第80話 未熟な愛に時間を・2

 未だ城内がピリピリしているというのに、何が悲しくてメイド長の舌先まで警戒しなければならないのか。やり切れない憤懣ふんまんに、アランはシェリーが出て行った部屋の入り口を睨みつけた。


「全く、しょうもない話を吹き込んで…っ!リーファ、シェリーの話は全部忘れろ。いいな?」

「そんな、もったいないこと、できません。アランさまのげんじゅつ、だいかつやく、だったんですよね?」


 リーファは口をゆっくりと動かし、静かに首を横に振る。傍目にはいつもの彼女だが、そのおっとりな口調を聞くと、まだ本調子とは言えないようだ。


(シェリー………そこまで話したのか)


 アランの悪口ばかりかと思いきや、ちゃんと活躍の部分も話していたらしい。グレーゴーアの話題を振った途端にアランが入ってきたのは、運が悪いのかわざとだったのか。


「うまにのった、たくさんの、アランさま………みたかった、なぁ」


 リーファの穏やかな笑顔を見ていたら、アランの茹だった頭が急速に冷めていく。冷水をかけるようなものではない。そよ風で熱を散らされた気分だ。


 アランはベッドの縁に腰を下ろし、自分の胸に───今はない、守りの花飾りを添えていた場所に───親指を当てた。


「守りの花飾りが、私にあと一歩、踏み出す勇気をくれたのだ。お前のおかげだよ、リーファ」

「そんなこと………アランさまが、がんばったから、ですよ」

「盾兵のアハト=ランタサルミが白状したぞ。『側女殿から、大盾の魔力反射の最大解放のやり方をこっそり教わりました』とな。

 大盾は破損したが、お前が教えねば討伐隊の半分は死体も残らなかっただろう。

 それだけではない。城内の者達も、負傷の差異はあれど全員の生存が確認出来た。

 お前のおかげで、討伐隊も、城内の者達も、皆が生還出来たのだ」


 アランは、謙遜するリーファの頬に手を伸ばす。

 柔らかく滑らかな、甘い香りを放つ女の肌。ちょっと力を込めれば、容易く歪み崩れてしまいそうな、そんな脆さ危うさがある。


 頼りなく気の抜けた顔で見上げてくる彼女のどこに、アラン達討伐隊と城の者達を陰日向と守り抜いた精神力があるのか、今でも不思議でならないが。


「ちゃんと、自分を誇れ」


 強制も命令もする気もなかった。ただ、知ってほしかっただけだ。

 リーファの行いが、最良の形で実を結んだという事実を。


 少しの間戸惑いを見せたリーファだったが、アランの気持ちが通じたか、短く息を吐くとゆっくりとはにかんだ。


「………はい。わたし、がんばりました」

「それでいい」


 アランは微笑み返し、リーファの額にキスを落とした。素直になった彼女への褒美───なんて言い訳を頭では考えてはいるが、結局の所、自分が我慢出来なくなっただけである。


 ───シャラ…


 身綺麗なリーファを、汗だくな自分の手垢まみれにしてやりたい───そんな下卑た欲望がふって湧いた途端、逢瀬を邪魔するように甲高い音が聞こえてきた。

 リーファはその音の正体に思い当たったようで、慌てて枕の下を漁る。


「あ、そういえば、これを…」


 リーファが出したのは、小振りな麻の袋だった。きつく締められた紐を解き、手の平に中身を出す。

 音の正体は、豪奢なビブネックレスだった。ラッフレナンドの国宝、”星々の微笑”だ。


「ノアくんから、あずかりました。アランさまに、わたしてほしいと。

 ほうせき、いくつかこわれて。まじゅつでも、うまくなおらなくて。…ごめんなさい」


 アランの手に移されたネックレスは、宝石がいくつか取れ、欠けているものもあった。煤が絡みついているから、火に巻き込まれたのだろうか。中央のピンクダイヤモンドは無傷だが、ここまで損傷があると、修理などでどうにかなるものなのか疑問が残る。


 自分の所為ではないだろうにシュンとしているリーファを見下ろし、アランはくすりと笑った。


「…かまわんさ。どの道、あるだけで厄介の種にしかならんからな。あとでバラして捨てておくとしよう」

「え………で、でも、こくほう………それに、こんなにきれいなのに…」

「ん?もしかして欲しいのか?

