第12話 花の魔女の焦心苦慮・1

 ───監獄を後にしたアラン達は、一旦2階の執務室へ戻った。

 嘆願書の整理は思ったよりも早く終わっていたようだが、兵士達から『もう少しだけ吟味させて下さい』と熱く詰め寄られ、任せる事となった。


 そしてオスモに整理を手伝うよう命じたアランは、増えてしまった用事の為に本城の階段を上がっていた。


「ネックレスだけで良かったのだがな」

う、何度はんほも、り上げようと、もご、おほわないで、いははきたい───うっぐ」

「しゃべるなえずくな飲み込むな。悪かったからネックレスは口から出してくれ」


 アランについてきているのは、ネックレスのチェーンの一端を口から零しているカールだ。


 カールが持っているネックレスのに聞きたい事があった為預かろうとしたのだが、カールはかたくなに拒んだ挙句ネックレスを口に放り込んでしまったのだ。

 アランも唾液まみれのネックレスを借りる気にはなれず、仕方なくカールの同道を許可したのだった。


 ふたりが行きついたのは3階の真北、正妃の部屋だ。側女の部屋の修繕がまだ出来ておらず、相変わらずこの部屋がリーファの居室となっていた。


 部屋の前の衛兵がアランに近づき、恭しく頭を下げてくる。


「陛下、恐れ入ります。只今側女殿は兵の施術中でございまして、入室の際はあまり物音を立てずにお願い致します」

「ああ、分かっている」


 アランが首肯すると衛兵は慎重に扉を開け、アラン達を部屋へと促した。


 正妃の部屋は三つの部屋で構成されており、アランがいる中央の部屋は執務を行う為に使われる。先王の正妃フェリシエンヌはもっぱら客を持て成す為に使っていたようで、そのフェリシエンヌが去って久しい今も、最高級の調度品で過去の権威を誇示していた。


 部屋の片隅にはメイド長シェリーが立っており、中央のソファを打ち守っていた。腹の上で手を重ねた凛とした佇まいは、その美貌も相まって彼女自体が調度品の一つであるかのようだ。


