第20話 虎の獣人


 賭け事の国。

 最初に聞いた時はあまり良い印象は受けなかった。

 しかしながら、身分や種族など関係なく受け入れるというのは嘘ではないらしく、エレーヌさんもすんなり入国出来たのは嬉しい誤算であった。

 門番は随分と驚いた表情を見せたが、次の瞬間にはニカッと笑みを浮かべ。


 「アンタ、試合に参加してみないか?」


 なんて、嬉しそうにスカウトして来たくらいだ。

 それくらいに、緩かった。

 まぁソレは良いとして、とりあえず俺達は久しぶりに大きな国に足を踏み入れる事が出来た訳だ。

 馬車は入国門近くにあった預り所にお願いし、一日いくらって感じの料金設定の下預かってもらっている。

 というのが、昨日までの出来事。

 そして今、二日目。

 久々にベッドで眠れたことにより、体の調子も絶好調。

 と、言いたかったのだが。


 「なんで毛布に体を隠しているの?」


 「男の子には色々あるんです!」


 「……馬車では普通だったのに」


 「気が抜けたら色々健康になってしまっただけですからお気になさらず!」


 「まぁ、健康になったのなら良いけど」


 些か絶好調になり過ぎた為、朝から宿屋で大声を上げてしまった。

 初めての旅とか色々悩ましい事もあり、やはり不安だったのだろう。

 馬車の中で眠る時は、エレーヌさんが近くに居てくれる事に安心すら覚えたというのに。

 いざ宿屋に訪れてみれば、別々の部屋にしようとした俺に対し。


 「お金がもったいないわ、二人部屋にしましょう」


 何てこと言い出したエレーヌさんに押し切られ、“安全”な建物内で、好きな人と“二人きり”になってしまった。

 更には、普通に着替えとかしちゃうのだこの人は。

 それはもう……それはもう、だった。

 もはや言葉にすまい。

 色々と見えちゃうし、風呂上りとかホカホカしながら帰って来るし。

 寝間着はいつか見たお高い金を払って購入したモコモコ装備だし。

 昨夜は心を完全に無にして、ベッドに潜り込んだモノだ。

 その結果、朝から俺のトレックが大変な事になってしまっているが。

 とにかく一旦下半身は無視して大きく深呼吸。


 「と、とにかく今日はもう少し買い出しと……あ、物を売りに行かないと。魔獣素材とかの買い取りしている所、宿の人に聞いてから出ましょうか」


 「あとはコロシアム、でしょ? 今日は賭けたいと言っていたものね。試合は毎日やっているみたいだし」


 「一度冷静になると、商人として賭け事にお金を突っ込むってのはどうなんですかね……いや、もう昨日の時点でエレーヌさんには頼っちゃってますけど」


 「稼がなくて良いの? お金」


 「……お金って、稼げる時に稼いでおかないと駄目ですよね。お願いします」


 という訳で、今日の予定は決定したのであった。

 賭け事に寛容な相手に、生暖かい目で見られながらお許しを貰ったような。

 そんな情けない気分になって来るのは何故なのだろうか。

 で、でもお金は大事だし。

 昨日の試合を見て、エレーヌさんが最初から勝負が見えているみたいな事言ってたし。

 この街に居る間少しでもお金を溜めておかないと、今後困るかもしれないし!

 なんだか、自分が物凄く情けない事を考えている様で落ち込んで来たんだが。


 「どうしたの? トレック」


 「なんでもないです、すみません。ごめんなさい」


 「……何を謝っているの?」


 エレーヌさんからは、非常に不思議そうな眼差しを向けられてしまうのであった。


 ――――


 「青い鎧の人、あっちが勝つわ。でも多分、すぐに決着はつけないと思う」


 「そんな事まで分かるんですか? 相手の獣人も凄く強そうですけど」


 再びコロシアムに訪れた俺達。

 そしてエレーヌさんの指示通りにお金を賭ければ、順調に財布が重くなっていく。

 なんだこれ、感覚が馬鹿になりそうなんですけど。

 何てことを考えながら、入場して来た戦士二人に視線を送ってみれば。


 「多分、何か事情があるんでしょうね。青い鎧の人は、そもそも戦う意思が見られない。でも怪我をする、負けるという不安の色も見えないわ。それに比べて、獣人の方には闘志があるわ。だというのに、“勝つ”つもりがない瞳をしてる」


