第5話 名家凋落の時・5~従者の心・3

 止むを得ず王位を継がされたアランは、そのきっかけを作ったリーファに怒りの矛先を向けた。

 場所を問わずにセクハラパワハラするのは当たり前。夜伽では道具も薬もふんだんに使い、時には失神させるような無体な真似もしていたようだ。


 不憫なリーファに関する苦情は、医務所や薬剤所は勿論、巡回の兵達からも上がっていた。彼らの口から役人達にも噂が広がり、見合いの話はぐっと減って行ったのだ。

 この問題は、アランに寄り付く悪い女性むしを減らしたいヘルムート個人としては嬉しいものだったが、王に相応しい正妃を探さなければならない従者としては悩ましいものだった。


 都度アランをたしなめはしたが、それで彼の態度が軟化するはずはなく。

 見るに堪えかねて、禁書庫の掃除をリーファに振るなどして物理的に距離を取らせる事もあった。


 ───何かが変わった、と感じたのは、ヴェルナ=カイヤライネンの見合い騒動が片付いた後の話だ。

 当人達に自覚はないようだったが、ふたりの距離が少しだけ縮んだような気がしたのだ。


 実際、そのさりげない違和感は正しかった。

 不妊の呪いの解呪、グリムリーパー王と魔王との邂逅、偽正妃候補騒動、城下の魂騒動、正妃選びの最中の流産。

 何かが起こる度に、アランの気持ちがリーファに傾いて行くのを痛感した。


 いつか城を出るべき立場だ、とリーファに言い聞かせる事は出来たが、押し付けた手前アランに釘を刺すのは躊躇ためらわれた。

 対応を考えあぐねている内に、アランのリーファへの執着は日に日に強くなっていった。


 アランの心の距離を測る度に、ヘルムートは焦燥に駆られた。何故リーファに執着するのか、何度も自問した。

 女性、庶民の出、控えめな体躯、茜色の髪と瑪瑙色の瞳、特異な声質と出自、魔術師としての腕前───何が決定打となったのか、ヘルムートには分からなかった。


 ただリーファの、目的の為なら自らを犠牲に出来るという一点は、ヘルムートには絶対真似出来ない部分だ。


 ヘルムートは、常に自分ありきだ。

 自分が楽しければ良い。自分が気持ち良ければ良い。他人がどうなろうと知った事じゃない。

 極端な話、アランの側にいられるなら、アランが廃人であっても構わないくらいだ。


 自分アランを大切に思わないヘルムートより、大切に思ってくれるリーファに惹かれる。考えてみれば当たり前の話だ。


 ───当初の通り、務めを終えたらアランと距離を置きたいとリーファは考えているらしいが、もはやそんな事はどうでも良かった。

 アランの思慕が向いた彼女は、ヘルムートにとって邪魔な存在になってしまった。


 死にゆくアランをリーファが看取る光景───これをリーファグリムリーパーの目が視たのなら、尚の事彼女は生かしておけない。


 仮にアランの死が避けられなかったとしても、その死を看取るのはヘルムートでなければならないのだから。


 ◇◇◇


(高貴な血筋の下に生を受け、恵まれた環境で育ち、何不自由なく過ごし、理解ある伴侶に恵まれながらも、過ぎた力は心をいびつにしてしまうか。………不憫な方だ)


 ヘルムートの横顔を盗み見て、レギーナは彼の心に生まれてしまった闇に憐憫の念を抱く。


 彼は、生まれと育ちこそ優れているが、それ以外はどこにでもいる普通の青年だ。多少は頭が回るが、体力は人並み、考え方も人並み、感情だって善性に沿ったものを有している。

 アランに向けた感情も、報われない恋だと自覚はしていて、いつかは諦めなければならないと頭では分かっていた。


 しかし、先王から授かった私兵は、彼が出来る事を増やしてしまった。


 レギーナを始めとする私兵は、諜報や暗殺技術に長けた精鋭が揃っている。魔術師こそいないが、彼らの技能は魔術に引けを取らない。

 人心を操り、情報をかき集め、時には望む形で拡散し、必要ならば不穏因子を排除する───ヘルムート一人だけでは到底成しえない”力”を、彼は手に入れてしまったのだ。


 始めは扱い切れなかった私兵も、今や公爵家を凋落ちょうらくへ追い込む程までに使いこなせるようになった。ヘルムート自身が、ラッフレナンドの第二の王と言っても過言ではない。


 一人では報われないものとして終わっていた恋も、私兵を使えば成就する日が来る───そんな淡い期待が、ヘルムートを更なる凶行へと駆り立てているのだ。


(今はまだ、主は理性を保って動いておられる。自らが疑われないよう、計略を巡らせているが………いつまで持つか………)


 一見穏やかに見えるヘルムートの心は、女性のように不安定だ。ラッフレナンド城襲撃が失敗に終わり、アランとリーファの絆はより強固になってしまった。その胸の内が荒れに荒れているのは言うまでもない。


 主が自棄やけを起こし、自身を破滅に追いやってしまわないだろうか───レギーナとしては、そこが気掛かりだった。


 とは言っても、もうアロイスを謀殺する事は出来ない。

 彼は王族である事を放棄し、ノア=アーネルとして生きて行く道を選んでしまったのだから。

 仮に殺せたとしても、アランは犯人をどこまでも追い詰めるはずだ。そうなると、ヘルムートにも疑いの目が向けられてしまう。


 しかし、リーファは違う。

 城襲撃から日は浅く、城の警備を厳重にしている今は暗殺しにくい環境には違いないが。

 女一人を殺すなら、手段は他にもある。


「さて、城はどうなってるかな。上手く動いてくれればいいんだけど、多分アランは張り切るだろうからなあ」


 ヘルムートの剣呑な独り言が何を指すのか、レギーナは分かっていた。

 布石は打っておいたのだろう。どこが出所なのかも分からない些細な噂を。ちょっとした恐怖を。


 ラッフレナンド城の騒乱を防ぎ切った大魔術。

 この、当事者達にとって最善と言えた一手が、外野からどう映るかは別問題だ。


 場が荒れるのを想像したのだろうか。ヘルムートは目を細め、意地の悪い笑みを浮かべたのだった。

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