第3話 怪我


 「それじゃ、今日も行ってくるね」


 本日も商談やら何やら、色々と仕事を終えた後。

 俺は軽い調子で手を振ってから、玄関の扉を押し開いた。


 「トレック……また魔女の所か?」


 険しい顔の父さんが、後ろから睨んできているのが分かる。

 まぁ、この反応も当然だろう。

 魔女と関わる商人、なんて噂が立てば周りからの信用を失う事にも繋がる。

 だからこそ両親は俺がエレーヌさんの所に行くのを反対しているし、兄弟だって俺の事を気味悪がって最近は近づいて来ないくらいだ。


 「何度も繰り返す様だが、俺はお前の為を想って言っているんだ。悪い事は言わない、もう止めろ」


 何度も、この言葉を耳にした。

 でも、止められなかった。

 家族に迷惑を掛けているのは悪いと思っているし、兄弟に距離を置かれるのも辛くないと言えば噓になる。

 しかし、彼女の姿は。

 あの夜俺達を助け出してくれた魔女の姿は。

 とにかく“美しかった”のだ。

 この世にあの人以上に美しい物は無いんじゃないかって思う程、高級な宝石や装飾品だって霞んでしまう程に。

 俺はきっと、いや間違いなく。

 あの人に憧れ、恋をした。

 世間の言う魔女の噂を耳にしても鼻で笑ってしまうくらいには、彼女の傍に居たいと思ってしまったのだ。


 「俺ももうすぐ二十歳だから、その時には出ていく約束したよね? 今だって何か言われても、俺はただの従業員だって言って良いって。取引先でも家名は名乗ってないし」


 「だからそういう事では無いと!」


 憤りを覚えた様子で、父はこちらの肩を掴んで無理矢理後ろを振り向かせてきた。

 そして、視線の先にあるのは怒っている様な、悲しそうな顔の父さん。


 「跡取りは俺じゃなくても平気だし、父さんが出した課題、もうほとんど終わってるよね? “一人でも生きていける程の、実力を持った商人になる”。その為に勉強も頑張ったし剣術も覚えた、新しい取引先を幾つも繋いだ。俺が発端となって、結構な額を生んだ筈だよ」


 「それは、確かにそうなんだが……」


 気まずそうに視線を逸らす父の手を、俺の肩からゆっくりと外してから。


 「ごめんね、父さん。我儘ばっかり言って……迷惑かけてるのも分かってる、本当に親不孝者だと思うよ。でも俺は、あの人の近くに居たい。皆が言う様な“悪い存在”じゃないからこそ、傍に居たいんだよ。それに、彼女には父さんと母さんだって恩が有るんだよ?」


 ズルいとは思うが、最後の一点だけはどうしたって思う所があるのか。

 コレを言葉にすれば、父さんは押し黙ってしまう。

 あの日、助けられたのは俺だけじゃない。

 恩人に対しては、損得以外の感情で接する事。

 そう教えてくれたのは、紛れもなく父さんなのだから。


 「しかし、相手は……」


 「分かってる、エレーヌさんは“魔女”だ。でも、だからこそ。父さん達の分まで俺が恩返ししたいんだよ」


 それだけ言って、俺は再び正面に向き直った。

 いくら周りに白い目を向けられようと、この街で生活に困る事になろうと。

 俺はあの人の支えになりたい。

 こんな事、本人に言ったら「今すぐ止めろ」とか言われてしまいそうだが。

 でも、助けられたあの日以降。

 度々彼女の様子を見に行ってみれば、とてもじゃないがお礼だけ伝えて放置して良い存在とは思えなかったのだ。

 街の人には腫物扱い、何とか食い下がって買える物は安い保存食か状態の悪いモノばかり。

 戦闘でボロボロになって帰って来る事もあったのに、彼女は表情一つ変えずそんな粗悪品を口に運んでいるのだ。

 あんなの、見ている方が辛い。

 だからこそ、俺があの人に「美味しい」と言わせてやろうと思ったのだ。


 「贅沢とは、“普通”の生活が当たり前に送れる人間に許された娯楽であり、我々商人はそんな彼等からこそ金を取るのが仕事である。善人になるな、弱者を切り捨てる判断が出来ない者は商人にはなれない。だったよね?」


 「あぁ……そう教えたな」


 「なら、俺に商人は向かないよ。“普通”の生活を送れていない彼女を、どうしても切り捨てる判断が出来ないんだから」


 過去にその決断をしてから、俺は家名を名乗る事を止めた。

 俺の行動が噂になって、家族に迷惑が掛からない様に。

 仕事でも、父さんに雇われた従業員という形で商談を進めた。


 「ここまで育ててくれた事に本当に感謝してる、父さん。もっと若い内に家を飛び出しそうになった俺を、二十歳まで置いてくれるって言ってくれた事にも感謝してる。でも、もうすぐ出ていく。俺は、商人にはなれそうにないや」


