これを」

「どれを?」

「いやこれ、手! わたし、手がないんだけど!」


 肘から先がバニッシュした両手をぶんぶんと振って全力で両手不在をアピールするも、


「いや見えない」

「いや今はないから見えないんだけど!」

「見えないものを見ようとするの?」

「見えないという現実を見て! そしてなんか言って!」

「……ないね?」

「だからないんだよ!」


 とかもう訳のわからない感じになる。え、なんでそんな冷めてるの? よく手なくす人? 部屋汚い感じ?


「友だちの手がなくなったら普通もっと驚いたり心配したりしないの?」


 あまりにもどうでも良さそうなのでまあまあ傷ついているわたしの質問に、風子はこともなげに答える。


「いや、というかまぁ、予想はしてたし」

「予想? なんの?」

「多分手がないんだろうなー、って」

「はぁ? なんで?」


 ホワイ自分でも予想外の両手バニッシュを風子が予想してるの? 預言者か?


「だってわたしが持ってるし」

「何を?」

「手を」

「わたしの?」

「うん」

「なんで?」

「朝起きたらあった。部屋に」

「はぁ?」


 と、謎だったわたしの手の行方が判明する。でもその経緯が未だに謎だが?


「え、というか返してよ。持ってるなら」

「んー、それはちょっと」

「いやなぜ渋る?」


 もともとわたしの手だけど? こいつ、両手強奪罪とかで訴えられないかな?


「いやいや、普通に返してくれないと困るんだけど? 今朝だってお母さんに朝ご飯食べさせてもらってホントキツかったんだから」

「え、何それ可愛いー」

「可愛いー、じゃないのよ。困る、つってんの」

「あ、というかじゃあお弁当は私が食べさせてあげなきゃじゃない? やった!」

「喜ぶな!」


 人の不幸を楽しみおって、こいつは!


「えー、じゃあ食べさせるのはやめるね?」

「それはそれでしょ!」

「なに、やっぱり食べさせてほしいんじゃん」

「勝ち誇った顔をするな!」


 自分じゃ食べられないんだから仕方ないのであって他意はない! と主張しつつ、微妙に満足げな風子に卵焼き、ブロッコリー、豆腐ハンバーグ、とお弁当のおかずをひょいひょいお箸で運んでもらう。


「風子は経験ないからわかんないだろうけど、手がないと結構困るんだからね!」

「実感こもってんねー」

「現在進行形で困ってるんだよこっちは!」


 呑気に拍手なんかする風子をどついてやりたいがどつくのにも手がいるのでもう本当にどうしようもないからご飯と一緒に無力感まで噛み締めることになる。文字通り手も足も出ないとはこのことですよ。いや足は出るか。おら(ローキック)。


「……ねー風子。なんでわたしの手ぇ取ったの? そんなほしかったの?」

「いや別にほしくはないけど」

「はぁ? じゃあ返せよー!」

「それはちょっと」

「さっきからなんなん、それ⁉︎」

「――あれー、まだ手ぇないの?」


 もはや軽い押し問答になってきたわたしと風子の近くをぷらっと通りかかりざまに声をかけてきたのは朝にわたしの手の消息をむゆー病なんて雑な推理で片付けた子だった。


「いやなんか風子が取ったらしいんだけど、返してくんなくて」

「あ、そうなん? じゃーあれか、今日約束してたネイルできないね」

「うわ、そうじゃん! ちょ、風子マジで放課後までに手ぇ返して!」

「お断りします」

「なんでちょっと強めの拒否になってんの!」


 むゆー病ちゃんはなんか将来美容系に進みたいとかで結構本格的にネイルの練習とかしててその練習台の座をクラスの女子たちで争奪戦しててわたしもようやく予約が取れたわけだったのだけど、手がないということはもちろん爪もないのでネイルもくそもない。


「あ、待って! 足でもいい⁉︎」

「嫌だよ! 今日体育あったし、くせーよ!」

「臭くないだろ!」

「いーや吐くね!」


 風子には手を取られるわ、むゆー病ちゃんには足くせーとか言われた上に嘔吐宣言までされるわ最悪である。


「もーきょうはマジで踏んだり蹴ったりだわ……」

「くせー足で踏んだり蹴ったりするな」

「臭くないっつってるだろ!」

「私は別に臭くても我慢できるけど」

「え、別に我慢する必要ないけど……いや待って? なんで臭い前提なのは揺るがない感じ?」


 しまいには風子まで謎の参戦の仕方をしてきて手に負えない。つーかそもそも手がない。あぁぁ言葉の綾!


「我慢とかいいから風子はとにかく手を返せ!」

「今日だけはダメ」

「あぁもう頑な!」


 何を言っても頑として首を縦に振らない風子に頭を抱える。いやまぁ抱える手はないけど! 揚げ足取りしつこいぞ!


「……あぁー、なるほどね、そういうことね」


 頭を抱えたいわたしを尻目にむゆー病ちゃんはなんかしたり顔で風子に向かって頷いていて風子も風子でなんか赤くなって俯いているけどわたしは一人だけ何もわかってなくて「そういうことってどーゆーこと?」って聞くけど風子もむゆー病ちゃんも答えてくれない。わたしのこと嫌いか?


「んじゃーネイルはなしってことで。じゃねー」


 そう言ってむゆー病ちゃんはどっか行ってしまうし、ここ数ヶ月分の予約争奪戦がパァになってしまったのでわたしは若干不機嫌になる。


「……風子のせいでネイルしてもらえなかったんだけどー」

「じゃあ今度私がしてあげよっか?」


 わたしの文句にも風子は悪びれもせずにそんなことを言う。


「風子も美容系目指してる系だっけ? ネイル得意なの?」

「ううん、全然しない」

「じゃあヘタじゃん! いいよ、いらないよ!」

「でも今は私の部屋にあるから、手。塗っておくね」

「いいいい、ホントやめて!」



 次の日朝起きたらわたしの手は元に戻っていた。

 寝ぼけ眼で一日振りの手を爪の先までしげしげと眺めると、


「……いや、マジで塗られてんだけど」


 なんかホントに慣れてない感じでムラがあったり普通に爪からはみ出してたりする残念クオリティでマニキュアが塗られていたので学校に着いて早速風子に文句を言いに行くんだけど、ヘタとかマジで最悪とか言っても風子は謎に嬉しそうで、


「じゃあこれから練習してうまくなるから、また塗らせてね?」


 とか言ってくるのでわたしももう諦めて頷くしかなくて、結局両手が消えた意味も風子が謎にネイルに目覚めた意味もわかんないままだった。

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