第35話 人形と ”動き出す計画”

「……はぁ、はぁ、はぁ!」


 アスタロテの息は乱れ、段平ブロードソードの切っ先は鈍っていた。

 それでも眼光は鋭く、双眸に込められた闘志は衰えていない。

 対するディーヴァは、氷のように冷静で無表情だった。

 かれこれ小一時間あまりアスタロテはディーヴァに挑みかかっていたが、打ち倒すどころか、追随することすらできずにいた。


 ディーヴァには決して怪我をさせないようにと言い含めてある。

 手加減をされているのが明白なので、誇り高いアスタロテの心中はいかばかりか。

 疲れ切り、天と地以上に開きがある力の差を見せつけられてなお手合わせを終えないのは、彼女の騎士としての矜持だろう。


 だから俺も、アスタロテが納得するまで止めることはない。


「……どうやら受け入れるしかないようだな」


 やがてアスタロテが切っ先を下ろした。


「……確かにおまえは人間ではない。こんな人間がいてたまるものか」


 俺はアスタロテに歩み寄ると、革袋に入った水を差し出した。

 アスタロテはゴクゴクと喉を潤したあと、当惑した表情で俺を見た。


「マキシマム、おまえはこの娘の力でいったい何をしようというのだ? なんの目的があってヴェルトマーグに来た? これだけの力を得ている以上、汚名を着せられ、領地が焼かれた理由を探りに来ただけではあるまい」


 アスタロテの声には微かな戦慄があった。


「それを話すために、ここにきた。ここなら誰かに聞かれる心配がないからね」


 そして俺は、胸の中の計画を明かした。

 話を聞くにつれて、アスタロテの瞳が見開かれる。


「そ、そんなことが可能なのか?」


「可能だ」


 間髪入れずに答える。


「あくまでディーヴァがいてこその計画だけど可能だ。それどころか成功する確率はかなり高い。なぜなら――」


「相手は攻撃を受けるとは思っていない」


「そのとおり」


 アスタロテの理解に、俺は満足してうなずいた。


「奴らは自分たちが狙われているなんて露ほども思ってない。まったくの無防備だ。にするのは簡単だ」


「……」


 アスタロテは黙り込み、考え込んでいる。


「いいだろう。わたしもその計画に加わろう――いや、加えてほしい」


 若き美貌の女騎士が翠碧色エメラルドグリーンの瞳に決意を込めて俺を見た。

 アスタロテも、胸に宿す思いは同じなのだ。


「ありがとう。君が加わってくれるなら、こんなに心強いことはないよ」


「ふっ、それはお互い様だ。正直なところ、わたしもひとりでやり遂げられるか不安だったのだ。挑む相手はあまりにも強大で刺し違えることすらままならないからな」


「刺し違えはダメだよ。目的は生きて達成してこそ意味があるんだから」


「わかっている。おまえに救われた命だ。粗末にはしない」


 恥ずかしげに差し出した俺の手を、アスタロテは強く握りかえした。


「同盟の締結は済んだか? ならば計画の実行に取りかかろう。午前中の情報収集でタイベリアルを焼き討ちした部隊の指揮官が判明した。居住施設に侵入するか屋外を行動中に拉致するか――どうする、マスターナイト?」





