第14話 花の魔女の焦心苦慮・3
「失礼致します」
それから程なく、メイド長シェリーが正妃の部屋へ入室してきた。
手には木製のジュエリートレイがあり、ワインレッド色のベルベッド生地の上にアメジストのネックレスが美しく飾られている。洗った上で丁寧に磨いたのだろう。やや黒いくすみを帯びていたチェーンが美しい銀の光沢を広げている。
「お待たせ致しました。アクセサリーをお持ちしました」
「ありがとうございました。カールさんにつけてあげて下さい」
「かしこまりました」
リーファに一礼したシェリーは、その足でカールへ近づいた。カールの側のサイドテーブルにジュエリートレイを置くと、ネックレスを手に取ってカールの後ろへ回り込む。
「後ろから失礼致します」
「あ、えっと…ありがとうございます………」
珍しくそわそわしているカールの後ろで涼やかに笑んだシェリーは、手際よくネックレスを留めた。最後にカールの正面に立ち、位置を調整してあげる。
再び一礼したシェリーがトレイを手に下がった所で、アランはリーファに目配せをした。リーファが黙したまま微笑みを返すと、彼女はカールに目をくれる。
魔術のように特定の動作をする必要はないのだろう。カールのネックレスがぼんやりと淡い光を放ち、ぽん、と飛び出してカールの膝に着地した。光は色と形を変え、
リーファとカールの魔術の師であり、ラッフレナンド国の前身である魔術師王国の中核を担っていた大魔女、ターフェアイトだ。
(…少し、縮んだか?)
アランが最後に見たのは昨年末。魔術披露のゴタゴタの最中だったはずだ。あの頃は手のひらよりも少し大きい程度だったと記憶しているが、目前のそれは二回りほど小さい。
具現化が完了して、ターフェアイトは両手を上げて、ぐい、と背を伸ばした。小柄な割には豊かな双丘が、ぽいん、と胴の上で揺れている。
「んあー、さっぱりしたー………よだれまみれにされた時はどうなるかと思ったけど、洗ってくれるわ磨いてくれるわで至れり尽くせりだったわ」
「そんな!?師匠、オレの手入れじゃ不満だと言うのか?!」
「痛くないからってガシガシ擦れば喜ぶと思ってんじゃないよ。もっとテク磨きな」
アクセサリーの手入れの話をしているはずだが、これが痴話に聞こえるから不思議だ。こうした逢瀬は久々なのだろうが、別の機会にやってくれと言いたくなる。
そこへシェリーが近づいてきた。手に持ったトレイには、ハンカチーフよりも小振りな赤紫色の布切れが畳まれている。
「失礼致します。こちら、宝石用の磨き布となります。どうぞお使い下さい。
それと、差し出がましい事ですが………アメジストは石鹸水を溶いたぬるま湯で優しく洗い、水気を丁寧に拭きとると劣化しにくいかと。シルバーのチェーンは、重曹を水で練ってすり込むとくすみが取れますの。お試し下さいませ」
「おっ、ありがたいねえ」
「お、おおお、お心遣い、痛み入ります…っ」
シェリーの細やかな気遣いに、カールは冷や汗を額からたらたら零して磨き布を受け取っている。アランに見せる鉄面皮や、リーファに向ける面映ゆげな表情とも違う、初々しく動揺した姿だ。妙齢の美女二人に囲まれれば、さすがのカールもああなってしまうらしい。
「あー………そろそろ、いいか?」
取り乱しているカールをもう少し見ていたい気もしたが、残念な事にアランも暇ではない。遠慮がちに声をかけると、ターフェアイトは呑気に、カールはいつもの不満顔でこちらを見てきた。
ターフェアイトが顎を上げれば、心得た様子でカールが膝に手のひらを置く。その上へ彼女が乗るとカールはすくい上げ、彼女を左肩の上へと移した。
そこが定位置なのだろう。優雅に腰を下ろしたターフェアイトは、深く入ったスリットからの美脚を見せびらかすように足を組み、嫣然とアランに微笑んだ。
「ああ、いいよ。何だい?聞きたい事って」
「ここから西にある遺跡について、そちらが知っている情報を提供して欲しい」
アランが単刀直入に切り込むと、ターフェアイトは目を細めて口の端を吊り上げる。どことなく質問を予想していたかのようだ。
ターフェアイトは問いに答える前に、リーファの方へと首を向けた。
「………ねえねえリーファ。これってアタシにメリットある話?」
「残留思念の癖に何言ってるの?つべこべ言わずにキリキリ話して」
相変わらず、師に対してリーファの反応は辛辣だ。全盛期のターフェアイトならまだしも、今はグリムリーパーの管理下である残留思念なのだ。舐められてはいけない───そんな気持ちがあるのだろう。
だが、アランは無理は強いたくない。
「リーファ、そう邪険にしてやるな。───一応聞いておこう。何が望みだ?」
試しに訊ねると、ターフェアイトはにんまりと微笑んだ。不満そうに唇を尖らせたリーファを意地悪な笑顔で一瞥し、アランに向き直る。
「話が早くて助かるよ。
見ての通り、最近この体が縮んできちまってねぇ。弟子達に構い過ぎたんだろう。思念の会話も、やりにくくなってきてるんだ」
ターフェアイトの変化は、アランの気の所為ではなかったらしい。理解を込めてとりあえず首肯しておく。
「アタシは、そろそろお
