第10話 王と兵士の暗中模索・2
執務室に残された四人の兵士達は、ベランダ側のテーブルで早速嘆願書の整理を始めた。
嘆願書はその性質上、匿名で投函される事が多い。一応、氏名、年齢、性別の記入欄はあるが、その多くが無記名だ。
まずは氏名の有無で仕分け、嘆願の内容で分類する事になった。紙に書き出していくのは、その後になる。
「菓子食いながら書類整理とか、いい仕事過ぎて通常業務戻るの嫌になりそう………役人ってみんなこうなのかなぁ?」
「そんな訳がないだろう。今回が特別なだけだ」
ブルーベリーパイを頬張るエルメルのぼやきに、紅茶で唇を湿らせつつ嘆願書に目を通すカールが応じている。
ソファ横のサイドテーブルを彩る菓子と飲み物は、
ブルーベリーをふんだんに盛り付けたパイ、クマやハート型のアイシングクッキー、そして美しい
なお、メイド達は給仕の為にここへ留まろうとしたが、『女性慣れしていない者ばかりなので』とやんわり断って退出してもらっている。実際、アハトはメイドの方ばかり見てデレデレしていたから、この理由は間違っていない。
「魔女の断罪、と言っていたが、全く関係ないものも混じっているな…」
「
上等兵達の呆れを伴う溜息が、執務室にふんわりと広がって行く。
目の前のテーブルには、氏名未記載分で仕分けられたものが広がっていた。一番上には内容に関するメモが乗せられており、”魔術の恐怖”、”魔女への批判”、”王への糾弾”に混じって、”無関係”に分類されたものもそこそこある。
嘆願書が多く寄せられるという事態は、不満がなければそうは起こらない。
片手間で終わるはずの仕事が増えていて、持ち込んだ役人が仕分けミスした可能性もあるが、こう無関係なものが多いと悪意を疑いたくもなる。
「…あ、親父までこんな事書いてんのか。魔術師嫌いとか聞いてないんだけど、ショックだなー」
一方、向かいのソファにいた一等兵のふたりは、数が少なかった氏名記載分の要約に専念していた。アハトが読み上げ、ノアが書き出しの役だ。ちなみに、菓子と飲み物はどちらも早々に完食している。
嘆願書を手に悄然としているアハトを見上げ、ノアは何とはなしに聞いてみた。
「…アハトのお父さんって何歳?」
「ん?えっと………三十…いくつだっけな?三か四だったと思うけど」
「「───は?」」
その話に衝撃を受けたのは、父親が高齢だったノアだけではなかった。向かいのソファの上等兵ふたりも、口をあんぐりと開けてこちらを凝視してきたのだ。
彼らの年齢は二十代半ばか後半か、といった所か。アハトの父親と自分達の年齢が近い事に驚いたのだろう。カールとエルメルの声が震えていた。
「そ、そんなに、若いのか…」
「え、えっと。ランタサルミ、だっけ?お前って年いくつ?」
「オレですか?来月で十三歳になります」
「「──────」」
本日二度目の衝撃に、ふたりは今度こそ絶句した。
アハトの身長は、カールやエルメルより高い。顔立ちや肌の質感を見ればまだ幼さを感じなくもないが、小柄なノアが一緒に歩くと先輩後輩と間違えられる時もある。
「オレ達の半分位しか生きてないのか…っ!」
「最近の若いの………成長すっごいな…!!」
「いや、こいつのでかさがおかしいんですよ。きっとヤバいキノコ食べて巨大化した変異体か何かですから。気にしないでください」
「ノアお前さ、オレの事何だと思ってんの??」
「だってさ、食堂で同じもの食べてるのに一年で三センチ伸びるとかおかしいだろ」
動揺する上等兵達にフォローを入れたノアは、今度はアハトに食って掛かる。いつかは背丈の差が縮まるだろうと期待してるのに、この数年で更に広がってしまったような気がする。
何だか悲しくて、ノアは視線を落とした。脳裏に
