第41話 外の世界


 「ではこちらが全員分の契約書です、確認してください」


 そう言って紙束を渡してみれば、ジンさんは全員分の書類があるのかを確認した後一つ頷いてみせた。

 こちらも頷き返してから、書類に一つずつ俺がサインしていく。

 奴隷の解放手続き。

 彼の縄張りに居た全員分の書類にサインが終われば、皆恐る恐る“奴隷の首輪”を外していく。

 この書類に持ち主からの奴隷解放の証が無いと、首輪が外れないのだ。

 無理やり外そうとしようものなら、立っていられない程の激痛が襲う魔術が付与されているんだとか。


 「これで、皆さんは自由です。そして働き先として、此方の村で住み込みのお仕事を頂きましたので、ちゃんと働いて下さいね?」


 微笑んでみれば、誰も彼も満面の笑みを返しながら拳を振り上げた。

 五区から脱出。

 ほとんどの者が諦めていた事態が、今日現実になった訳だ。


 「本当に世話になった、トレック。何て礼を言ったら良いのか……」


 「お礼なら追加料金を頂きましたから。それに、俺達は仕事をしただけです。ジンさんもこれから頑張ってください、皆の面倒を見るんでしょう?」


 「あぁ、せめてチビ共が大人になるまではな。それに、ラムの奴はまだあの国で働いてんだ。近くの村ってのもありがてぇよ」


 鼻を擦りながら、ジンさんはこちらに掌を差し出して来た。

 その手を掴んでみれば、いつかみたいに力強く上下に振られる。

 相変わらず、力が強い事で。


 「それでは、俺達はこれで。元気に過ごしてくださいね」


 別れの言葉を紡いでから背を向けると、急に袖を掴まれてしまった。

 振り返ってみれば、さっきまで煩いくらいに騒いでいたウィーズが俯いている。


 「せっかく自由になったんだ。走り回ってばかりいないで、お前もちゃんと仕事覚えるんだぞ?」


 「……」


 いつもなら文句の一つでも返って来そうな台詞を吐いてみた訳だが、彼女は何も答えない。

 ただただジッとしているだけで、顔を伏せたまま時折肩を揺らしている。

 何というか、本当に妹が出来たみたいだ。

 生意気で、うるさくて。

 平然と我儘を言って来るし、短い間に口喧嘩も数えきれない程した気がする。

 だというのに、ココまで懐いてくれたのだ。

 俺の弟達とは違い、どこまでも感情的で直情的。

 単純に“楽しかった”と、素直に思える経験だった。


 「今までは戦闘で稼げてたからお前が縄張りの二番手だったけど、これからは違うんだからな? 真面目に仕事教わって、しっかり――」


 「分かってるわよ!」


 急に大きな声を上げるウィーズ。

 今ではグスグスと鼻を啜る音も聞こえて来るが、相変わらず顔は上げてくれない。


 「元気でな、ウィーズ。あと、本当に盾貰っちゃって良いのか?」


 「良い、それはアンタにあげた物だから」


 左腕に付いている小盾。

 バックラーって言うんだったかな?