 目の前に、頭からずだ袋を被せられた男がいた。

 気を失ったまま荒縄で、頑丈な樫の椅子に幾重にも縛り付けられている。

 ガックリと垂れた頭。

 被せられた麻袋にはの染みが出来ていた。

 俺は男の頭から袋をむしり取ると、木桶に汲んでおいた水をぶっかけた。


「――な、なんだっ!?」


 覚醒を強要された男が、突然視界に入ってきたひとりの男とふたりの女、廃屋といってもよい荒れ果てた納屋を見て狼狽する。


「だ、誰だ、おまえたちは!」


 三〇代半ばの壮年の騎士。

 そして帝国正規軍を率いてタイベリアルを焼き払った、張本人。

 一日の隊務を終えて退営する男の不意を打ち、袋詰めにして運んできたわけだが、光学偽装で姿を消せるディーヴァにしてみれば児戯にも等しい任務ミッションだった。


「おのれ! 皇帝ルシウス陛下の家臣である俺にこのような真似をして、ただで済むと思ってるのか!」


 封建制を色濃く残すこの世界では、イゼルマ帝国の正規軍といえば皇帝の直轄軍、すなわち直臣を意味する。

 汚れ仕事を押しつけられる下っ端にすぎなくても、プライドが虚勢となって滲んでいた。


「この顔を見忘れたか? 直接は知らなくても、人相書きで見覚えがあるはずだ」


「なに――」


 無表情に訊ねた俺を凝視して、すぐに男の顔が恐怖に歪んだ。


「ま、まさか、マキシマム・サーク……」


「そこまで分かれば、自分の立場が理解できるだろう」


 自分がなぜ拉致され、こんな場所に監禁されているか。

 目の前にいる俺が誰か分かれば、自分が置かれている状況が理解できるはずだ。


「馬鹿な! なぜ貴様がここにいる! 貴様はだ!」


? ではなく?」


 つまりこの男は、俺が裏切ってはいないことを知っている。

 胆力はないのだろう。

 恐怖に駆られて、勝手にボロを出していく。


「そ、それは――」


「誰に命じられた?」


 俺は短刀ダガーを抜くと、刃を男の頬に触れた。


「タイベリアルを焼くように誰に命じられた――言え」


 刃筋が煌めき、男の左耳が落ちた。


「ギャアアアアアーーーーーッッッッ!!!!!?」


 椅子ごと倒れ、噴き出した血に塗れてのたうつ男。


「叫びたければ叫ぶといい。泣き喚くのも助けを呼ぶのも自由だよ。誰にも聞こえないけどね」


 ここはヴェルトマーグの郊外にある廃農場の納屋だ。

 一番近い民家でも数キロ先で、どんなに叫んでも届きはしない。


「左耳だけじゃバランスが悪いな。両方落とすかい?」


「皇帝陛下だ! 俺は皇帝陛下から直接命じられたんだ! 勅命だったんだ!」


 眼球が飛び出さんばかりに目を見開き、男が叫んだ。


「嘘を付くな。おまえのような下っ端に皇帝が直接命じるわけがない」


「嘘じゃない! なぜかは知らんが陛下は貴様を憎んでおられた! マキシマム・サークの息の掛かったものは人、物、問わず、すべて焼き払えと厳命されたんだ! ――貴様、いったい皇帝に何をした!?」


 皇帝が……なぜそこまでマキシマムを?

 マキシマムは単なる下級騎士に過ぎない。

 属領の領主とは言えその領地は小さく、取るに足らない貧乏貴族だ。

 皇帝が即位する前の第二皇子時代を含めて、が叶ったことなど一度もない。

 憎しみも恨みも、買われようがない。


「パティは……妹のパトリシア・サークはどうなった?」


 気持ちを切り替え、質問を変える。

 考えるのは後回しだ。

 今やるべきは、情報を集めることだ。


「おまえの妹は陛下のお側にいるらしい!」


「なに?」


「陛下のお心はわからぬ! 時がきたら側女そばめにするおつもりなのか、あるいはただのお戯れか――とにかく朝夕食事を共にされ、政務以外では常に御一緒と聞く!」


 ギチリ……!


 胸の悪くなる最悪の想像に、奥歯が鳴った。


(もし指一本でもパティに触れてみろ! 八つ裂きにしてやる!)


「ソファイアやハリスラントを焼いたのも貴様か?」


 怒りに顔をドス黒くさせて押し黙った俺に代わって、アスタロテが訊ねた。


「ち、違う! 俺じゃない! 俺が派遣されたのはタイベリアルだけだ!」


「では他の四つの騎士領を焼いた者の名を聞こう」


 射貫くような眼光で詰問するアスタロテに自制心を失った男は、ベラベラと四人の同僚の名を口にした。

 理由もタイベリアル以上に不鮮明で、ただ ”裏切りへの制裁” というだけであり、とてもアスタロテが納得できるものではなかった。


「下っ端の実行犯から聞き出せるのは、これが限界だろう」


 聞き出させる限りの情報は得たと判断すると、俺は冷厳に男を見下ろした。

 最初から解き放つつもりなどない。


「た、頼む! 助けてくれ! 俺は命令されただけなんだ! 皇帝の命令なんだ! 逆らえなかったんだ! 本当は嫌だったんだ!」


「否。おまえは楽しんでいたはずだ。村を焼くとき、男を殺すとき、女を犯すとき、子供を売り払うとき、おまえは楽しんでいたはずだ」


 これまでの反応でわかっていた。

 この男はそういう男だ。

 殺人を楽しみ、強姦を楽しみ、掠奪を楽しむ。

 こいつはそういう男だ。


「糞っ! 貴様ら全員魔女に呪われろっ! 悪魔に食われちまえっ!」


 最後の蛮勇を振り絞って叫き散らすが、それもすぐに絞り尽くした。


「やめろ……やめてくれ……」


「同じことを哀願したタイベリアルの人たちに、おまえは何をした?」


 泣訴する男の胸に短刀を突き立て、ゆっくりと刃が埋まっていく苦痛と、恐怖と、異物感を味わわせる。


(そうだ、味わえ。これがタイベリアルの人たちが、最後の瞬間に味わった思いだ。意識の途絶える瞬間まで緩慢に味わうがいい)


 切っ先が心臓に達し、胸腔が血で溢れる。

 口から血の塊を噴き零しながら、男が毛細血管の切れた両眼を向ける。


「……おまえは……いったい……何をする……つも……り……」


 男の身体から力が抜けていく。

 死の痙攣が始まり、やがてそれも止まった。

 そうしてからようやく、焦点を失った瞳に告げる。


ヴェルトマーグ帝都を、燃やしてやるのさ」



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