 「……馬鹿息子め」


 「ほんと、その通りだね」


 それだけ言って、振り返る事無く家を飛び出した。

 あと数日はお世話になる家。

 だからこそ、あまり重い空気にはしたくなかったのだが。

 こればかりは、仕方がないのだろう。

 俺が我儘な決断をしてしまっているのだから。


 「それでも、あの人を放っておけってのは……やっぱり無理だよ、父さん」


 初恋の相手であり、俺の作った料理を本当に美味しそうに食べてくれる彼女を見る度。

 どうしたって思ってしまうのだ。

 “無情”だと謳われる彼女が、子供みたいな顔をしながら喜んでくれるなら。

 俺はこれからも、あの人の為にご飯を作ってあげたいのだ。


 ――――


 「はぁ……」


 ボロボロになったローブを体に巻き付け、フードを深くかぶったまま帰路を進んで行く。

 今回は、結構キツかった。

 国から直々に貰った討伐依頼だったらか、大変なのは当たり前なのかもしれないが。

 思わずため息を溢してしまう程、被害を受けてしまったのだ。

 今着ている服はボロ布の様になっているし、姿を隠すのに気に入っていたローブも……明日から使えないだろう。

 どうしたものか。

 私は服屋にだって気軽に足が運べないというのに。

 お祭りなんかの機会を見計らって、露店で服が安く売りだされるのを待つか?

