第2話 名家凋落の時・2~面従腹背の女
───ギースベルト公爵邸、騎士の広間。
公爵邸の奥にあるこの建物からも、外の喧騒が耳に入ってくる。悲鳴、抗議、そして剣戟の音がまぜこぜで押し寄せてくる。既に本隊は内郭に侵入したとみて良いだろう。
加えて、沈黙を続けていた鐘の音がけたたましく喚き散らし始めたが、その音に暗号の法則性はない。鳴らし方が素人のそれだ。
(見張りは全て死んだはずだが………誰かが中央塔に入ったか)
彼女、レギーナ=ランマースにとっては想定外だったが、任務に支障をきたす程ではなさそうだ。
「貴様………一体何のつもりだ…っ?!」
波打つ総白髪の老紳士───屋敷の主トラウゴット=ギースベルト公爵は、レギーナの所業に
レギーナは、ふわりと波打つ栗色の髪を肩辺りで刈り揃えた二十代の女だ。
黒のワンピースと純白のエプロンというクラシカルなメイド服は、この公爵邸のメイドの標準的な服装である。その格好に
彼女に対するトラウゴットの叱責は、彼女とその周囲にあった。
レギーナの両手には、前腕程の長さの短剣が握られている。刃にはべったりと鮮血がついており、刃先から落ちた雫が高価な青い絨毯に黒いシミを広げている。
そしてその周りには、鎧に身を包んだトラウゴットの親兵達が血溜まりに沈んでいた。
外郭の
当然そんな格好で不意打ちに対処出来るはずもなく、四人いた親兵は全員レギーナによって首を掻き切られていた。女の腕では首の骨ごと断ち切るのは難しいが、血管か神経どちらかを断てば、後は勝手に倒れてくれるよう体は出来ている。
ちなみにこの騎士の広間には他にも公爵付きのメイドが三人いるが、彼女達は腰が抜けてしまったらしく、青褪めたまま寄り添っていた。
レギーナは短剣を向けたまま、金色の瞳で冷ややかにトラウゴットを見つめ返していた。問いかけにも応じない。そもそも答えるように命じられていないのだ。本来の主からは。
『本隊が到着するまでに、公爵邸の中央塔を無力化し、トラウゴット=ギースベルト公爵を足止めしておく事』───彼女の務めは、これだけなのだから。
───バタンッ!!
既に本隊が公爵邸を蹂躙する中、睨み合った時間はそう長くはない。角張った鉄の塊が跳ねてくるような嫌な揺れが近づいて来て、ぶち壊す勢いで騎士の広間の扉が開け放たれた。
扉の先にあったのは、やはり鉄の塊と言うのがしっくりくる物体だった。優雅な公爵邸の背景を塗り潰した鈍色の巨体の群れは、けたたましい音を立てて広間へなだれ込む。足元の血だまりの所為かもしれないが、一気に鉄臭くなった気がした。
「どうしたもこうしたも、君が一番良く知ってるはずだよね?トラウゴット=ギースベルト公爵」
鉄の塊の奔流が緩やかになると、一人の青年が扉から遅れて入ってくる。その物言いは、まるで今の今まで側で聞き耳を立てていたかのようだ。
年の頃は三十路も後半だが、短く刈った亜麻色の髪の下にある柔和な顔立ちは、彼をより若く見せている。青のサーコートを着て灰色のハンチング帽を被ってはいるが、この戦時下の装備としてはいささか心許ない。
「ヘルムート=アルトマイアー…!」
苦々しく吐き捨てたトラウゴットに対し、青年ヘルムートは肯定するように藍色の瞳を細めた。
鉄の塊───もとい、王命を受けて派遣された兵達がトラウゴットを包囲する中、ヘルムートはレギーナに近づいた。
「ご苦労様、レギーナ」
「はい」
レギーナは淡々と応え、短剣を下ろした。本当の主ヘルムートへ向き直り、膝をついて恭しく首を垂れる。
その光景を見せつけられて、トラウゴットは息を呑んだ。目尻は吊り上がり、唇は怒りに震えている。
「くそっ………貴様の子飼いだったとは…っ!」
「従順ないい子だったろう?一年半そこそこで、慎重な君が側に置いたんだ。気に入ってもらえたみたいで、僕も嬉しいよ」
ふんわりと笑うヘルムートの表情は、どこか淫靡な陰を落としていた。一介のメイドとして働き始めたレギーナが、どんな方法でトラウゴットのお眼鏡に適ったのか、まるで見ていたかのようだ。
そうこうしている内に、包囲を終えた兵達によって、トラウゴット、親兵、メイドが拘束されていく。もはや抵抗する気も失せたのか、総白髪の老紳士は苦い顔で拘束を受け入れていた。
「君が拘束される理由は、言うまでもないよね?
