第78話 王弟の選択、偽者の選択・3

 ───それからやや時間を置いて、『後続の隊が城下に入った』と先触れがあった。


 日も傾いた頃合いで、城内は襲撃者の拘束や負傷者の看病と慌ただしい状況だったが、アランの希望でアロイス=ギースベルトに簡単な尋問を執り行う事になった。


 謁見の間に満ちていた植物は、メイド達によってある程度取り払われたが、完全とはいかない。

 シャンデリアに絡みついたものはぶら下がったままだし、2階の廊下や壁の枯れ葉はそのままだ。そこから発せられる、瑞々しさの抜けた葉の香りが辺りに立ち込めている。


(明日は大掃除だな…)


 どこか現実逃避した気持ちで、玉座に腰を下ろしたアランは溜息を吐いた。植物の掃きだしだけではない。襲撃犯の行動の洗い出し、内通者の一掃など、やるべき事が多すぎて憂鬱になる。


 左に目をやれば、傍らにいるヘルムートがこちらを見下ろして失笑していた。彼の全てを見透かすような視線が、今日は一際鬱陶しい。


 ───ギイィイイィ───


 重々しい音が鳴り、正面の大扉が開いていく。その先から十人程の鎧の集団が、威風堂々とレッドカーペットに足を踏み入れた。その先頭にあるのは、ミロシュ=スハルドヴァー大尉だ。

 鎧の集団は玉座前の階段より少し手前まで進み出ると、全員が片膝を折った。中央にいたものだけ、無理矢理座らされた形だ。


「陛下、アロイス=ギースベルトを連行致しました」

「うむ、大義であった」


 アランが応えると、スハルドヴァーは立ち上がって中央にいた少年を突き出した。


 少年は簡素な布の服を着させられ、後ろ手で拘束されていた。その顔立ち自体は整っており、すっと伸びた鼻、健康的に焼けた肌、引き締まった顎と、数年も経てばそこそこ目を引く美形になるのでは、と思わせる。

 ほんのり波打つ金髪は染めたもののようだが、地毛の黒さは灯りの乏しさで誤魔化せているようだ。藍色の瞳は落ち着きなく揺れており、肩は恐怖に震えている。


(改めて似ているか…と言われると、そうでもないか…。アロイスと数年顔を合わせていないのは、あちらも同じだろうからな…)


 ノアの容姿を思い出し、眼下の偽者を睥睨する。恐らく同年代だろうが、ノアの方が幾分か若く、生来の品の良さが垣間見えていた。偽者を仕立て上げた者も、成長ぶりが分からない本物に近づけようと四苦八苦したに違いない。


「さて………よくよく考えてみれば、我々がそう判断しただけで、そなたからの名乗りを聞いていなかったな、と思ってな。

 間違いがあるなどとは思ってもいないが、念の為聞いておくとしよう」


 軽く前置きをした後、アランはさっさと話を切り出した。


「少年よ、発言を許す。そなたは何者だ?」


 その単純明快であまりに今更な質問は、眼下の集団に動揺を与えた。

 スハルドヴァーは少年をアロイスだと確信して連れてきているし、周りの兵達も同様だ。


 だが、中央にいた少年は別だった。彼は自分の存在を確かめるかのように、一歩前へ出て明朗に答えた。


「お、オレは───いえわたしは、アロイス=ギースベルトです!あなたの弟、アロイスです!」

「…ふむ、先王オスヴァルト=ラッフレナンドの第四子であり、我が弟アロイスを名乗るか?」

「はいっ!」

「幼い頃、剣の稽古に付き合ったものだが、覚えているだろうか?」

「も、もちろんです!兄上の剣の腕はとても冴えわたっていて、わたしは全然敵いませんでしたっ!」

「あの時、迂闊にも手首に怪我をさせてしまったと思ったのだが、傷がない所を見ると良くなったようだな」

「お、憶えて頂けて光栄です。この通り、跡も残らず剣を握れています!」


 虚偽の昔語りに自称アロイスが当たり障りなく答える度に、アランの”目”に映る少年の周囲がもこもこと黒いもやで満たされていく。いつもなら不快に思うこのもやだが、今日は何故だかとても価値のあるもののように思えてしまった。


(そうだ、それでいい)


 ───その後、自称アロイスと他愛ない会話に興じたアランは、どこか腑に落ちない様子のスハルドヴァーに『明日から本格的に尋問を行う。アロイスは牢獄へ連れて行け』と命じ、自称アロイスと集団を謁見の間から下がらせたのだった。


 ◇◇◇


 鎧の集団が出て行った謁見の間が、再び静寂を取り戻す。アランやヘルムートがいる時は近衛兵も控えているものだが、彼らも城内の整理に当たらせているので、会話に耳をそばだてる者はいない。


「………出てきていいぞ」


 玉座から腰を上げ、階段を降りながらアランがぼそりと呟くと、先程まで集団がいた場所のすぐ側の空間が歪に揺らいだ。そこに、不可視化インビジビリティを解いたノアが現れ、頭を下げる。


