第77話 王弟の選択、偽者の選択・2
「アーネル一等兵。君が自身の素性を明かす事、それが何を意味するか、理解しているかい?」
「………はい、覚悟の上です」
ヘルムートの淡々とした問いかけに対し、ノアは毅然と答えてみせる。見上げてくる藍の瞳は真っ直ぐで、迷いというものがない。仮に断罪の刃がその身に降りかかろうとも、彼は甘んじて受け入れるだろう。
「………どうするの?」
ヘルムートは今度はアランに声をかける。目を細め、うっすらと笑んでいる彼から、その胸中を汲み取る事は出来ない。
(この少年を、アロイスだと認めたい気持ちはある)
疑ってはいないのだ。成長は目を見張ったが、平原で
だが、ここで彼をアロイスだと認めてしまうと、ギースベルト派の蛮行を阻止した彼が、贖罪の余波を被る事になってしまう。
それに───
(問題は、彼がアロイス=ラッフレナンドで在り続ける事を望んでいるかだ)
ノアの語りの中に見え隠れした、彼自身の本意。それを問い質すべく、アランはノアを正面に見据え、心厳かに口を開いた。
「…私は討伐隊と共に、我が弟アロイスを名乗る少年を捕縛した。
振る舞いこそ王族として褒められたものではなかったが、ギースベルト公爵家の家紋がついた馬車に乗車しており、私を『兄上』と呼ぶ者だ。
幼き頃の顔つきは、数年も経てばガラリと変わるもの。………
「──────」
ノアが僅かに顔色を変える。見開いた目、歪む眉、引き締めた唇から察せられるのは、驚きと戸惑い、そして悲嘆、と言った所か。
だが同時に、アランの
(………ああ、思っていた通り、賢い子だ)
自分にはない利発さに感心しながら、アランは話を続けた。
「もしそなたがアロイスを名乗るのならば、私は王弟として、そなたを丁重に扱うとしよう。
血族が為した蛮行を未然に食い止められなかった罰を科し、それでいて王城の被害を最小限に抑えた褒美を取らせよう。
ギースベルト公爵家に対しては然るべき措置を講じるが、望むのであればそなたを王太子として認めてもよい」
「………アラン、それは───」
何か言いたげなヘルムートを、アランは手の平を向けて黙らせた。まだ全てを提示していない。横入りは
「だが、そなたがノア=アーネルを名乗り、その真摯たる騎士道を貫くのであれば、私は一介の兵としてそなたを扱おう。
他ふたりの兵同様、ギースベルト派の企みに何らかの形で気付き、占拠を阻止した勇敢なラッフレナンドの兵として。
………自分の事を、実は高貴な身分だの、秘めた力の持ち主だのと
そしてアランが片目でウインクすると、ノアは困惑に目を丸くしていた。
───ノアが王弟アロイスであるという事実は、城内でも極少数の者達しか知らない。
ギースベルト派にも気付かれていない今ならば、ノア=アーネルとして隠し通せるのではないか、とアランは考えたのだ。
勿論彼が、王族らしからぬ無責任な真似を嫌うのならば、王弟という立場を今後も利用したいと思うのならば、アロイスとして生きる道を選んでも良い。
アランはこの少年兵に対し、身分を選択する権利を与えているのだ。
「さあ、発言を許す。そなたは何者だ?」
「僕、は───」
回答を迫られ、ノアの藍の目が戸惑いに揺れる。一度は定めた決断を覆しかねない選択だ。悩みも、
だが、アランの見立てが確かならば───
やがてノアは、腹の底から押し出すような、大きな大きな吐息を零した。
胸に手を当て、顎を上げたその面持ちは、柔らかく笑っていた。
「…僕の名は、ノア=アーネルです。他の何者でも、ありません。このラッフレナンド国に剣を捧げ、生涯、陛下に忠誠を誓う覚悟があります」
亡命すら考えていた王弟の口から出たのは、身分を偽る為の名と忠誠の言葉だった。それは、彼にはいつまでも健やかであって欲しいと願う、アランの心からの願いでもあった。
(ああ………決心してくれたか)
ノアの心変わりを、アランは安堵の吐息と共に受け入れた。もう勇敢で賢い弟を、王族の下らない面倒に巻き込む事はない。
ただ───
「…それに、王とか王太子のお仕事は、はっきり言って面倒臭そうな印象しかありません。兄上達は尊敬しておりますが、僕が務まるとはとても思えません。ぶっちゃけ無理です」
「ッ?!」
手を横に振ってしれっと足されたノアの言葉に、アランの右肩ががっくりと傾いた。
ギースベルト派の中心にいた彼は、アラン以上に政権争いの醜い部分を見続けてきたのだろう。大人達の下らない小競り合いに、嫌気が差していた事は分かっていたが。
(アロイス………お前もか…っ!?)
