第79話 未熟な愛に時間を・1

 襲撃犯と捕虜の収監、負傷者の治療、城内の物的破損の対応に追われ、気付けばすっかり日が落ちていた。


 問題は山積みだったが、とりあえず城内の安全は確保出来たし、夜の活動は効率が悪い。

 兵達には厳重警戒を指示し、アランは一足早く現場を後にした。


(疲れたな………)


 ようやく全身甲冑から解放されたアランは、疲労で足を引きずりながらも廊下を進む。体の汚れを落としたい。甘い物をたらふく食べたい。ふかふかのベッドに飛び込みたい───そんな原始的な欲求ばかりが膨らむ中、向かうのは本城3階の北にある正妃の部屋だ。


 先の襲撃で、リーファが使っている側女の部屋は一番被害が大きかった。庭園に面した西側は爆弾によってほぼ壁が残っておらず、天井も床も脆くなっていた。とてもではないが、リーファを休ませられる状態ではなかったのだ。


 襲撃犯によって他の部屋も軒並み荒らされる中、唯一手付かずだったのは、施錠された正妃の部屋だった。

 王太后フェリシエンヌ=ギースベルトが城を去って以降、執務室預かりになっていた部屋の鍵をシェリーに渡し、リーファに使わせるよう命じておいたのだ。


 ───カチャ


 リーファが眠っているかもしれない。アランはノックをせず、衛兵が番をする正妃の部屋の扉をそっと開けた。


 正妃の部屋は三つの部屋で構成されており、廊下に通じる中央が執務室、西側がウォークインクローゼット、東側が寝室になっている。

 最後の所有者だったフェリシエンヌは、よく近しい者を執務室へ招いており、室内には権威を見せつけるように贅を尽くした調度品が飾られていた。


「絹を裂くような悲鳴というのは、男性でも出るものなのですね。あの声を聞いて、多少は溜飲が下がりましたわ」

「うふふ」


 ウォークインクローゼットと執務室は灯りが消えていたが、寝室は柔らかい光が天井を照らしていた。興奮した様子のシェリーと、リーファの控えめな笑い声が聞こえてくる。


 豪奢な執務室とは対照的に、メイド以外は本人しか立ち入らない寝室は、やや少女趣味に寄っているようだ。中央奥には天蓋付きベッドが置かれ、窓際にはグランドピアノが置かれている。其処此処そこここに置いてある、クマ、ウサギ、ネコのぬいぐるみは、ギースベルト派の旗頭として気を張り続けていたフェリシエンヌの孤独を癒やしていたのだろうか。


 寝間着姿のリーファはベッドに入って上体を起こしており、その傍らで椅子に座っている鎧姿のシェリーの話を聞き入っていた。アランの入室に気付いておらず、顔がこちらを向く事はない。


 こんな夜更けに一体何の話をしているのか───眉を顰めながら寝室に入ろうとしたアランの耳に、聞き捨てならない会話が入ってきた。


「それから陛下、『ふふふ、なかなかの逸材だ。まさかこんなモノまで入ってしまうとはなぁ。これならば、私も楽しませてもらえそうだ』と笑って、衣擦れの音を立て始めたのです。

 しばらくしたらあの男、蚊の鳴くような悲鳴を上げて『大洋の蛇亀アスピドケロン…!?』と───」

「シェエェェリィイィィィ??」


 気付けば、身振り手振りを交えて熱弁を振るっていたシェリーの頭を、アランは鷲掴みしていた。


「あぁら、これはこれは陛下。ノックがなかったものですからお出迎えが出来ず、申し訳ありませぇん」


 かなりの力で頭を締め上げているはずだが、シェリーの表情は涼やかなものだ。どうやら入室には気付いていたようで、驚きもせずに笑顔を向けてくる。


 その底意地の悪い顔を見ていたら、アランの唇が緊張で震えだした。先の会話、心当たりがほんの少しだけあったのだ。


「お、おおお前、何を、はなし…っ?!」

「おほほほほほほ。何やらあの男に色々吹き込んでいらしたようですからねぇ。わたしもお返しに、を少々」


 嫌な予感が的中して、アランの表情がザッと削げ落ちる。代わりに汗がぶわりと噴き出し、手足が冷たくなっていった。


 あの男、というのは言うまでもなく、シェリーと浅からぬ関係があったグレーゴーア=バッケスホーフの事だ。

 アランがグレーゴーアに尋問を行った際、彼が話しやすくなるよう色々とをしていたのだ。


 その時シェリーはテントの外に待機させていたから、悪戯の全容を知るはずがない。悲鳴くらいは聞こえたかもしれないが、シェリーが言っていた内容の会話は誓ってしていない。

 それを好き勝手に面白可笑しく脚色して、リーファに吹聴しようとしていたのだ。


(油断していた…!まさかこんな形で仕返しされるとは…っ!)


 当てつけ目的でアランが話したシェリーとの濡れ事自慢は、グレーゴーアからシェリーに伝わっていた。

 だから、何らかの形で仕返しがあるだろうとは想像していたが───まさかリーファまで巻き込むとは思っていなかったのだ。


「あ、えっと、わたし、だいじょうぶですよ。むしろそういうの」

「お前は黙っていろ」

「あっ、はい」


 いたわろうとしたリーファの優しさを受け止める余裕はない。アランがぴしゃりと断ると、彼女は素直に黙りこくった。

 ただアランの反応があんまりだったのか、シェリーとリーファが互いに目を合わせると、どちらともなくクスクス笑い合った。


、というのも大変ですわねぇ」

「うふふ」

「そういう方向の理解は要らん!

 シェリー!お前はさっさと着替えて、私の湯浴みの支度と甘味の用意をしてこい!しばらくここに戻ってくるな!!」


 怒りに任せて掴んでいた頭を押しやると、シェリーの体はつんのめった。かなり乱暴にしたつもりだったが、溜飲を下げた彼女の笑顔は崩せず、体勢を整えて優雅に席を立つ。


「かしこまりました。それでは失礼致します」


 何事もなかったかのように首を垂れたシェリーは、そそくさと部屋を後にした。

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