第20話 花の魔女の焦心苦慮・9
ごそり、と奥の部屋から物音が聞こえて、皆の意識がそちらへ向く。するとシェリーが一度首を垂れ、寝室へと引っ込んで行った。
軽い会話、身支度を整える物音が聞こえる事しばしが経ち、それから程なくしてシェリーを伴ったリーファが部屋へと入ってきた。
「お待たせしましたー」
物理的な遠出を微塵も感じさせない気安さで部屋を一通り見回したリーファは、アランに声をかけてくる。
「今、どんな感じですか?」
「丁度話が終わった所だ。そちらは?」
「大分ごねられましたけど、こちらが持っていた魂百
リーファは安堵に顔を綻ばせながら腕を上げ、宝珠がはめ込まれた籠手を具現化させた。宝珠からぼんやりと白く発光するものが顔を出す。
「しれっと魂を貨幣扱いか。いや、この場合物々交換か…?」
「アタシの残留思念もまだまだ捨てたもんじゃないねえ」
アランの呆れとターフェアイトの満面の笑みに見守られ、残留思念はパン生地のように膨らんで行く。宝珠から出切ってリーファの両手に収まったそれは、おばけカボチャを彷彿とさせるサイズとなっていた。
最初は興味深く観察していたカールだったが、さすがに顔が引き攣っている。
「こ、この大きさは、もはや残留思念とは呼べないのでは…?」
「そうですね。普通の魂一位分よりもずっと力はあると思います。ここまで大きいと、広義の意味で精霊に近いでしょう。
ネックレスじゃなくて何か
「師匠に…乗っ取られる…!?」
カールはこの残留思念がもたらす可能性に声を荒げていた。しかし、頬を赤く染め鼻息を荒くする彼からは、畏怖や驚愕は感じられない。
アランは、カールの面持ちから狂喜を
「とても喜んでいるようだが」
「何がそんなに嬉しいんでしょうねえ…?」
「やんないよ、そんなメンドイ事。逆に取り込まれちまう」
ターフェアイトがさらっとしたぼやきを、リーファは聞き逃さなかった。ぎょっとした様子で彼女を見やる。
「え、そうなの?」
「相性が悪いんだろう。何度か試したけど、カールの我が強過ぎて意識を乗っ取られかけるんだよ。自分の声で自分の意図しない事言わされるのは、結構くるものがあるんだよねぇ…」
「そ、そんな事あるんだ…」
物憂げに溜息を吐くターフェアイトを見て、それがでまかせではないのだとリーファは悟ったようだ。くしゃりと顔を歪めているリーファの手の中で、残留思念も怯えるように震えている。
「ふ、つまりは師を想うオレの愛の力というやつだな」
「………愛、怖いな………」
どこか誇らしげに鼻を鳴らしたカールを横目に、アランはうんざりと呟いた。残留思念の意志すら捻じ曲げてしまう感情を”愛”と呼びたくないが、こればかりはカールとターフェアイトの問題だ。ターフェアイトが納得して側に居る以上、アランが口を挟むべきではない。
「と、とりあえず持ってきたのと一緒にさせてみますね…」
若干引いていたリーファだったが、交渉の成果を宙ぶらりんにする訳にもいかない。カールの肩にいるターフェアイトに、残留思念をそっと近づけた。
ターフェアイトは、パン生地のような残留思念に飲み込まれるように一つになった。リーファが手を離すとそれは床に落ち、うねりながら形を縦に伸ばしていく。
身の丈は、標準的なビスクドール程度はあるだろうか。濃鼠色の豊かな髪の幾房かは青紫色に染めており、アメジストに似た瞳は艶めかしい光が揺らめいている。
余裕があれば服装もアレンジできるのだろう。グラマラスな体を強調するかのような赤紫色のスリット入りタイトドレスは、胸元やスカートの裾に金糸の刺繍が施されており華やかだ。首に下がったビブネックレスは中央にピンクダイヤモンドが飾られており、どことなくラッフレナンドの国宝”星々の微笑”を彷彿とさせる。
「結構大きくなったね。私の具現化がなくても、形作れてるようだけど…どう、具合は?」
腰を下ろしたリーファに覗き込まれるも、ターフェアイトはしっとりとした吐息を零すだけだ。その質感を確かめるように、頭、頬、首、胸、腰へ手を這わせている。
(………目に毒だな………)
大魔女が醸し出すその淫靡な雰囲気に、アランは堪らず目を逸らした。この場がアランとカールだけならば多少は楽しむ気持ちも生まれるが、側にはリーファもシェリーもいるのだ。リーファの真顔からは何も感じ取れないが、シェリーからは明らかな苛立ちが読み取れた為、何とも気まずかった。
無言で待つ事しばしが経ち、ターフェアイトはやおらその場にしゃがみこんだ。頭を抱えて震えだす。