 「ここから良く見えますね……って、え? ということは、これって八百長って事ですか?」


 「間違いなく、そうでしょうね」


 なんか、とんでもない事を聞いてしまった。

 これだけ大人数が大金を賭け、一つ一つの勝負に白熱した眼差しを向けている。

 だというのに、既に勝負は決まっていると彼女は語るのだ。

 実力差云々ではなく、裏の事情で。


 「どうしたの? トレック。早く賭けに行かないと間に合わなくなるわよ?」


 不思議そうにこちらを見つめるエレーヌさんだったが、先ほどの一言で高ぶっていた気分が正常に戻って来た。

 うん、やっぱり賭け事にのめり込むのは良くないよね。

 短時間で全勝して稼いだ男が言っても説得力ないけど。


 「この試合だけは、賭けたくなくなりました」


 「……そう。貴方がそう決めたなら、それで良いわ」


 客が賭けを行うまでの待ち時間、選手二人はジッと会場の両端の席で睨み合う。

 なるほど、今までは俺も賭けに走る立場だったから理解していなかったが。

 この時間、戦う人達からしたら結構長い。

 まだ始まらないのかと声を上げたくなる程、二人は静かに試合開始の声を待っていた。

 もしも、もしもだ。

 俺があの立場に立ったら、この待ち時間を耐えられるだろうか?