 偽者への尋問で何らかの情報が得られるだろうかと、ノアの立ち会いを許可していたのだ。ノアも『どんなやつが”アロイス”か見てみたいです』と乗り気だったので、不可視化インビジビリティを使わせて、物陰から見るように命じていた。


「何か分かった?」


 アランと一緒に広間へ降りてきたヘルムートの質問に、ノアはしばらく悩ましげに唸ったが、やがてゆっくりと口を開いた。


「髪は染めていましたが………彼は、公爵家に奉公に来ていた小間使いですね。確か名前はユージン───ユージン=イーリイ、だったかと」


 たまにしか行かない公爵家の小間使いをフルネームで憶えている、という事実に、アランは眉根を寄せた。ノアの記憶が良いのか、そのユージンとやらが余程印象に残っているのか。


「こんな大それた事をするようなやつだったの?」

「公爵に心酔しているな、とは思いましたが………彼が動くとすれば、婚約者ハイデマリーでしょうか。

 彼、ハイデマリーの事が好きだったみたいで、彼女にしつこく話しかけて、家令に叱られている事がありました。

 あとアロイスは…彼に嫌われてましたね。『お前みたいな反抗的なヤツに、なんでギースベルト家の血が流れてるんだ』と、面と向かって言われる事もありましたから」


 何とも情熱的な話に、アランからもヘルムートからも感嘆の吐息が零れる。


「惚れた女の為に、嫌いな男の名と姿を借りて王位を奪いに来た…と?涙ぐましいな」

「ある意味、ラッフレナンド王家の男児けどねえ」


 可愛げなど欠片もない偽者の顔を思い出し、その半生を想像する。ギースベルト家との出会い、ハイデマリーとの逢瀬、アロイスへの反発───彼の生き様を辿って行けば、小説が一編書けそうである。今回の革命に成功していれば、の話だが。


「あんな暴言を吐くような小間使いを、何故公爵は側に置いていたんだろう、と思っていましたが………やる気のないアロイスの替え玉として育てていたのかもしれませんね。それなら、彼の横柄な態度も理解出来ます」


 そうぼやいたノアの顔に憂いが帯びる。

 ギースベルト派の栄華に絶対条件かと思われていたノアアロイスの存在が、ギースベルト公爵にとってはあってもなくても良い、とかなり前から思われていた事になるのだ。


「ユージンに発破をかけられて、アロイスが王位簒奪に意欲を見せれば良し。もしアロイスが王位に消極的であっても、万が一アロイスが城にいなくても、ユージンを替え玉にすれば良し、か………。

 そこまでするかな、って思うけどねぇ」

「まあ、そちらの方が好都合だ。上手く利用させてもらうさ」


 落ち込んでいるノアには悪いが、この絶好の機会は逃せない。

 ユージンにアロイス=ラッフレナンドを名乗らせ、ギースベルト派を一気に解体させる、この機会を。


 何が不満なのか、ヘルムートのジト目がアランに向けられる。


「………本気なの?」

「お前も見ただろう?あの少年は私を前にして、王弟アロイスを名乗ったのだ。ならば私は、彼を王弟として扱うさ」


 ノアがアロイスの名を捨てた時点で、ユージンにアロイスの名を押し付けるつもりはあった。むしろ本人に意思表明させただけでも温情というものだ。


「幼い頃は利口な子だと思っていたが、残念な事に王たる私に刃を向けるという愚考に至ってしまった。

 大変心苦しいが、愚弟がこれ以上罪を重ねぬよう、血族を代表して私が裁いてやらねばならぬ。むしろこれが慈悲というものだ」


 仰々しくもっともらしい事を言ってはみたが、血縁でもなければ親しかった訳でもない、自分に歯向かった者などにかけてやる慈悲など持ち合わせているはずがない。


 ユージンアロイスが生きていれば、当人の素性が暴露する可能性はあり得る。

 一度は減刑を理由に情報を吐かせるが、用が済めば口封じも兼ねて死刑に持ち込むのは確定事項だ。


「さて、どういう方法で処刑してやろうか。

 貴族ならば斬首が基本だが、括り方次第では絞首も苦しまずに死ねるというしな。さすがに火刑や八つ裂きは、方々から文句が出るか?

 まあまずは、あのアロイスに希望する死に方を聞いてやらんとな。兄として、弟の希望は全力で応えねばなぁ………ふっふっふっふっふ───」


 今、悪い顔をしている自覚がアランにはあった。この顔はノアには見せられないと頭では分かっていた。

 しかし、口の端が自然と吊り上がり、加虐の感情が唇から笑みとなって出てきてしまうのだ。こうなると、しばらくは止められない。


「………楽しそうですね」

「最近周りから、『性格が丸くなり過ぎて、将軍時代の面影がない』って言われてて、気にしてたみたいだから。

 綺麗事だけじゃ王様稼業は出来ないし、こういうもさせてあげないとね」

「………勉強に、なります………」


 朗らかに笑うヘルムートの言葉で、やはり自分には向いていないと悟ったのだろうか。喜ぶアランの背中を眺め、ノアは悄然と肩を落としたのだった。

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