 いや、そういう訳にもいかないだろう。

 仕事の為の戦闘着は絶対に必要だし、次のお祭りが開催されるのは随分と後の事だ。

 そもそも街に出るのにだって服がいる。

 このボロ雑巾みたいになってしまった服のまま出かける訳にもいかないし、部屋着のままウロウロする訳にもいかないだろう。

 現在も“無情の魔女”なんて言われる存在なのに、翌日からズボラの魔女とか呼ばれてしまうかも知れない。

 流石にソレは恥ずかしいので、どうにか手を打ちたい所ではあるのだが……。

 とか何とか考えながら、我が家に到着してみれば。

 なんか居た。

 というか、今日も居た。


 「貴方は……何度言ったら分かるの? ここへは来るべきじゃない。貴方自身に悪い噂が立つわ。それに魔女と一緒に居るとその身に不幸が――」


 「どうしたんですかその傷!」


 いつも通り庭先で料理していたトレックが、大声を上げながら此方に走り寄って来た。

 普段ならヘラヘラ笑いながら出迎えてくれる彼だったが、今日の状態ではそうもいかなかったらしい。


 「別に、大した事無いわ。それより話を聞きなさい」


 「大した事ない訳ないじゃないですか! 全身ボロボロですよ!? 早く治療します! 家の鍵開けて下さい!」


 「……普段から鍵は掛けていないわ」


 「鍵は掛けて下さい!」


 物凄く怒りながら私の手首を掴み、ズンズンと我が家に向かって突き進んでいくトレック。

 今日は珍しく、感情の上下が激しい様だ。

 呆気に取られて、彼に従ってしまった訳だが。


 「トレック、待ちなさい」


 「駄目です! 治療が最優先です!」


 いつもの雰囲気は何処へ行ったのか。

 彼は怒鳴りつける様にしながら、有無を言わさず私を引っ張っていく。


 「庭先の焚火、消さないと火事になるわ」


 「……あぁもう! ちょっと待っていて下さい!」


 えらくプリプリと怒った彼は、炎に向けて準備してあったらしい砂と水をぶっ掛けた。

 鉄板の上にあったお肉の事など気にせず、盛大にバシャッと。

 あぁ……勿体ない。

 とかなんとか思っている内に戻って来た彼に再び手首を掴まれ。


 「ホラ早く治療しますよ!」


 「……お肉」


 「鉄板に乗った肉より自分の肉を心配して下さい!」


 なんか今、凄い事言われた気がする。


 ――――


 大慌てでエレーヌさんのお宅へとお邪魔してから、とりあえず目についたソファに座らせた。


 「とにかく傷を見せて下さい!」


 「ないわ」


 「これだけ服がボロボロなのに無い訳ないでしょうが! 馬鹿な事言ってないで脱いでください!」


 未だ無表情を貫く彼女に怒鳴り声を上げてから、腰に付けたバックから色々と治療道具を取り出してく。

 “マジックバッグ”。

 魔法の付与が施された、見た目以上に物が収納できる魔道具。

 俺が持っている物はそこまで大量の物品が入る訳ではないが、商人にとっての必須道具だと言って父から借りている。

 そして各地に足を伸ばすような商売をしているウチの家系では、治療道具なんかは普段から携帯する様言いつけられていた。

 何があっても応急処置くらいは出来るようにと、どんな時でもバッグの中身から除外する事は許されなかった程。


 「本当に、ないわよ?」


 ポツリと呟いた彼女は、呆れた雰囲気でボロボロのローブを脱ぎ捨て、両手を拡げて此方に身体を見せつけて来る。

 上着を脱いだところで下の服も随分とボロボロな上、かなり血の跡が残っているのだが。


 「意外と心配性なのね。ホラ、無いでしょう?」


 えらく緩い声を上げながら、彼女は破れた服をたくし上げて見せた。


 「……え?」


 確かに、彼女の言う通り傷は見当たらない。

 服は血で汚れているし、肌にも血が付いている。

 だというのに、肝心な傷跡が見当たらないのだ。


 「ど、どういうことですか? これ全部返り血とか?」


 「そんな訳ないでしょう」


 「じゃぁ傷口はどこ行ったんですか!?」


 「治ったのよ」


 「はい?」


 傷が治るまでの長い間、ずっとこの姿でいた訳でもあるまいし。

 そんな事あり得ない筈なのだが……。

 試しに肌に付いた血を指で擦ってみれば、少しだけヌルッとした感触が返って来る。

 まだ乾ききっていない、つまり古いモノではないのは確かだ。

 だというのに、いくら付着した血液を手で拭ってみても傷がない。

 コレは、どういう事だ?


 「魔女と言われる理由の一つよ」


 「と、いいますと?」


 「私は魔女の癖に魔法が苦手なの。でも、傷が治るのが異常に早い。それこそ、戦いながらでも傷を癒し続けるくらいに。首でも飛ばされない限り、翌日には完治していると思うわ。怪我をした分魔力は食われるけど」


 自分の事なのに、まるで興味がないといった雰囲気で淡々と語るエレーヌさん。

 そんな彼女が、俺の事を“見下ろして”いた。

 とにかくこの人が無事なのも、治療する必要が無い事も分かった。

 良かった、と安堵の息を溢して終われれば良かったのだが。


 「もういいかしら? さっきからくすぐったいわ」


 「ご、ごめんなさい!」


 叫んでから、思い切り飛び退いてしまった。

 彼女は服をたくし上げ、俺に真っ白なお腹を見せていたのだ。

 気が動転して傷口を探す事ばかりに気を取られていたが、俺はエレーヌさんのお腹を撫でまわしていたらしい。

 普段ワンピースとかスカートとか着る人じゃなくて良かった。

 そんな物をたくし上げられていたら、視覚的にとんでもない事になっていただろう。

 とはいえ、ボロボロの姿でお腹を晒されている今の状況も結構なものだが。


 「すみません! わざとじゃないんです!」


 思わず両手を振り回しながら謝罪してみるが、彼女は不思議そうに首を傾げながら服を元に戻した。

 戻したは良いが、ボロボロ過ぎて色んなモノが見えている気がするんだが。


 「とりあえず、その。着替えて来て下さい。目のやり場に困りますので……」


 「魔女の肌でも興奮するものなの?」


 「今は魔女とかそう言うのどうでも良いですから着替えて来て下さい!」


 視線を逸らしながら叫んでみたものの、何故か彼女が動く気配がしない。

 どうしたものかとチラッとだけ視線を戻してみれば。


 「困った事に、コレ以外には寝間着くらいしかないのよ」


 「どれだけその服着まわしているんですか!」


 「他にもあったんだけど、最近駄目にしたの」


 訳の分からない事を言いながら、ボロ布と化している服を引っ張って溜息を吐いているエレーヌさん。


 「もう寝間着でも何でも良いですから着替えて来て下さい! 色んな所から肌が見えてます!」


 「……先にお風呂入って良い? 全身血みどろ」


 「どうぞぉ!?」


 おかしいな、家を出るまでは結構ココに来ること自体がどうとか、家族と重苦しい雰囲気があったのに。

 今では鈍感な上にズボラで色々気にしな過ぎる女性に対してオロオロしてしまった。

 やっぱり、この人放っておくべきじゃないと思うんだ。

 何て事を思いながらお風呂場に向かう彼女に視線を向けた瞬間、すぐさまバッと顔ごと逸らした。


 「その服はもう捨てた方が良いと思います」


 「どうして? コレ以外無いわ」


 「……明日俺が買って来ますから、どうか捨てて下さい」


 彼女のズボン、お尻の部分が盛大に破けているのだ。

 今まではローブを羽織っていたから分からなかったが、今では真っ黒いズボンから肌着がこんにちはしている。

 アレは駄目だ。

 あんなのを着て人前に出せるわけがない。


 「……わかった」


 偉く不満そうな声で呟くエレーヌさんだったが、今回ばかりは絶対に言う事を聞いてもらおう。


 「お風呂に入っている内にご飯作りますから、明日服も買って来ますから。とりえず、お風呂どうぞ」


 「お金はいつか返す。あと、お肉が食べたい」


 「了解です、わかりましたから早くお風呂に入って来て下さい」


 とにかく言葉を紡ぎながら彼女をリビングから追い出し、静かになった部屋の中で思い切り溜息を吐いた。

 なんだか、無性に疲れた気がする。


 「普段真っ黒い服ばっかり着るのに……ピンク……」


 忘れろ、忘れろ俺。

 自らの顔面に拳をぶち込んでから、再び庭先に飛び出し料理を始めるのであった。

 俺は何も見なかった、良いな? 見なかったんだ。

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