 こんな小さな物でも、有る無しでは随分と安心感が違うってモンだ。


 「本当に、行っちゃうの?」


 「おう、俺は旅人だからな」


 「前は商人だって言った」


 「どっちもって事だよ、分かるだろ?」


 あえて明るい雰囲気で声を掛けてみたが、彼女からは無言の返事が返って来る。

 慕われる事自体は悪い事じゃない。

 それにエレーヌさんという“魔女”を、普通に受け入れてくれる仲間の一人だ。

 だからこそ、此方としても共に居たいという気持ちが無い訳では無いが。


 「ありがとな、ウィーズ。お前に稽古つけてもらったお陰で、随分と度胸が付いた気がするよ」


 「まだ……全然弱い」


 「うっせ。“次”に会う時にはもっと強くなってるからな? 期待しておけよ?」


 その言葉を放った瞬間、彼女はバッと音がしそうな程の勢いで顔を上げた。

 あぁもう、酷い顔だ。

 元は良いというのに、涙と鼻水でグシャグシャになって。

 軽い笑い声を洩らしながら、彼女の顔面にハンカチを押し付けた。


 「だから、“またな”。一生の別れって訳じゃないんだ、また会えるさ。次に会う時には、お前も少しは“大人の女”ってヤツになっててくれよ?」


 ニカッと笑いながらウィーズの頭をガシガシと撫でてみれば、彼女の指がそっと袖から離れた。

 もう、大丈夫だろう。


 「それじゃ、また。皆元気で!」


 声を上げて馬車に飛び乗ってみれば、元五区のメンバー達からは大袈裟な程声が返って来る。

 感謝の言葉や、別れの声が。

 大したモノじゃないか。

 魔女を連れての二人旅、下手したら入国すら出来なかった俺達が。

 今ではこうして、多くの人に見送ってもらえるのだから。


 「またなトレック! また一緒に酒飲もうぜ! 今度はもう少し良い酒を用意しておくからよ!」


 叫ぶジンさんに向かって、一本の酒を投げ渡した。

 俺は商人だ。でも、“友人”へのお土産くらい無償で渡したって良いだろう。

 本人は随分驚いた顔をしていたが、すぐにニカッと笑って大きく手を振ってくれる。


 「トレック! 絶対行くから! 私もいつか旅に出るから! 東に行けば、また会えるんだよね!?」


 さっきまでの弱々しい声とは違い、幾分か元気を取り戻したらしいウィーズの声が響く。

 彼女の声に対して、親指を立てて返事をした。

 これは別れじゃない、ちょっと離れるだけだ。

 共に戦った、短くとも苦楽を共にした仲間達との、一時離れるだけなのだ。

 だからこそ。


 「またな皆! いつかまた会おう!」


 最後の言葉としては、随分と短い会話を交わしながら。

 俺達は、再び旅に出た。

 悪い国じゃなかった、何たってエレーヌさんを受け入れてくれた訳だし。

 しかし、合わなかったというのが正直な所だろうか?

 でも、良い仲間が出来た。

 これは、俺たちにとって確かな足掛かりだ。

 例え魔女を連れていても、受け入れてくれる人たちは居る。

 エレーヌさんを仲間だと言って、隣で戦ってくれる人たちも、世界にはやっぱり居るんだ。

 だったら、これからの旅が余計に楽しみになるってもんだ。


 「良かったの? トレック」


 「……何がですか」


 件の魔女様が、いつもの無表情を浮かべながら俺の肩に頭を乗せて来た。


 「“仲間”を置いて来て、よ」


 その一言に、思わずグッと目頭が熱くなった。

 エレーヌさんもまた、彼等の事を仲間と認めていた。

 もしも彼女があの場に残って生活したいと言うのなら、多分俺達もあの村に残った事だろう。

 なんたって、受け入れてくれた皆が居るのだから。

 でも、彼女は旅を続ける事に反対しなかった。

 なら、そう言うことなのだろう。


 「俺の目的は、魔女の貴女を受け入れてくれる所を探す事です。でも、貴女の目的は違うでしょう? だったら、付き合いますよ」


 「私のせいにするのね。相変わらず、性格が悪いわ」


 小さな微笑みを洩らしながら、彼女は元の場所へと戻り御者席に体重を預けた。


 「普通の生活が送れないから旅に出た。けど、今では色々と見てみたいんじゃないですか?」


 「そうね。こんな国も、こんな人達も居るんだって、驚きの連続だったわ。だから、私はもっと見たい。もっと旅がしてみたい。貴方が隣にいるなら、どこまでも行ってみたいわ」


