第2話「 花岡幸人 」

幸人ゆきとはその日、会社の残業で遅くなってしまった。


会社の上司から、定時で帰ろうとした時大量の資料が渡されたのだ。


その度に幸人は「 次こそ見返してやる 」と悔しく思う。


「 帰ったぞー。 」


幸人は、玄関に入ればリビングに向かってそう叫んだ。


幸人には家族と呼べる立派な家庭を持っている。


娘の真優まゆも今はまだ幼いが、その幼さと純粋さがとても愛らしくて、残業後は真優から癒しを得ることもしょっちゅうだ。


だが、今日は少し様子がおかしかった。いくら待っても妻の晴子はるこどころか、いつも出迎えてくれる真優も、自分の元へは現れなかった。


「 …? 」


少々不思議に思いつつも、「 寝ているのだろう 」と割り切ってリビングの扉を開く。


すると、そこには何と知らない若い男と寝ている晴子の姿があったのだ。


2人の間にはちゃっかり真優も、心地よさそうに眠っている。


「 おい!!!!! 」


幸人は怒りと混乱のあまり、大声を出して3人をたたき起こした。


晴子は起きて幸人を見るなり青ざめていき、真優は状況が理解出来ていないのか、ぼんやりとした様子。


若い男は面倒そうに起き上がれば、幸人を見てニヤリと笑った。


「 おぉ、旦那さん、帰ってきたんすね? 」


晴子は慌てたように彼の背中を押す。


「 ちょっとケント…!早く帰って…!! 」


「 はぁ?お前がいていいって言ったんだろうが。 」


「 いいから!早く…っ!! 」


「 …ちっ、わーったよ。 」


ケント、と呼ばれた男は、晴子の言葉に不満げに立ち上がれば、渋々といった様子で玄関へ向かう。


幸人が男をずっと睨みつけていると、男はそれに気が付き、幸人に近寄ってきた。


顔には余裕の笑みを浮かべている。


そして幸人にそっと耳打ちをした。


「 奥さん、あんたのこと…随分嫌ってたよ? 」


その言葉に、幸人の頭にかっと血が上る。


殴り飛ばしてやろうと幸人が振り返った時、既に男はもう玄関を出てしまったあとだった。


怒りと呆れとやるせなさに、幸人は歯を食いしばる。


「 あなた…。これは、違うの。 」


晴子は弁解しようとするが、もう遅い。幸人は自分の腕を掴もうとしてくる愛妻の腕を、乱暴に振り払った。


「 何が違うんだ。 」


落ち着いた声でそう聞く。晴子は怯んだように、1歩後ろに下がった。


「 え…っ、 」


戸惑ったように幸人を見つめるその瞳に、恐怖が入り交じる。


「 俺の残業のせいか?それとも、家事をお前に任せた俺の怠惰か?育児を手伝えない俺が悪いのか? 」


幸人の言葉攻めに、晴子は泣きそうに顔を歪めた。


「 どうしてだよ、 」


俺の口から、そんな言葉が漏れる。


晴子がその問いに答えることは、無い。


「 どうして、 」


晴子の姿が遠く離れていく。


「 俺を置いて、 」


晴子はもう動かない。


「 先に逝っちまうんだ。 」


幸人は膝から崩れ落ちた。


幸人の妻・晴子と娘・真優は、晴子の不倫相手・桐生健人きりゅうけんとによって惨殺された。


ばらばら死体となった2人は、去年の6月18日に、山奥から発見されたのだ。


そして──


その日は奇しくも、幸人の誕生日だった。

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