 どうせ、何らかの褒美は取らせねばと思っていた所だ。お前が望むのなら、ティアラなりネックレスなりに作り直させるぞ?」


 目の前で美しく輝くネックレスをちらつかせると、リーファの顔がクシャっと歪んだ。


 普通の女ならば、国が宝と認めた宝石になりふり構わず飛びつくだろう。

 しかしここにいる女は、最高級の調度品に囲まれ、最高級の衣服を身に纏い、誰もが羨む城暮らしをしていながら、欲深くなる事が全くない変わり者だ。


「にあいませんよ………わたしがつけたら、おもちゃにみられてしまいます………」

「………そこまで卑下せんでもいいと思うのだがな。まあ、お前が使わないのならば、これはこちらで適当にやっておくさ」


 分かってはいたが、謙虚が過ぎるのもどうなのだろう。リーファの答えにアランは呆れつつ、ネックレスを麻袋へしまった。紐を締めて適当に放ると、麻袋は弧を描いてベッドの縁を越え、絨毯の上へ落ちて行く。


 名残惜しそうに麻袋が落ちた先を見つめているリーファに、アランは詰め寄った。


「…さてさて、自己評価が低いお前には、一体何をくれてやればよいものか。

 宝石も駄目。衣服も駄目。地位に興味はない。貨幣はさすがに味気ない………こうして考えてみると、お前は一番面倒臭い女なのかもしれんな」

「なにかほしいなんて、いってないのに…」

「最大の功労者に何もしてやらん方が問題だろうが。本当にお前からは何かないのか?例えばそうだな───」


『………どうかリーファさんに、もっと言葉を尽くしてあげて下さい………』


 考えだした途端、脳裏によぎった言葉に、アランは息を呑んだ。

 それは、謁見の間でアランとリーファの日々を憂えた、ノアが発したものだった。


「………アランさま?」


 急に押し黙ってしまったアランを、リーファが不思議そうに覗き込んでくる。


 リーファが、アランとの日々に文句をつけた事はない。ノアの話からも、そうした意図は伝わって来なかった。故に少年の発言はただのお節介に過ぎず、リーファが欲している訳ではないとも思える。


 手柄に対する見返りとしては、あまりに稚拙だ。しかし周りから見れば趣きのない日々に、多少の色は添えられるのかもしれない。


「リーファ」

「はい」


 正面から見据えたアランの呼び声に、首を軽くかしいだリーファが応じる。


 次にアランは口を開け、言うべき事柄を頭に思い浮かべた。リーファへの想い、こちらへ向けて欲しい感情、過去現在未来の話、その他諸々を。

 だが───


(何を言えばいいのだ…?)


 もやっとしたものは出た気がするが、言葉にしようとした途端に霧散してしまい、アランは驚きと共に口を閉じた。

 考えすぎているのかもしれない、と心に言い聞かせ、アランはリーファに気取られないよう深呼吸を繰り返す。そして、


「…リーファ」

「…はい」


 もう一度リーファの名を呼び、それに彼女が応えるが───


「………」

「………………」


 やはり二の句が継げず、アランは黙り込んでしまった。


(言葉を尽くすとは………どうすればいいのだ)


 根本的な疑問に行きつき、アランはしばし黙考する。


 リーファに対し、何も考えていないのではない。それは自分でもよく分かっている。

 だがそれを言葉に起こそうとすると、粗末で拙い文言となってしまい、本当に伝えたいものからは大きくかけ離れた代物になってしまうのだ。


(こんな…こんな、ものなのか?私の、リーファへ向けた想いは)


 自分の不甲斐なさにアランは呆然とした。リーファと出会って二年半。旧知とは言えずとも、言葉に出来る程に想いは十分重ねてきたと思っていたのに。


「アランさま」


 ふと、鈴を転がすような声が、アランを呼んでいた。リーファだ。

 顔を上げると、彼女はふにゃりと微笑みわざとらしく目尻を擦った。


「ごめんなさい。わたし、ねむくなってしまいました。

 こんなじゃ、アランさまがいっぱいかんがえたことば、ちゃんときけないかもしれません」


 アランの手に、リーファの手が重ねてくる。眠いのは本当らしく、子供の手の様に温かい。

 その温もりが妙に恋しくて、アランは求めるように指の間に絡ませた。冷えた手を伝って、熱がアランに伸びてくる。


「アランさまもきっと、おつかれだとおもうんです。

 じかんはいっぱいありますから、いつかアランさまがいいたくなったとき、のみこんだことばを、おしえてくださいね」


 眠気を堪えてアランを思いやるリーファの気持ちが、心に染み入るようだ。


 リーファの言う通り、アランは城へ帰ってきたばかりで体力的にも精神的にも余裕はない。明日以降も、雑事で追われるのは目に見えていた。当然、彼女にも構っていられないだろう。


 一方で、時間自体はあるのだ。ギースベルト派の脅威を払う目処はつき、アランとリーファに対する障害はほぼ取り除かれたと考えていい。邪魔をする者がいないのだから、キリがついた後に幾らでも話す機会は生まれるはずだ。


 何より、リーファが待っていてくれるというのだ。彼女が譲歩してくれるのだから、あえて言葉に甘えるのも良いのかもしれない。


「………そうだな。何も、焦る事はない、か。

 では、時間をかけてじっくり吟味しておくから、精々覚悟しておけよ?」

「はい、たのしみにしています」


 無理矢理敷居を上げたのがバレたのだろうか。リーファはクスクスと笑っている。


(この笑顔には、敵わないのかもしれないな………)


 そんな他愛ない感想を、口に出してしまっても良かったのかもしれない。しかし何だかそれすらも気恥ずかしくて、誤魔化すようにリーファを抱き締めたのだった。

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