アロイス=ギースベルトが全部自供したよ。『トラウゴット=ギースベルト公爵に命じられて、王城へ侵攻した。人員や武具も全て用意してもらった』とね。
ここまでやったんだ。爵位の剥奪程度では済まないと、覚悟しておいてほしいな」
自身の孫の名が出てきて、トラウゴットは歪に口の端を吊り上げた。ヘルムートを嘲笑を込めて
「…ふ。その、アロイスを名乗る少年は言わなかったかな?『オレはアロイスじゃない』と」
「ああ、言ったとも。でもそれは、彼が処刑を恐れてついた嘘だと判断された。事前に王の眼前で『アロイス=ギースベルトです』と名乗っていたからね。
立ち合った将校がその発言を認めたし、後見人のモーリス=アップルヤードも証言台で『アロイスにラッフレナンド王家の血筋を名乗る資格なし』と言ってくれたよ」
「馬鹿な………アップルヤードが、出て来れるはずは」
「何故、そう思うんだい?」
ヘルムートからの追及で、トラウゴットは、はっとしていた。既に内情は全て暴かれているというのに、言質を与えてしまう事を恐れて悔しそうに口を噤む。
「………そうだね。彼は確かに重症だった。
何者かに拉致され、薬物を大量に投与され、遠い異国の地で監禁されて。発見された時は生きているのがやっとの状態だった…と聞いているよ。
ラッフレナンドの薬学では、彼をあそこまで復帰させる事は叶わなかっただろう。
でも、僕達には頼りになる
歯噛みするトラウゴットを見下ろし、ヘルムートは腕を組んで薄く笑う。
物腰柔らかで人当たりが良い彼は、王の従者として王位継承の座から一線を退いた立場ではあるが。
(ああ、美しいな)
ヘルムートに美を見出だしたのは、レギーナだけではないようだ。ラッフレナンド王家の風格、とでも言うのだろうか。彼の立ち振る舞いに、国軍の兵の何人かは親兵を拘束する手を止めていた。
「そうそう。王城で沙汰を待てるとは思わないでね。
アロイス=ギースベルトの処刑は何とか済ませたけどさ。どこぞの賊徒が派手にやってくれて、とてもじゃないけど君達のような貴人を迎え入れてる余裕はないんだ。
君達の行き先は、北の国境アキュゼの監獄。モーリスの父君アップルヤード辺境伯が、今回の暴挙に大変お冠だよ。精々、言い訳を考えておくといい」
より一層顔を青くするトラウゴットを見て満足したヘルムートは、やおら側にいた兵に顎を向けた。
「さあ、無駄話はここまでだ。連行してくれ」
「ははっ」
ヘルムートの命を受け、国軍の兵達が動き出す。
後ろ手で拘束されたトラウゴットは周りを兵に囲まれ、動けない親兵やメイド達は引きずられるように、それぞれ騎士の広間から連れ出されようとしている。
「…ここまでお膳立てしてあげたのに、このザマとはね。残念だ」
唇を殆ど動かさずに発した、ヘルムートの独り言。
それは、彼の横を通り抜けようとしていたトラウゴットの耳に、どう受け止められたのだろうか。
「貴様───それは、どういう───」
トラウゴットの懐疑に、ヘルムートは答えない。
青年に無言のまま微笑み返された総白髪の老紳士は、何か物言いたげな視線を送る事しか出来なかったようだ。
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