 「そりゃまた、嬉しい御言葉ですね」


 「本心だもの、他に表現する言葉を知らないだけ」


 二人して微笑みを浮かべて、改めて東へと進んでみれば。


 「うっわぁ……相乗りする馬車、間違えたかも」


 馬車の中からは、げんなりとしたウツギさんの声が聞えて来るのであった。


 ――――


 トレック達の馬車が見えなくなるまで、皆で手を振り続けた。

 どいつもこいつも嬉しそうな、泣きそうな顔で。

 向こうからしたら調子の良いというか、美味しい所だけこちらが貰ったような依頼だったろうに。

 彼らは、嫌な顔一つせず笑顔のまま去って行った。

 まるでずっと共にあった家族の様な、自然な振る舞いで。

 しかもそいつが俺に憧れてくれたというのだ。

 剣闘士として、これ以上誉な事はないだろう。

 こう言っては何だが、アイツも随分と短い間に強くなった様に見える。

 最初はそれこそ商人って見た目だったのに、今では戦闘中隣に立っていてくれれば安心出来る程に。

 コイツなら何かやってくれると、思わず期待してしまう程に。

 わけぇヤツは成長が早いなぁ……なんて、オッサンくさい事を思いながら鼻を擦ってみれば。


 「グスッ」


 未だズビズビしているウィーズが、もう見えなくなってしまった彼等を視ながら鼻を鳴らした。

 変われば変わるもんだ。

 今まで同世代やら近い年齢の奴にはひたすら噛みついていた小娘が、誰かとの別れを惜しむ程になったのだから。


 「ウィーズ、良かったのか? お前だけは、その……なんだ。着いて行っても良かったんだぜ? アイツ等なら、連れて行ってくれたんじゃねぇか?」


 呟いてみれば、彼女はズビッと鼻を啜ってから鋭い瞳を彼等の去った方向へと向けた。

 目元をゴシゴシと拳で拭って、もう泣くのは終わりだとばかりに。


 「私だって、“縄張り”の人間よ。トップに一番近かった人間なの。だから、皆がちゃんと生きて行けると判断するまで、ココにいるわ」


 「そうかい」


 どこからどう見てもやせ我慢している少女の言葉に、ハッと笑みを浮かべながら軽い返事を返してみれば。


 「でも、それでも。平気そうだなって、ちゃんと生きていけるなって思ったその時には。旅に出ても良い? ジン」


 「おう、追っかけろ。アイツが魔女様に惚れてても関係ねぇ。それだけ想ってやれる相手が出来たんなら、追いかけるべきだ。結果が伴ってなきゃ無駄だったなんて事はねぇ。どうしても欲しいなら、お前が魔女様より良い女になってやりゃ良いだけだ」


 そう言いながらガシガシと妹分の頭を撫でてみれば、ウィーズは大人しくソレを受け入れるのであった。

 今までだったら絶対に、頭を撫でるなと反抗して来ただろうに。

 コイツも一つ、大人になったって事かねぇ。

 何てことを思いながら空を見上げる。

 五区からも見えた筈の空、本日は見事な晴天。

 だというのに。


 「外の世界で見る空は、でっけぇんだな」


 「これだけ広ければ、誰だって旅に出たくなるのかもね」


 二人して大空を見上げながら、そんな言葉を交わした。

 旅、旅かぁ。

 やっと自由になったばかりだと言うのに、アイツ等とこの空を見ている所を想像すると、いつか俺も……なんて思っちまうのは何故なのか。

 まだまだチビ共は居るし、ラムの件だってある。

 俺が全部面倒を見てやる必要なんて無いのだろうが、それでも気になってしまうのが縄張りのボスというモノで。


 「全部終わったら、俺も“東に”行ってみるかなぁ……」


 「ジンは心配性だから、納得した時にはお爺ちゃんになってるんじゃない?」


 「言ってろ、クソガキ」


 「いつまでも聞けると思わないでね? 脳筋リーダー」


 そんな会話をしながら、俺達はこれから世話になる村へと足を進めるのであった。

 さぁて、今日からは毎日仕事だ。

 力仕事に畑仕事、細かい指仕事なんかも様々だって話だから、俺だって今日からは下っ端だ。

 覚える事が数えきれねぇ程出て来そうだしな。

 だったら、気合いを入れ直さねぇと。


 「さぁて、行くぞお前ら。サボってる様な馬鹿が居たらそのケツ蹴っ飛ばすからな!」


 アホな事を言いながらも、俺達は“外”の生活を始める。

 きっと忘れることはないだろう。

 昔話では随分と恐ろしく語られている筈なのに、実際には食い意地張った魔女様と。

 ヘラヘラ笑いながらも誰よりも活躍して見せて、俺達全員を救ってくれた商人を。

 この先もずっと、アイツ等に感謝しながら生活して行く事だろう。

 だから、次に顔を合わせたその時には。


 「すっげぇ旨いモンをツマミに、酒を一緒に飲みてぇなぁ。その為にはまず、金稼ぎだ!」


 人一倍気合いを入れながら、俺は村長の家へと挨拶に向かうのであった。

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