「おれは、あっちに、いきたかったんだ………でも、じいちゃんたちが、『くるな』って、おこってて………あしも、うごかなくて───」


 聞こえてくる泣き言に顔を向ければ、ソファに仰向けで寝そべる男が目に留まる。寝言のような、譫言うわごとのような、遺言のような、嗚咽と鼻声が部屋に響く。


「ええ、ええ。きっとおじいさんは、ペッテルさんにもっとたくさんの思い出話を持ってきて欲しかったんでしょうね。

 お仕事の事、お友達の事、素敵な人の事………色んな話を聞きたいから、まだ来るのは早いよ、とおっしゃったんでしょう」


 リーファは、こちらに背中を向けてソファの前で膝を立てていた。男───ペッテル───の目元と胸の中央に手を当てて、子供を優しくあやすように声をかけている。

 彼女の輪郭をなぞるように淡く白い光が帯びており、ペッテルに触れた部分にも伝播していく。


 ◇◇◇


 ───最近になって、城内勤務者の中に不調を訴える者がちらほらと見られるようになった。

 主に不安や恐怖などの心理的な不調らしいのだが、付随して食欲不振や不眠などの症状も出ているのだとか。


 共通していたのは、例の城襲撃の時間帯に巡回していたか、黒ずくめ達に抵抗して負傷した、という点だ。

 安全なはずの王城で襲われ生死の境を彷徨さまよった恐怖心が、彼らの不調を引き起こしているのだろう。というのが医師達の見立てだった。


 しかし患者の数が余りに多く、眠剤などで療養を促すと他の勤務者の負担が増えてしまう。

 そこで名乗りを上げたのが、リーファだった。


 リーファは、不眠がちで度々眠剤や香の世話になっていたアランを改善させた実績があった。

 読み聞かせる事で入眠を促す魔術の絵本を提示し、『短時間でもぐっすり眠れる環境を作ってみましょう』とお試し感覚で提案したのだ。


 ただ、これはあくまで建前で、実際の治療は別の方法だった。


『バンデのように、魂の中の記憶の整理が出来るかもしれない、って思ったんです』


 バンデ、というのは、リーファの魔術の姉弟子と暮らしていた少年の名前だ。

 リーファはバンデの魂に込められた記憶に触れる機会があり、本来ならば覚えているはずのない乳幼児期の記憶をバンデ自身が思い出す、という副次効果を知ったのだった。


 不安や焦燥は、それ自体が心を圧迫してしまう。判断を鈍らせ、足を止めさせてしまうものだ。

 故に城で起こった出来事を客観的に見せ、対策や心構えを見直す形へ持っていく───これが、リーファが考えた治療方針だった。


 正確な記憶を呼び起こすグリムリーパーの力は”魂の最適化デフラグ”と名付けられ、心の不調に悩まされた者達を瞬く間に癒していった。

 リーファが触れていないと効率が悪い点にアランは難色を示したが、患者の頭と胸───恐らく脳と心臓───に触れる事で高効率化が見込めるようになったのだ。


 ◇◇◇


「大丈夫ですよ。ペッテルさんは生きています。今日も明日も、十年後も二十年後も、あなたの命を脅かすものは何もありませんからね。

 ───さあ、そろそろ目を覚ましましょうね。………闇を縫って行って………光を辿って………その先にある手を取って下さい。待っていますからね───」


 施術の終わりが近いのだろう。纏っていた白い光がおもむろに消失すると、リーファは胸に置いていた手をペッテルの手に重ねた。やがてペッテルがリーファの手を強く握り返してくると、目元に当てていた手を離す。


 ペッテルはうっすらと目と口を開けていた。悟りを開いた者は半眼半口はんがんはんぐになると聞くが、彼の表情はまさにそんな感じだ。涙の川が目尻を伝い、頭に敷いたタオルを濡らしている。


「おはようございます。お加減はいかがですか?」


 リーファが覗き込んで微笑みかけると、ペッテルの目が彼女の方に揺れた。

 焦点は合っておらず、正しくリーファを見ていたかは分からない。だが動いた唇が、空気と共に微かな音を垂れ流していた。


「………てんしだ………」

「…えっ?」


 リーファが目を丸くして聞き返すも、ペッテルが復唱する事はない。横になったまま顔をくしゃっと歪めると、頭に手をやり首を振っている。覚醒を促しているらしい。


「──────」


 何かを察したシェリーは、靴音を立てずにソファの背もたれ側へ近づいていた。ペッテルの死角且つリーファの視界にも入らない、最もふたりに近い場所へ移っている。


 やがてペッテルは、もそもそと体を起こした。ソファで居住まいを正し、目の前の絨毯に座り込んで見上げてくるリーファをじっと見つめ返している。


 ペッテルの瞳は潤んでいた。頬はほんのりと熱を帯びており、呼吸も荒い。

 まだ頭がぼんやりしているのかもしれない、と考える事も出来るが───見ようによっては、恋に落ちた瞬間のようにも見えただろう。


「…リーファ、さん」

「あ、はい」

「あの、えっと、よかったら、なんですが───」


 男の一世一代の告白。それを阻止する為に、二つの意思が動いた。


 側にいたシェリーの怒気が膨れ上がるのと、

 ペッテルの視界に入るようアランがリーファの背後に立ったのは、ほぼ同時だった。


 唐突に割り込んてきたアランを目に留め、ペッテルは驚愕と共に吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。おまけに側から放たれている怒気に気圧けおされて、即座に総毛立つ。


「へ、へへへへへ、へい、か…ッ?!」

「えっ?───あ、アラン様。いつからそこに?」


 ペッテルの驚きに反応して、リーファも振り返ってアランを認める。


 アランはあくまで、余裕がある恋人の振りを決め込む事にした。

 ペッテルは感謝の気持ちを伝えたかっただけ。そしてアランは、恋人リーファの慈愛溢れる献身を微笑ましく思っている───ただそれだけなのだ、と。


「先程入ってきたばかりだが………いけなかったか?」

「そ、そうだったんですね。すみません、集中していたもので…」

「ふ、何を謝る理由がある。、兵士の苦痛を取り除いてくれていたのだろう?その献身、褒美に値するぞ」


 立ち上がったリーファの額に親愛のキスを落とすと、アランはシェリーに目配せをした。

 ペッテルに射殺いころしそうな眼光を向けていたメイド長は、今は落ち着き払っていた。相変わらず彼の死角にいるが、もう拳が飛ぶ心配はないだろう、多分。


 アランはペッテルに目をやった。リーファを抱き寄せ、青褪めたままソファから動けない彼に声をかける。


「具合はどうだ?」

「は、はいっ!も、もうすっかり、良くなりました!」

「そうか。それは何よりだ。ならば、もう治療は終わりという事で良いのかな?」

「は、ははっ!ありがとうございます!!」


 困惑顔のリーファを引き寄せてソファから離してやると、ペッテルは即座に立ち上がった。脇目も振らずに部屋の扉へと走って行く。


「し、失礼いたしましたあっ!!」


 社交辞令としての挨拶であるはずの言葉だが、本当に失礼があったかのように聞こえたのは真実なのだろう。

 何はともあれ、ペッテルは逃げるように正妃の部屋を後にしたのだった。

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