「………ディエゴに齧られてる感覚が頭に残ってて気持ち悪い…っ」
どうやら快楽に酔いしれていたのではなく、自分の体がちゃんと形作られているか確認していただけらしい。
大魔女が怯える様に心当たりがあったリーファは、頬に手を当てて唸り声を上げた。
「あー………もしかしてディエゴさんのサイスって牙なのかな?グリムリーパーの恐怖植え付けられて、こっちに来ちゃったのね…」
「大丈夫?後ろ頭から脳みそ飛び出てない?背骨突き出てない?尻抉れてない??」
「ないない。師匠ご自慢のえろてっくばでぃでちゃんと具現化出来てるよ。恐怖心は一時的なものみたいだから、ゆっくり慣れていって」
「ううぅぅうぅ…っ」
リーファに
「おのれ…師匠を齧るなど………なんて、なんて、羨ましい事を…っ。オレだって師匠を味わいたいのに…!」
そんな彼女の後ろに腰を下ろしたカールが、握り拳を作って
しかし乞うた本人がこの有様では、望みを叶えた甲斐がない。ターフェアイトは、カールのあんまりな態度に肩を落としてしまった。
「………ねえリーファ。齧るやつと舐め回すやつ、どっちがマシかねぇ…?」
「私は、どっちも嫌だなぁ…」
「…真っ当に生きてきたつもりはなかったけどさぁ。まさか死後に弟子の欲に使い潰されるなんてねぇ。これが地獄ってやつかぁ…」
「地獄にしてはマシな方じゃない?償う気があるなら、カールさんが道踏み外さないように付き合ってあげて。
カールさんが師匠を必要としなくなった時は、痛くないようにちゃんと送ってあげるからね」
ターフェアイトの小さな肩を慰めるように軽く撫で、リーファは腰を上げた。アランに向き直り、声をかけてくる。
「あの、アラン様」
「うん?」
「こうして師匠を頼ったのは、例の魔女騒ぎの一環…ですよね?
私も色々と考えたんですけど、ずっと引きこもってるのもどうかと思ってて…。
体がこんななので大した事は出来ませんけど、皆さんへの釈明が必要でしたらいつでも言って下さいね。
………私だって城下にいたら、同じように不安になるでしょうから………」
申し訳なさそうに
(出掛けついでに城下の様子を見てきてしまったか…)
アランは、出掛けていたリーファが何を見聞きしたのかを察してしまった。
自発的に大人しくしているリーファだが、騒ぎとなっている城下の様子は気になっていたのだろう。グリムリーパー・ディエゴの下へ行く話は、リーファにとっても都合が良かったのだ。
そして示威運動こそは禁じたが、城下の雰囲気までは平時に戻るはずはない。
グリムリーパーのリーファの耳は、城に居座る魔女の悪評を聞き取ってしまったのだ。
アランは立ち上がり、しゅんとしているリーファを優しく抱き寄せる。髪に顔を埋めてすり寄せ、小さな体が纏う不安が少しでも払い落とせればと背中を撫でる。
「民はほんの少し誤解しているだけなのだ。多少時間はかかろうが、必ず解ける誤解だ。全ては私に任せ、お前はただ心穏やかに吉報を待て」
「で、でも…」
「リーファ、たまには私に格好をつけさせてくれ」
はぐらかそうと冗談めかして言ってみた戯言だったが。
「………アラン様は、いつも格好いいですよ?」
きょとんと首を傾げ言われた言葉に、アランは頭を殴られた気がした。
軽く笑われると想像していたものだから、その純度百パーセント、混じりっけ無しの褒め言葉は完全に不意打ちだった。
(全く………!お前は、また、そうやって…!私を、喜ばせる…っ!)
目的を見失い諸手を上げて歓喜したい感情は、己のプライドでギリギリ押し留めた。アランは緩みそうになった唇を引き締め、どうにか余裕がある大人の笑みに作り替える。
「ふ、私の真の格好良さはこんなものではないのだ。楽しみに待つといい。やがてお前は私の格好良さの目の当たりにして『ぎゃふん』と言う。賭けてもいい」
「………『ぎゃふん』?………むきゅ」
謎過ぎる予言にリーファはより一層不安そうな顔をしていたが、アランはそんな彼女を腕の中に仕舞い込んだ。大きい胸板で視界を遮られたリーファは息苦しそうに藻掻いているが、手加減してやる余裕はちょっとない。アランの喜びで
「全く…側女殿は趣味が悪過ぎる…」
「あんたが人の事言えた口かい」
アランがリーファを構い倒す中、抱きかかえて頬ずりをしてくるカールをターフェアイトはげんなりした表情で受け入れていたのだった。
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