本当にうんざりしていたようだ。ノアのちょっと得意気な面持ちには、国の厄介事から抜け出せた解放感で満たされていた。
コントのような反応をしてしまい、後ろに控えていたヘルムートがクスクス笑っている。彼もまた、王位継承権を持ちながら『面倒臭いから嫌』と言って早々に放棄した男だ。アルトマイアー家に婿入りしたのは、何もミア嬢に惚れ込んだだけではなかったはずだ。
思う所はあれど、アランは自分の意思で王位を選んだし、ノアには幸せになって欲しいと思ってはいた。しかし兄弟揃ってこんな考えでは、自分が嫌々継いだ甲斐がない。
何だか貧乏くじを押し付けられた気がして、アランは乱暴に後ろ頭を掻き毟った。
「全く、どいつもこいつも………何故皆、王位に興味が持てないのか………まがりなりにも、直系の王族だろうが…!」
「君だって散々ゴネたじゃん」
「ふん、当たり前だろう。私がどれだけ苦労して仕事を回していると思ってる。リーファが望まねば、今すぐ放り出している所だ」
「えー」
アランに鼻であしらわれ、ヘルムートが不満そうに唇を尖らせる。反論して来ないのは、彼本人が言う立場にないと自覚しているからだろう。
「そういえば、ゲーアノートあ………様、も、王太子の立場に、難色を示されておりました。『あんな連中、まとめられる気がしない』…と」
ノアから長兄の話が出て、アランもヘルムートも意識がそちらに向く。
早世した長兄ゲーアノートは病弱で、親子ほどの年齢差、ギースベルト派の囲い込みもあり、アラン達との接点はそう多いものではなかった。
しかし、同じギースベルト派に組み込まれていた
「へえ、そうだったんだ。あの兄上がねえ………なんか、意外だな」
「年が近いヘルムートには、話せなかったやもしれんな。
私は昔ゲーアノート兄上に、王と王太子だけが読む事を許される、初代ラッフレナンド王の手記の在り処を教わった事がある。
今思えば、兄上は年が離れた弟達に、王位を押し付ける気だったのだろうよ」
そこまで言って、アランは気付いてしまう。
王太子の立場に難色を示していた長男。
さっさと結婚して王位継承権を放棄した次男。
王位を放棄して恋人の家に転がり込もうとした三男。
王の仕事を『面倒臭い、務まらない、無理』と断言した四男。
アランと同じ結論に、兄弟も至ったようだ。ノアは、年齢に似合わない渋い顔で溜息を吐いた。
「………何ていうか、王位を
「だねぇ」
「…ふふ」
「はははは」
「ふふふ、ははは」
ヘルムートが相槌を打ったのをきっかけに、兄弟達は
───かつては、様々なしがらみがアラン達兄弟を離れ離れにしていた。
周囲が決めた勝手な序列、貴族達が作った下らない派閥。王族に課せられた役務も、兄弟を隔てる要因となっていた。
同じ城で暮らしていても、意識する事がない日々を送っていれば、兄弟など同じ親から生まれ出でただけの存在、と思うものだ。
だが。
今この瞬間は、序列を作った他人も、派閥を生んだ集団もいない。
茶会のように、こちらの振る舞いに目を光らせる執事やメイドもいない。
話の内容など、他愛ないものでしかなかったが。
しがらみなど何一つない今だからこそ出来た、兄弟としての初の交流がそこにあったのだ。
「───とまあ。茶番はこの位にして…」
謁見の間の外の喧騒が耳に障るようになり、アランはごほんと一つ咳払いをした。ヘルムートが外の様子を探るように顔を上げているし、どうやら交流はここまでのようだ。
慌てて姿勢を正したノアに、アランは凛とした声音で告げる。
「これからはかつてのように接してやれぬが、名を改めようとも我々は血を分けた兄弟。そなたがその
困り事があればリーファに話すと良い。なんなりと…とは言えぬが、必ず応えよう」
「…ありがとうございます。陛下の御期待に沿えるよう、日々精進致します」
「うむ」
晴れ晴れとした表情で恭しく首を垂れた少年兵を見下ろし、アランの心に
折角縁が出来たというのに、これからは王として兵として距離を置かねばならないのだ。ノアの階級が上がれば交流は多少増えるだろうが、それでもこの関係は崩せない。
(彼の覚悟を無為にする訳にはいかない。私も、ちゃんと弟離れをしないとな…)
アランが黙したまま己を戒めていると、不意に目の前の少年が「あ」と声を上げた。何かを思い出したかのように、ぐっと顔を上げる。
「そ、そういえば、陛下に、一つお願いがあるのですが…」
唐突な
「ん、早速か?褒美なら用意するつもりはあるが…」
「あ、いえ、そういうのではないのですが………えっと………何と言ってよいか、僕が口を挟む事ではないのですが。
………どうかリーファさんに、もっと言葉を尽くしてあげて下さい………」
恐る恐るそう言ったノアの面持ちは、青菜に塩、という言葉がぴったりだった。僅かに肩を落とした少年の顔には、落胆がありありと浮かんでいた。
リーファはアランを悪し様に言うつもりはなかったのだろうが、それが尚の事ノアの同情を誘ってしまったらしい。
「ん、う、うん、分かった。気を、遣わせたな………」
ヘルムートが肩を竦めて呆れる中、懇願するように見上げてくるノアに対し、アランはそう返すので精一杯だった。
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