「そんな酷い事、言わないでくれ…!」
その真横で明確にシュンとしているカールに目をくれて、ターフェアイトは満更でもなさそうに笑った。
「って、いつまでも師匠離れ出来ない馬鹿弟子が言うもんでさ。これ何とかなんないのかなって」
「………何とか…なるものなのか?」
アランにとっては完全に門外漢の要望だ。というよりはリーファに向けられた要件なのだと気付き、アランは彼女に話を振った。
こうなる事は分かっていたのだろう。腕を組むリーファの表情は渋い。
「何とか…っていうと。師匠の事を全部忘れるように、カールさんの記憶をいじればいいの?」
「そ、側女殿ぉ?!」
「アタシはそれでもいいんだけど」
「師匠ぅ?!」
よりによって最悪の選択肢を提示してくるリーファとあっさり応じようとするターフェアイトに、カールは非難めいた絶叫を上げた。
「ふっははは。冗談だよ。んじゃ、それ以外の方法で頼むわ」
「酷い…酷すぎるぅ…!」
可愛いから苛めてしまう、というやつなのだろうか。さめざめと泣き始めたカールの頬を撫で、苛めた張本人であるターフェアイトが上機嫌で慰めている。
一方リーファはというと、苦々しい表情を崩してはいない。先の言は冗談でも何でもない、という事なのだろう。
「うーん………残留思念に振り回されている今の状態、私はあまり良いとは思えないんだけどなぁ…。まあカールさんの場合、師匠の記憶を無理に消すと廃人になりかねないし、仕方がないかぁ…」
「………何か、側女殿が恐ろしい事を言っているように聞こえるのですが」
「心配するな、私も怖い」
鼻をすするカールの不安に同調して、アランもつい顔が渋くなった。リーファは、アランの中のリーファ自身の記憶を消そうと考えていたらしいから、同じ事を実行されたら生きる屍になってしまう可能性はある。
リーファはしばし唸り声を上げて、気が進まない様子で一つの案を出してきた。
「………前にディエゴさんに会った時、まだ師匠の魂は持っていたのよね。ちょっとずつ
「アタシの魂、乾物扱い?!」
自分の本体というべき存在のあんまりな扱いに、ターフェアイトは愕然としていた。カールなんて、顔を青くして気絶しそうになっている。
「『食べ飽きてきた』って言ってたから、少し
「しかも飽きられてるぅ…」
「人の心は───ないのか。グリムリーパーだしな」
リーファに追い打ちをかけられて落ち込んでいるターフェアイトを見やり、アランは呆れながらも膝を打つ。ディエゴというグリムリーパーはアランも会った事はないが、赤毛の狼の姿と聞いているから何となく
「いつラダマス様の下へ送られないとも限りません。居場所は大体分かりますし、今からぱっと行って貰って来ましょうか?」
リーファの提案に、アランは逡巡する。彼女は一人で出掛けさせると何かしらの厄介事に巻き込まれるので、出来れば一人で行かせたくないのだ。
とは言え、城の者を伴いグリムリーパーの下へ向かわせるとなると、人員も時間もかかりすぎる。さすがにそこまでは待っていられない。
「…そうだな。上等兵ではないが、まだ我々にはターフェアイトの知識が必要だ。
但し、くれぐれも気を付けて行くように。余計な騒動に巻き込まれる前に帰って来い。お前が守るべき優先順位を間違えるなよ」
「信用ないですね………でも、はい。分かっています。今日はすぐに帰ります、必ず」
アランの念の押しようにリーファは苦笑いを浮かべていたが、信用の無さはさすがに自覚しているようだ。重ねて応え、リーファは席を立った。
アランが手を差し出せば、リーファはソファの前で頭を垂れ、アランの手に取って甲に敬愛のキスを落とす。
そしてリーファは、カールの側にいるターフェアイトに近づいた。
「師匠。カールさんに、私とグリムリーパーの事を話しておいてくれない?」
「…あん?いいの?」
「えっと、うん。多分、大丈夫、と思う、から」
困惑しているカールをチラ見して、リーファは
カールの人となりは信用している。口外も悪用される心配もしていない。しかし彼がリーファの事情を受け止めきれるかは若干不安がある───リーファの曖昧な返事には、そんな思惑が込められていた。
リーファがターフェアイトに手をかざすと、人形のような体躯に白い光が帯び始める。やがてそれは膨張し、シャボン玉のような半透明の玉に変じていった。
「私の魔力で包んでみたけど………多分これで、私が離れても少しの間なら具現化は続くはず。なるべく早く帰ってくるから。───行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
そしてもう一度アランに頭を下げ、リーファはこの部屋に隣接している寝室へと歩いて行った。
「い、行ってらっしゃい?いやでもそっちは寝室のはず…あ、あの」
「うるさいねえ。ちゃんと話してやるからとりま黙ってな」
「あ、はい…」
カールだけ話題についていけてないが、ターフェアイトにこう言われたら黙るしかない。不承不承に、カールは頷いたのだった。
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