ありきたりな表情に

 足を止める。

 違う階段から、移動しようかと考えて、やめた。

 別に他人の揉め事に興味があったわけではない。

 だから、野次馬根性というよりは、単純に気にかかった、と言うべきか。

 進行方向からそれらが聞こえたから、というのも大きな理由だろう。

 だが、何よりも――

 

 ――聞こえた声が、知っているものだったから。


 その声の色は、困惑に濡れていて、自分が何故、今、こんなことになっているのか、という疑問に溢れていた。

 もう片方は、そんな声を一方的に攻撃するような勢いがある。


 対して、彼女の声はそれと相対するにはあまりに弱々しい。

 声が止む。

 ゆっくりと歩みを再開させると、それと同時に足音が一つ遠ざかっていくのが聞こえた。

 かくして、その先にある階段下に彼女の姿はあった。

 立ち尽くしているようで、こちらには気がついていないらしい。


 声をかけるべきか、一瞬考える。が、すぐに答えは出た。


「シュルツさん」

「ん……? ああ、紡木か」


 疲れたような笑顔で彼女は、アメリア・シュルツは返事をする。

 その顔にも、声にも覇気がない。

 原因は、先ほどの口論。相手は、暮木の言っていたサボりがちな先輩かその一派なのだろう。


「どうしたんだ、こんな時間まで校舎に残っているなんて珍しいじゃないか」

「生徒会の手伝いをしていた」

「生徒会か。とすると、門崎会長には会ったか?」

「ああ、うん。変な人だったな」

「あの人を変人扱いするのお前ぐらいだろうなぁ」


 苦笑いしながら、そう言ってシュルツさんは壁に体を預けるように、寄り掛かってこちらを見た。


「いや、備品整理手伝ったぐらいで、いらないって言ってるのにお礼の押し売りしてくるし」

「まあ、そういう人だよな」

「初対面には厳しいところ連れて行こうとするし」

「……そういう人だよな」

「仕方がないから、裸見てくれって言ったら……」

「おい待て、お前またやったのか?」


 血相を変えて、シュルツさんはジロリとこちらを睨む。

 だが、やはりその目にはいつもの鋭さがない。


「いや、今回は大丈夫なはずだ。断らせるつもりだったから」

「……なるほど?」


 首を捻りつつも、一先ず納得というようにシュルツさんは視線を緩める。


「まあ、向こうは見ようとしたんだけど」

「は?」


 しかし、即座に威圧的な雰囲気を纏い直した。背後に虎とか見えそうなぐらい怖い。顔が。

 そして、そのまま、こちらへと近づいて来る。

 動揺のあまり、呆然としているとがしりと力強く肩を掴まれる。


「シュルツさん……?」

「……」


 元々、女子にしては身長が高いシュルツさんが、平均よりも少し高いぐらいの俺に触れられる程の距離にいる、という状況に困惑する。

 顔が近いとか、それにしても綺麗な目してるなとか、ああ、でも目の隈が酷いなとか、恐らくそんなことを考えている場合じゃないのに、そんなことばかりが頭に浮かぶ。


「……見せたのか?」

「え?」

「見せたのかと聞いている」


 なぜだか分からないが、鬼気迫る様子でそう訪ねてくる


「見せていない」

「……本当か?」


 こちらの目を覗き込むようにして見るシュルツさんを、真っ直ぐに見返しながら、そう確固たる想いを、彼女に告げる。


「初対面のやつに見せるほど、俺の裸体は安くない」


 刹那、時間が止まったと錯覚するほどの緊張が、俺の体を支配する。

 俺はけして、誰にでも自分の全裸を見せたいわけではない。どうでもいい相手に、鍛えていない貧相な体を見られるのも、分身を見られるのもお断りである。

 それらを見せるということは、俺という存在の全てを相手に曝すことに、他ならないからだ。

 誰にでも、気安く見せられるようなものではないのだ。

 それをどうか、わかって欲しいと思った。


 幾秒、幾分がたっただろう。

 体にはもはや時間の感覚はない。

 息が止まりそうなほどの静寂がその場を包んでいる。


 ふと、シュルツさんの手が、俺の肩から離れる。

 それと同時に、近づいていた顔も離れてしまったことを少し残念に思いながら、彼女の言葉を待った。


「なら、いい」


 端的に告げられた許しの言葉に、一気に体が弛緩する。


「ああ。安心してくれ、俺が見せてもいいと思ったのは今のところ君だけだ」

「……」


 またしても、静寂。今度は緊張とかそういうのではない。

 これは、雰囲気をぶち壊すような発言をした時に起こるあれだ。微妙な空気、というやつである。


「お前は真面目に話が出来ないのか?」

「いや、至って真面目だが?」

「ほんと何なのお前……」


 シュルツさんはそう言うと、顔を覆ってしまった。

 俺が悪いのだろうか? 悪いのだろうな。


「……ごめん」


 そう謝罪をすると、ギロリと睨まれた。


「どうせ、何が悪いかもわかっていないくせに」


 だいたい、どうしてなのかはわかっているが、確証はなかった。


「……すまん」

「悪いと思うなら、ちゃんと何が悪いのか言ってみろ」

「誠に、申し訳ない」

「ほら、やっぱりわかっていないじゃないか」


 シュルツさんは、その後も謝る俺を責めるように、ひとしきりその様な事を言って、そして、最後は笑った。


「本当に、変なやつだ。お前は」


 不意の笑顔に呆気にとられる。

 ドラマのように夕陽が差し込んだりはしていない。場所も日も当たらない薄暗い階段下の埃臭い小さな空間だ。

 本当になんてこともない どこの誰でも出来そうなほどに普通の笑顔だ。

 だというのに、俺は言葉を失ってしまった。


「それじゃあ、私は部活に戻る。お前も用が済んだなら、早く帰るように」

「あ、ああ……」


 そうぎこちなく返事をして、どこかスッキリした顔をして去っていく彼女を見送る。


 そうして、その場に呆然と立ち尽くしながら、どうして俺は、彼女に裸を見せてもいいと思ったのだろうか、とそんなことを考えていた。

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庭で服を脱いでいたら、クラスメイトのクール系ハーフ美少女に見つかった 真裸(ぜんら) @zenraman022

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