「僕だって…僕だってさ、あに───兄さん達みたいに、背が伸びるはずなんだ…!」
「泣くなよー」
「泣いてないよっ!」
上等兵達から同情の目が降りかかる中、ノアは再びアハトを見上げた。唇を尖らせた彼の顔が歪んで見えるのは、きっとどこからともなく降ってきた水が目を濡らしてるだけだ。そう思いたい。
「あーっ、えーっと………………あっ、うん。なんかこの嘆願書、おかしいんだよなー?」
困惑に目を泳がせまくったアハトは、何とか話題を逸らそうと慌てて手中の紙面をノアに押し付けてきた。視界いっぱいに嘆願書が移り込み、アハトの顔が隠れてしまう。
今どうにもならない事で感情的になってしまった、と頭では分かっていても、ノアの気持ちは晴れない。鼻をすすり不満げに嘆願書を手に取る。
「…何がおかしいんだよ」
「なんかさー、親父の筆跡と全然違うなって思ったんだよ。もっと、かくかくした字書くんだよ。こんなにキレイな字じゃないからおかしいなーって」
そう言われて紙の文字を見る。さすがにアハトの父親の文字は知らないから比較は出来ないが、目の前の文言は確かに綺麗な筆致をしている。達筆と言っても差し支えない。
もう一度鼻をすすると、冷静さが少しだけ戻ってきた。
自分が書いたと気付かれないよう、筆跡を変えて誤魔化すというやり方はあるかもしれないが、この嘆願書は名前がしっかり入っている。となると───
「誰かが勝手に名前を書いてるってこと?」
「え?誰かって、誰だよ」
「いや、分かんないけどさ………戸籍管理してる部署なら、城下に暮らしてる人のリストくらいは手に入るかもなって」
「それは………さすがに駄目なんじゃねえの?」
アハトの疑問を、ノアも苦々しく首肯する。
嘆願書に公的な影響力はないとしても、勝手に人の名前を書いたものの信憑性など無いに等しい。そんな紙屑が頭数として紛れ込んでいる時点で、色々と問題があった。
「お、おい。これは…」
ふとテーブルの先から声が上がり、ノア達は一緒に顔を上げた。
そちらでは、丁度エルメルがテーブルの上に二枚の嘆願書を広げている所だった。
こちらからは逆さまで、そこに書かれた内容までは分からなかったが、文字の並びや筆跡などを見る事は出来る。
「内容が殆ど同じだな。筆跡も、良く似ている」
「ここまでくると露骨だな。嘆願書が偽造されてる可能性があるって事か…」
「これは………仕分けだけで済ませて良いものなのか?何か、他にオレ達に出来る事はないのか…?」
「今回は特務部が動いて下さるんだろ?下手に動くと、迷惑になるんじゃないのか?」
「………そう、だな。歯痒い、が………」
深刻そうなカールとエルメルの溜息が、執務室の空気を重く沈めて行くようだ。
顔を顰め唸り声を上げているカール達を交互に見ていたアハトは、困った様子でノアに顔を向けてきた。
「…な、なあノア。これ親父に聞いたら駄目かなあ?こんなのがあったって…」
「さすがに駄目だよ。守秘義務…に違反するんじゃないの?調査の邪魔になるかもしれないし」
「ええー………今度実家帰る約束してんのにさ、これ黙ってるの嫌なんだけどー…」
両手で顔を覆ったアハトの苦悶は、ノアにも理解出来た。身内が知らず知らずのうちに国の面倒事に巻き込まれていたなんて、気持ち悪い事この上ない。
(アハトを呼んだのは失敗だったかな…)
上司からの受けは良く、ノアとも気さくに接してくれるアハトの事は頼りにしている。しかし、問題が出ている城下に実家があり、噂話に目がない彼の性分は少しばかり心配な点だ。
オスモのように、連れて来ない選択肢も入れるべきだったかもしれない───ノアはそう後悔したのだった。
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