 試合と言っても、両者ともしっかりとした武器を握っているのだ。

 木剣や刃を潰した物ではなく、相手を殺せる武器。

 更に、観客から届く声は。

 応援してくれる様な声だけだったらまだ良い。

 でも、この耳に届いて来るのは「絶対に勝て」とか。

 「お前に大金を賭けた」だとか、「負けたら許さねぇ」などなど。

 非常に身勝手な声援が送られているのだ。

 さっきまで金を賭けていた以上、俺も同じ穴の狢だ。

 でも、これは。

 俺だったらちょっと耐えられる自信がない。

 そしてもしあの場にエレーヌさんが立っていても、多分同じだろう。

 身勝手な欲望を叫ぶ群衆、無表情で相手を睨む魔女。

 その光景に、吐き気を覚えた事だろう。

 しかも、わざと負けなければいけない試合となれば尚更。


 「エレーヌさん。あの獣人の方、本当に負けるんですか?」


 遠目で見ただけでも分かる。

 凄く身体が大きいし、獣の血を多く継いでいるのだろう。

 まるで直立する獣の様な見た目だ。

 虎の獣人。

 近くで見たらきっと、思わず息を呑んでしまいそうな程迫力のある男性。

 だというのに。


 「間違いないわ。多分、勝つ事が許されていないのよ。彼の瞳は、勝利を見ていない。敗北者の瞳だわ」


 非常に残酷な言葉を、彼女は告げるのであった。

 その会場の熱気も更に盛り上がり、いよいよ試合開始の合図が下される。

 青い鎧の人は悠々と槍を振り回し、虎の人は大剣を肩に担いだ。

 これだけ多くの人が集まる中、実力云々関係なしに。

 あの人にとっては、“負けなければいけない”試合が始まるのか。

 そう考えると、何だが胃の中がムカムカしてきた。

 フェアであるはずの場所で、胸を張って戦える筈の場所で。

 彼は、誰かの言いなりになるしかないのか。

 その姿はまるで、どこかの魔女様に重なって見えた。

 自身の意思を投げ捨て、生きる為に誰かに従う。

 痛いを痛いと言えず、ただただ誰かの望む人形になってみせるその姿は。

 俺の瞳には、随分と悲しく映るのであった。

 だから。


 「虎の人ぉぉ! 頑張って! 負けるなぁ!」


 思い切り身を乗り出して、大声を上げた。

 俺の奇行に驚いたのか、エレーヌさんは目を見開いてこちらを眺めて来たが。

 でも、俺の声に反応したのは彼女だけじゃなかった。


 「え?」


 自分でも驚いた。

 彼が、試合会場に立っている獣人が。

 此方を見ているのだ。

 勘違いかも知れない、他の誰かを見ていたのかもしれない。

 でも確かに、彼は。


 『ごめんな』


 困った顔を浮かべながら、そう口を動かした様に見えた。

 その後両者は雄叫びを上げながら戦闘を始め、会場は更に白熱していく。

 誰しも大声で叫び、勝て、殺せと叫びながら。

 周りの人たちがどちらを応援しているのかは分からないが、それでも激しい戦闘は続いていく。

 俺の目からしたら、どちらも互角に戦っている様にしか見えない。

 凄い、としか表現しようがなかった。

 馬鹿デカイ大剣を振り回す獣人は、目で追えない程速い相手の攻撃を躱し、凌ぎ。

 一瞬でも隙を見せれば懐に飛び込む。

 思わず息を呑んでしまう程、一挙手一投足が美しかった。

 これが達人の戦闘、“魅せる”為の戦い。

 いつの間にか呼吸を忘れる程に息を呑み、握った掌には力が入っている。

 戦士の戦っている姿に見惚れる、呑まれるというのは多分こういう事なのだろう。

 今まで見て来た試合の中でも一番“熱い”。

 本当に限界ギリギリの攻防戦、どちらが勝ってもおかしくない様に見える。

 だというのに。


 「そろそろよ。きっと大きな隙を見せるわ」


 エレーヌさんの声と共に、獣人の彼は大剣を手放した。

 もしもアレが演技だとするなら、彼はきっと役者か何かなのだろう。

 そんな風に思ってしまう程、自然に。

 一般人から見れば、相手の槍の打撃を受けて武器を手放してしまった様にしか見えなかった。

 でも、エレーヌさんが事前に予告したのだ。

 大きな隙を見せると。

 それは現実のモノとなり、彼はたたらを踏んで地面に伏す。

 そして、歯を食いしばりながら相手の攻撃をその身に受けた。


 「これが……八百長なんですか?」


 「そうね、間違いなく。あの獣人だったらあの程度の相手に後れを取る事は無いわ」


 「だったら……あそこまでする理由って」


 相手の槍は獣人の肩を貫き、捻じって傷を拡げている様にも見えた。

 惨たらしく傷を抉る槍使いは口元を吊り上げ、苦痛に顔を歪める獣人は悲鳴一つ上げる事無く耐えている。

 その結果。


 「そこまで! 勝者――」


 判定が下り、槍使いは彼の肩から槍を引き抜いて拳を上げた。

 これが、試合か?

 ここまでの傷を負う戦士は今までいなかった。

 しかもエレーヌさんはこれまで、相手の実力を見て勝敗を予測していた様に思える。

 だというのに、ここに来て“コレ”だ。


 「エレーヌさん、あの傷。治りますかね」


 「わからないわ。良い治癒術師なら治せるでしょうけど、私自身そういう魔術を他者から受けた事がないから。でももし、そういう術を受けないのなら。多分もう片腕はまともに使えないでしょうね」


