第33話 人形と ”再会の女騎士”

「――だから賞金の前借りをしたいと言っている! その金で ”騎士の鎧” を買えば出場できるだろう! なぜこんな簡単な道理がわからないのだ! わたしは必ず優勝するのだから問題はなかろう!」


 前方から轟く怒声に、俺は強い目眩に襲われた。

 懐かしさと安堵が俺の身体から、力という力を奪い去ってしまったのだ。

 両足を踏ん張って、どうにか近くの騎士にもたれかかるのをこらえる。


(ああ、アスタ。いくらなんでもそれは無茶振りというものだよ)


 列の先頭で受付係に無理難題をふっかける美貌の女騎士を見て、俺は呆れるやら、驚くやら、可笑しいやら、ハラハラするやら、混乱一歩手前の精神状態に陥った。


 しかし事態は俺の精神状態よりも、もっとずっと深刻だった。

 なぜなら俺と同様にアスタロテ・テレシアも、今ではお尋ね者なのだから。


「レディ、ここで問答を続けいても他の者の迷惑になるだけです。状況が不利なら退しりぞくのも優れた騎士というものかと」


「むっ? 其処許そこもとには関係のない話だ。余計な口出しは遠慮願おう」


 俺に話しかけられたアスタロテは、整った眉を寄せて不興ふきょうを示した。


「まあ、こちらに。よろしければ、わたしが相談にあずかりましょう」


「おい、何をする! は、放せ!」


 アスタロテの手首をつかむと、強引に受付所から連れ出す。

 アスタロテは抵抗するが、俺は巧みに力を逸らして逃さない。

 マキシマム・サークはただのパワーファイターではない。

 体術を含むあらゆる戦闘術に秀でた、練達の戦士なのだ。


 アスタロテは自分の動きを封じた俺の手並みに驚き、興味をそそられたようだ。

 もがくのをやめて、大人しく人目のない路地裏に連れ込まれた。

 もちろんその気になれば、俺などどうとでも出来る自信があったればこそだろう。


 俺は周りに人の気配がないことを確認すると手を放し、ゆっくりと後ずさった。

 アスタロテが腰の剣に手を伸ばし、俺を睨み付ける。


「――さて、どう相談に乗ってくれるというのだ?」


「変わらないね、アスタ。元気そうで安心したよ」


「わたしはおまえにアスタなどと呼ばれる――まて、貴様! なぜわたしの名前を知っている!」


 目にも留まらぬ手練で段平ブロードソードを抜き放つと、切っ先を突き付けるアスタロテ。

 脳筋ぶりも健在だ。


「俺だよ。ソファイアの騎士、アスタロテ・テレシア」


 そろりそろりと両手を挙げつつ、両耳のイヤリングに触れた。

 光学偽装が解除されて、本来の姿が現れる。


「マキシマム・サーク!」


「シッ!」


 サッと突きつけられていた切っ先を払うと間合いを詰め、アスタロテの口を掌で覆った。

 周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。


「駄目だよ。今や俺も君も追われる身なんだから」


 俺は声を落として忠告すると、アスタロテがうなずくのを見てから掌を放した。


「おまえ……生きていたのか。わたしはてっきり死んだものかと……」


 自由になった唇から、震える声が漏れた。

 見開かれた双眸が、細かく揺れている。


「波瀾万丈の大冒険だったけどね。でもなんとか生きてる」


 微苦笑を浮かべる俺を見つめるアスタの翠碧色エメラルドの瞳に、みるみる涙が溢れ――。


「馬鹿者! 貴様、何様のつもりだ! あんな風に助けられて、わたしが喜ぶとでも思ったのか!」


 胸ぐらをつかんで、激しく詰るアスタロテ。


「……ごめん」


「謝るな、馬鹿者! おまえは全然悪くないだろうが!」


 そういうとアスタロテはうつむいて、うっ、うっ! と嗚咽おえつした。


「……アスタ」


 グイグイッ、と袖口で涙を拭うと、アスタロテが充血した目で睨んだ。


「説明しろ、マキシマム! いったい何がどうなっているのだ!?」


「わかってる。だけどこんな所で立ち話をしてたら、かえって怪しまれる。どこかに入ろう」


 もう一度イヤリングに触れて変装すると、俺はアスタロテを伴って路地裏を出た。



 結局、俺がアスタロテを連れて入ったのは ”女神の口づけ亭” だった。

 ソバカス顔の女給が人目を引く美人を連れて戻ってきた俺を見て、驚き呆れた顔をする。

 酒場の片隅の目立たない卓に着くとエールと蜂蜜酒ミードを注文し、声を潜めてあの洞窟で別れてからの話を始めた。


「……ではそのイヤリングは遺構リメインズで手に入れた遺物アーティファクトというわけか?」


「まあ、そんなとこかな。まだいくつかあるから、あとでアスタロテにもあげるよ。ここで素顔を晒すのは危険すぎる」


「そうか、それはとても助かる。それにしてもそんな大規模な遺構があの樹海の下に広がっていたとはな」


「アスタはあれから、どうやってイゼルマまで戻ってきたの?」


「わたしはおまえが洞窟から飛び出していったあと、運良くロイドと合流することができたのだ」


「ロイドが生きてたの!?」


「ああ、わたしたちを捜して森を彷徨っていたらしい」


「そうか……ロイドが。よかった」


「わたしの怪我が癒えるまで、わたしたちはあの洞窟で過ごた。ロイドは話を聞いておまえを捜しにいってくれたが、ヒューベルム兵の死体があっただけだったそうだ」


「その時にはもう地下墳墓に……遺構にいたんだよ」


「わたしが動けるようになると、ロイドとわたしはイゼルマを目指した。夜に歩き、昼に眠る生活を何ヶ月も続けたよ」


「……」


「塩の原野を渡り、大氷壁を越え、苦心惨憺くしんさんたんの末にわたしたちは故国に帰り着いた。だが、そこで目にしたものは――」


 アスタロテの表情と声が、怒りに震えた。


「なぜだ!? なぜ、わたしの故郷は――ソファイアは! 領民たちは!」


 俺はテーブルの上で打ち震えるアスタロテの拳に、自分の手を重ねた。


「俺もそれを確かめるためにヴェルトマーグにきた」


 そして彼女が帝都を訪れ闘技に出場しようとしていたのも、同じ理由からだろう。

 アスタロテはトーナメントで優勝し、皇帝を問い質す気だったのだ。

 たとえ ”騎士の鎧ナイト・メイル” を失っていたとしても、例えガバガバの計画だったとしても、彼女としてはそうするより他になかったのだ。


「ロイドはどうなったの?」


「……わからない。彼とはソファイアに入ったところで別れた。彼もハリスラントが心配だったからな。わたしも生き残った領民に出来る限りをしたあとハリスラントに向かってはみたが、会うことは叶わなかった」


「……」


(ロイド……無事でいてくれ)


「マキシマム……わたしはおまえの力を当てにしても……」


「――今帰ったぞ、マスターナイト」


 アスタロテが何かを言いかけたとき、不意に聞き慣れた声が響いた。


「誰だ、この女は?」


 ディーヴァが氷のような表情で、アスタロテを見下ろしていた。


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