 あぁ、なんだろう。

 一気にどん底に落された気分だ。

 差別のない国、賭け事が中心の国。

 そんなフワッとした印象だったが。

 今この瞬間、やはりココも他と変わらないのか、という印象に変わった。

 上下関係があるのは仕方ないにしろ、それを使って他者の人生を平然と搾取する。

 その現場を、今この眼で目撃してしまったのだから。

 賭け事には必ず裏がある、勝つ事が正義。

 それは理解しているが、ここまで来ると流石に。


 「帰りましょうか、エレーヌさん」


 「もう賭けは良いの?」


 「えぇ。なんか……冷めました」


 「それが良いわ。賭け事は人生を食いつぶすと聞いた事があるから」


 俺達は獣人の人が会場から運び出されたと同時に、コロシアムを後にした。

 この後も試合が行われるらしいが、正直どうでもよくなってしまった。

 結局どこの国行っても、排他される人は居る。

 こればかりは、綺麗事で片付けられない問題だ。

 それは分かっている。

 でも。


 「あんな大勢の前で、惨たらしく戦士人生を奪わせる人って……何を考えているんでしょうね」


 「さぁ、私には分からないわ。分かってしまったら、逆に問題なんじゃないかしら?」


 「それも、そうですね……」


 もう考えるは止めよう。

 どうせ少し買い出しの為に立ち寄った国なのだ。

 今後売れる物は売ったし、今までの賭けで随分と稼いだ。

 この後は少し国を見て、出ていくだけの存在。

 なら、騒いだ所でどうしようもない。

 俺達には関係のない事だ。

 まるで自分に言い聞かせるようにして、会場を後にするのであった。


 ――――


 選手の控え室。

 相手に刺された肩口の傷みに顔を顰めながら、仲間の手当てを受けていた。

 こんな時に腕の良い治癒術師でも居れば良かったのだが。

 生憎とそういう連中は皆“上”に持っていかれてしまう。

 だからこそ、古臭い治療しか出来ない訳だが。


 「すまん、これくらいしか手の施し様が無い。後は様子を見るしかないな、本当に……すまねぇ」


 「いいって。仕方ねぇ事だ」


 それだけ言って仲間の背中を叩いてみたが、そのちょっとした衝撃でも傷口はズキリと痛みやがる。

 あの槍使い……確実に俺の腕を使えない様にするつもりで刺しやがった。

 最初の話では、俺が良いタイミングで武器を手放し少し傷を負う。

 そんでもって降参するって流れだった筈なのだが……畜生め。

 はぁぁ、と大きなため息を溢していれば。


 「兄さん!」


 控え室の扉を、えらい勢いで開けて弟が飛び込んで来た。

 俺と違って頭が良くて、魔法も使えて、更には“上”にスカウトされた自慢の弟。

 そんな彼が、血相変えた様子で此方に走り寄って来る。


 「またなのか!? また三区の奴らが兄さんにおかしな依頼を――」


 「落ち着け。変な依頼じゃねぇさ、前金もたんまり貰ってる。残りの報酬は……ちゃんと払ってくれるか分からねぇが、前金だけでも結構な額だ。コレで仲間達もしばらく食っていける」


 「でもその傷じゃ! ……とにかく、治療するよ?」


 「わり、助かる」


 今しがた治療が終わったばかりの傷跡に、弟は掌を当てて治癒魔法を行使してくれた。

 弟は治癒専門の術師という訳では無いが、それでも結構に腕が立つ。

 今後腕が動かなくなるって最悪の事態は回避出来そうだ。


 「兄さん……いつまでこんな事を続けるんだい?」


 「さぁな、少なくとも仲間達を置いたまま、“五区”からは出られねぇな」


 「でもそれなら俺にだって責任が!」


 「止めろ、お前は認められたから“三区”に居るんだろうが。お前はお前の生きる道を見つけりゃ良いんだよ。それこそ、こんな国出て行っても良いんだぜ? お前の所の雇い主は、随分と優しい人なんだろ?」


 「出来る訳ないだろ……そんな事」


 グッと奥歯を噛みしめる弟の気配を感じながら、もう一度溜息を吐いてみれば。


 「なに、さっきの試合」


 えらく不機嫌そうな声が、控え室の扉の方から聞こえてくる。

 そこには、俺の妹分というか……剣を教えてやったイタチの獣人の少女が立っていた。

 茶色の髪の毛に、短い獣の耳。

 長いモコモコとした尻尾を機嫌悪そうに揺らしながら、彼女は思い切りこちらを睨んでいる。

 今年で十六、いや十七だったか?

 俺と同じ最下層に住んでいなければ、今頃男の一人や二人はいそうな見た目をしているというのに。

 第五区。

 この国の底辺で生まれたからこそ、この子は今でも俺と同じように剣を振り回して生きている。


 「あんな奴、アンタなら絶対勝てた相手でしょ!? なのに、なんで!」


 「落ち着け、これも皆を生かす為だ」


 「ヘタレ! 勝ち試合をわざと負ける大馬鹿者! お前なんか一生五区に住んでれば良いんだ!」


 大声で怒鳴り散らしながら、彼女はそのまま俺に背を向けて走って行った。


 「いいの? 兄さん」


 弟から心配そうな声が上がり、周囲の仲間達も同じような視線を向けられてしまう。

 良くはない、良くは無いが……。


 「今のアイツに走って追い付ける奴がいねぇんだよ……また飯の時にでも機嫌取るさ」


 今度は、先ほどとは違う意味で大きなため息が零れた。

 ほんと、年頃の女の子ってのは難しいもんだ。

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